第29話 国府田くんは川屋くんに会いたい
「石井さんのお父さんとはどういう関係なんですか?」
国府田の質問に、佐々木は眉間にしわを寄せ、暫くの間、唸った。
「改めて聞かれると答えづらかばい。石井崇裕さんという国会議員がおらっしゃって、この辺りに広くファンがおる議員さんなんや。で、あの隆史さんは、その息子さんで……つまり未来の国会議員っちゅうことやな。そういう人に……今の内から恩ば売っておくと、出世できて、給料は増えて、仕事は楽になる訳たい。偉うなったら面倒臭かことは全部、部下にやらせりゃよかけんね」
後で樺刑事が小さく笑ったのが聞こえた。
「普段からそげんはっきり考えとる訳やなかばってん、言葉にすると、そういうことやなかやろか。そういう力関係が、当たり前に付いて回っとるとよ」
「……分かりました」
国府田が頭を下げた時、取調室の扉がノックされた。樺が部屋の外に出る。
部屋の外から話し声が聞こえ始めた。内容までは聞き取れなかったが、ところどころ、樺が驚きの声をあげているようだった。佐々木は首を傾げて扉を見ている。
しばらくして、樺が扉を開けた。
「佐々木さん、釈放です」
「なんやて?」
佐々木が勢いよく立ち上がった。
樺は室内に入り、扉を締めた。一瞬国府田の方を見て、話すべきかどうか迷ったようだったが、結局口を開いた。
「理由は分かりませんが、彼は被疑者ではなくなりました。家に返すそうです」
「DNAが出んかったとか」
「いえ、それは出たそうなんですが。自分にもよく分かりません」
佐々木と樺はしばらく呆然としていたが、佐々木は我に返って国府田を見た。
「じゃあ、彼を今すぐ出さんといかんとやな」
「そういうことになります」
佐々木は頭を抱えた。国府田を横目で見やり、小声で話しかける。
「国府田くん」
「はい」
国府田にも状況は理解できていなかった。何も考えられないまま、反射的に返事をした。
佐々木は自分の口を指差す。
「ダメ元で言うばってん、このことを黙っとってくれたら、ラーメン奢っちゃるばい」
佐々木の言葉で国府田は顔の痛みを思い出した。表情が強ばる。
佐々木は苦笑した。
「ラーメンじゃでけんか……まぁ、しょんなかな」
佐々木は肩を落として取調室を出ていった。
国府田は樺に連れられ、薄暗い廊下を通って警察署の出口に向かった。
荷物が国府田に返却された。スマートフォンを確認すると、大量の不在着信が入っていた。ほとんどが学校から、そして母親からだった。
ロビーでは国府田の母親が待っていた。ソファーに体を丸めて座っており、白髪が混じりの頭だけが見えた。母親はひたすら涙を拭いていたが、国府田の姿を見るなりずかずかと歩み寄り、国府田の頬を平手で打った。
「あんた、なんばしよるとね! 逮捕げなされて! お母さんがどれだけ恥かいたと思っとると!」
母はもう一度、国府田の頬を打った。傷付いた口内に、さらに激しい痛みが走った。
樺刑事が間に体を割り込ませた。
「お母さん、落ち着いてください。もう釈放ですから」
母親は樺刑事には何も言い返さなかった。ただすすり泣いている。
ロビーは薄暗かった。出入り口付近の最小限の電気しかついておらず、暗闇の中で自分たちだけがぼんやり照らされている。惨めな空間だ、と国府田は感じた。
国府田は樺に向かって頭を下げた。
「失礼します」
樺は面食らっていたが、軽く会釈を返した。
国府田は真っ暗な出口に向かって歩きだした。母親が小走りで追いかけてくる足音が聞こえる。
「幸一! 待たんね、幸一!」
国府田は扉を開けて、外へと足を踏み出した。冷たい空気が、熱を持った国府田の顔を冷やしてくれた。
「幸一! 話は終わっとらんよ!」
背後でわめく母親の方に、国府田はゆっくり向き直った。
「帰ります」
母親は顔をしかめた。
「帰るって……どこに帰るとね」
「寮です」
「何ば馬鹿なこと言い寄るとね」
母親は泣きながら笑った。
「あんたは停学になっとるとよ。学校ば勝手に出て逮捕げなされたけん。学校に行けんとやけん、寮も入れんとやなかと」
「それは行ってみないと分かりません」
国府田は母親を置いて1人で歩きだそうとした。母親が甲高い声を上げる。
「待たんね! お母さん、わざわざ2時間かけて迎えに来たとよ。無駄にすると!?」
母親は目を見開いて国府田に迫った。その姿を見れば見るほど、国府田の心は冷えていった。
「無駄足をさせてすみません。私は寮に帰ります」
「どうして!?」
「家よりマシなので」
母親が息を呑んだ。右腕を振りかぶり、国府田の頬を狙って振り回す。
国府田は身を引いてかわした。母親はバランスを崩してその場に座り込んだ。
