第6話 国府田くんは撮られていた
国府田の元に、平和な朝が訪れた。
前日の重労働もあって、ぐっすり眠れた。こんなに気持ちのいい朝はいつ以来だろう。
SNSとネットニュースにも不穏な記事は出ていない。朝のホームルームで情報提供を求められただけだった。このまま何事もなく時間が過ぎてくれたら……そんな期待をつい抱いてしまう。
そして、期待はすぐに打ち砕かれるのが国府田の日常であった。
『動画を消せ』
スマートフォンの画面の中で、ナイフを構えた自分がかすれた声を上げている。
『消せ!』
画面の中の国府田が、真っ赤な顔で叫んだ。
『お、おい、やめろって!』
石井の声を最後に、動画は終わった。
昼休み、国府田は同じクラスの塚本と牧野に連行され、校舎裏の竹林にいた。国府田いじめの主要な実行犯は石井だったが、この2人もしばしば参加していた。石井は死ぬ直前、動画を消す前に、2人とのグループチャットに動画を送っていたらしい。
国府田は立ち尽くすことしかできなかった。意識が消える寸前だった。自分の体も目の前の状況も、全てを遠くに感じた。このまま永遠に意識を失った方が楽なのではないか、という思いがよぎる。
絶望しかなかった。自分の犯罪は、こんなに綺麗な証拠が残されてしまっていたのだ。間抜けすぎる。
国府田に動画を突きつけていた塚本が、国府田の胸倉を掴んで締め上げた。国府田と変わらないくらいの小柄な男だ。尖ったあごのせいで顔が逆三角形に見える。興奮のため目があちこちに泳いでいる。
「お前、石井どうしたとや」
「どうしたって……」
「殺ったとか?」
国府田はとっさに首を横に振った。自分でも意外な程、すんなり嘘をついてしまった。
腹部に激痛が走った。塚本に殴られたのだ。地面にうずくまった国府田の横腹を、塚本はさらに蹴った。
「じゃあなんで石井はおらんとやって!」
腹を殴られた痛みで呼吸が上手くできず、国府田は咳きこむことしかできなかった。それに苛立ったのか、塚本はさらに国府田の横腹を蹴る。痛みに転がり、声にならない悲鳴をあげながら、国府田は塚本の言葉に感じた違和感について考えた。
川屋の声が聞こえた気がした。ひょっとしたらこれは『大丈夫』なのでは……?
そう考えた時、同時に責任を感じた。自分がここで諦めて罪を認めてしまったら当然、死体はどうなったんだという話になり、川屋にまで影響が及ぶ。それは絶対に防がなければならないと思った。
なんとか切り抜けよう。その覚悟が定まると、今の状況はチャンスだと感じる。咳きこんで呻いている間は、何も答えなくていい。その間に考えることができる。何か突破口が見つかるかもしれない。
「答えろって、コラァ!」
またわき腹を蹴られる。国府田は呻き声のリアリティに気を付けながら思考を巡らせた。塚本の執拗な攻撃に辟易しつつ、なんとか考えがまとまりだした時、塚本の背後で静観していた牧野が口を開いた。
「そげん蹴りよったら話せんやろ」
落ち着きのない塚本とは対照的に、牧野はどっしりと構えていた。大柄で筋肉質な牧野の言葉には、塚本も大人しく従うしかなかったようだ。やっと蹴られなくなった。
牧野が、地面に転がる国府田の顔のそばに座り込んだ。強烈な威圧感がある。
「お前、なんでナイフげな持っとったとや」
「……それしか方法がないと思って」
「それでどうしたとや」
「どうしたって……」
「石井に何したとや」
「……何もしてません」
そう口にした途端、不思議と涙がこぼれてきた。自分の中で、何かのスイッチが入った気がした。
「やったら、あの動画の後は何があったとや」
「ごめんなさい……知りません……」
身を震わせながら続ける。
「あの後、すぐに学校の外に逃げて……仕返しが怖くて、ずっと外にいたんです……」
牧野はため息をつき、立ち上がった。
上手くいった。そう思った瞬間、再び腹部に激痛が走った。
「お前、舐めんのも大概にしとけよ!」
塚本が再燃してしまったようだった。先程よりも激しく、何度も蹴りが襲う。
「国府田の分際で、なんば逆らいよるとや! 舐めんなよクソが! お前がやったとやろが!」
塚本が国府田を蹴るバシッ、という音に、グチャッ、という湿った音が混ざり始めた。塚本は足元を見て、悲鳴をあげて飛びのいた。
国府田を中心に小さな水たまりができていた。国府田が失禁したのだ。
「汚っ! なんやお前、しょんべん漏らしよんか!」
塚本は笑い出し、国府田の姿を写真に撮った。それで気が済んだのか、2人は去っていった。
国府田は足音がしなくなったのを確認し、立ち上がった。服が泥だらけ、汚物まみれで酷い状態だ。
校舎の裏には山があり、竹林が広がっている。小さな、とは言っても飛び越えるのは難しいくらいの広さの川が流れており、川岸に隠れて煙草を吸う生徒がいたりする。国府田は服を着たまま川に入り、とりあえず汚れをごまかした。水は冷たかったが、蹴られて熱くなっている体には丁度よかった。
自分自身が変わっていくのを感じていた。生き延びる方法を、以前より広い選択肢から探せるようになった気がする。黙って死ぬよりは全然良いことだと思えた。
「川遊びの季節じゃないでしょ」
「うわっ!?」
突然、土手の上から声を掛けられ、国府田は足を滑らせた。
「川屋さん、見てたんですか……?」
「いや、見てはいなかった。隠れて音だけ聞いてたよ」
「そうですか……」
おそらく、本当に危険な状況であれば助力してくれるつもりで様子をうかがっていたのだろう。見られたくない点が沢山あったので、国府田は胸を撫で下ろした。
しかし安心できたのは一瞬だった。川屋は悪意の一切無い顔で躊躇なく聞いてきた。
「漏らしたの?」
「ノーコメントです!」
国府田は川から上がった。川屋は国府田の周りをぐるぐると周りながら、あちらこちらを観察している。
「ケガは?」
「大丈夫です。塚本さんは力は弱いですからね」
「慣れてるなぁ……」
川屋は苦笑いしている。
「でも、ホントだね。どこもケガしてないみたい」
「全部、腹でしたからね。腹はケガはしにくいんですよ。息ができなくなるだけで跡も残らないんで、あっちに都合がいいんです」
「あぁ……なるほどね、そういうテクニックもあるのか」
川屋は珍しく怒りの表情を見せた。
「答え合わせをしたいんですが」
「答え合わせ?」
「私の選択が、正しかったのかどうか」
「……僕にも正解は分からないよ」
「じゃあ、相談ですかね」
「それなら喜んで。何があったのか詳しく聞かせてよ」
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