母親は地面に伏して鳴き声をあげた。
「あんた、お母さんがどれだけ苦労してあんたを学校に行かせよるて思っとると? 子供に分かるような苦労じゃなかとよ。それも知らんで好き勝手なことば言うて……あんたがそげんやったら、もうお母さん頑張れんばい」
国府田は母親を見下ろしたまま、言葉を放り投げた。
「だったら好きにしたらいいじゃありませんか」
母親が弾かれたように顔をあげた。憎悪を込めて国府田を睨んでいる。
「あんた、自分が何を言いよるとか分かっとると?」
国府田は無感動に返事をした。
「はい、好きにしてくださいと言っています」
「あんた学校辞めてしまって良かとね? 高校も行かんで生きていかれると? 世の中は甘くなかとよ」
「死ぬよりはマシでしょう。あなたに人生を預けていたら、死んでしまいます」
母親は少しの間、言葉を失ったようだった。やがて再び泣き叫びだした。
国府田は母親に背を向けて歩きだした。母親は背後から罵声を飛ばしていたが、追いかけては来なかった。
国府田はスマートフォンの地図を見ながら学校へと歩いた。1時間ほど歩けば着くようだった。
国道には車が一切走っていなかった。アスファルトが街灯を反射して、キラキラ光っている。真ん中をオレンジの線の上を歩いてみると、自然と笑みが浮かんだ。
母親は自分に学校をやめさせるだろうか。そうなっても仕方ないだろう。そうなったら家を出るために働くしかない。
それはそれで、なんとかなりそうな気がした。意外と自分には体力があるのかもしれない。痛みにだって、必要であれば耐えられる。社会に出ることを怖いと思わなくなっていた。
道の先には無限の暗闇が広がっている。国府田はそれを心地よく感じていた。この先、何が起こっても、全て乗り越えていけるように思えた。
国府田はスマートフォンの通知をチェックしてみた。母親からの不在着信が数回入っているだけだった。
川屋はどうなったのだろう。
国府田が釈放されたのであれば、石井を殺していない川屋は当然釈放されるだろう。だとしたら何らかの連絡が入ってくるはずだが、未だそれはない。メッセージ欄は国府田が送ったメッセージで止まっている。
なぜ連絡がないのか、考えても分かりようがなかった。国府田とは違う形での取り調べが行われているのか、手続きが異なるのか。川屋は性別も違うし、両親とも既にいない。國府田と異なる進行になりそうな理由はいくらでもある。考えても仕方ないだろう。
心配は尽きなかったが、川屋なら何かあっても切り抜けるだろうとも思っていた。川屋がどのような取り調べを受け、どのように切り抜けたのかを聞くのが今から楽しみだった。
気付けば学校に到着していた。門は締まっていたが、鍵は掛かっていなかった。重量のある門を少しだけ開けて、国府田は校内に入った。
寮の入り口は空いていた。寮監督室の電気がまだついている。国府田はこのまま部屋に戻って寝てしまいたい誘惑にかられたが、それでは後で大問題になることは分かっていた。
国府田は寮監督室の扉を叩いた。扉に駆け寄る足音が聞こえ、担任の吉村が疲れ切った顔で出迎えた。
「無事で良かったたい。お前のお母さんから、お前がこっちに戻るち電話のあったけん、待っとったぞ。家に帰らんでよかったとか?」
国府田は気まずい思いを味わった。母親を完全に嫌いになるのも、また難しいことのようだった。
「母とは話したので大丈夫です。今日はすみませんでした」
国府田は頭を下げた。吉村の溜め息が聞こえる。
「まぁ、詳しか話は明日でよかやろ。今日はもう寝らんか」
「はい、すみません」
国府田が再び頭を下げると、吉村は扉を閉めようとした。国府田は慌てて顔を上げた。
「先生」
「どうした?」
「川屋さんは帰ってきてないんですか」
吉村は渋面を作った。
「ああ、しばらく警察署におらんといかんらしか」
国府田の胸の奥が少しだけざわついた。取り調べが続いているようだ。薬が見つかってしまったのか? 過去の事件のことが今さら問題になっているのかもしれない。様々な可能性が国府田の脳内を回った。
立ち尽くす国府田の顔を、吉村が覗き込んだ。
「お前、顔、怪我しとらんか? 赤くなっとるぞ」
国府田は我に返った。もう一度頭を下げる。
「あ、いえ、大丈夫です。失礼します」
国府田は早足にその場を去った。
自室に戻り、ベッドに横になると、一気に痛みと疲れが押し寄せてきた。
とにかく色々なことが起こり続けた1日だった。もう2度とこんな目にあいたくない。
川屋に会いたい。
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