第30話 川屋くんは帰ってこない
翌日、国府田は1日だけ停学ということになった。
寮の自室で1人過ごすのは極めて退屈だった。今まで1人の時にどう時間を使っていたのか思い出せない。とりあえずテスト勉強やデッサンなどで時間を潰していた。
川屋からの連絡は来ないままだった。
午後3時頃、佐々木刑事が寮に訪ねてきた。寮監督室で吉村の立ち会いの元、話をすることになった。
佐々木は気まずそうに笑っていた。
「今日はな、君とラーメン食いに来たったい」
「はぁ……」
相変わらず、何処まで本気で言っているのか分からない人だ、と国府田は思った。吉村は意味が分からず困惑している。
「彼を連れ出すとですか?」
「あぁ、いえ、冗談ですよ」
佐々木はひとしきり笑ってから、国府田に向き直った。
「実は、君の友達の川屋くんのことを聞きたいんや」
国府田は思わず立ち上がった。
「川屋さんがどうしたんですか!?」
佐々木はへらへらと笑ったまま答える。
「いや、どうもせんよ。形式的なもんでね。彼が普段、どんな子なのかを聞きたかだけたい。君が一番、仲が良かとやろ?」
国府田は一旦、佐々木の言葉を信じて落ち着くことにした。確かに、川屋の日常の姿を知っているのは国府田だけかもしれなかった。
国府田は川屋の普段の様子を話した。だいたい美術室で絵を描いていること。意外に漫画好きであること。土日はたまに遊びに出かけること。ただ事実を話しただけだったが、無性に涙が込み上げてきて困った。
佐々木は目を伏せ、少し寂しそうに言った。
「君たちは、本当に仲が良かったんやな」
その言葉がとどめになってしまった。国府田の目から涙が溢れて、何も話せなくなってしまった。国府田は涙を拭いながら頷いた。
「ありがとう。もう戻ってよかよ」
佐々木が国府田の肩を叩いた。吉村も神妙な顔で頷いている。国府田は人目につかないよう周りを伺いながら、自室に戻った。しばらく涙は止まろうとしなかった。
今すぐ川屋に会いたかった。会っていない間に起こったことを全部話したい。外へ遊びに行きたい。お互いに自分の作業をしながら、同じ空間で長い時間を過ごしていたい。国府田は声にならない叫びを押し殺し続けた。
落ち着いた頃には、窓の外は暗くなり始めていた。寮生たちが学校から戻ってくる声が聞こえる。いつもより少々騒がしい気がした。
国府田はスマートフォンの通知をチェックしてみた。やはり川屋からの連絡はない。
何もする気が起きず、ベッドに横になった。すぐに睡魔に襲われたが、熟睡することもできず、しばらく寝たり起きたりを繰り返していた。そんなことにも飽きてしまった頃、もう寮内は真っ暗になっていた。人の声もしない。深夜1時になっていた。
国府田はSNSを開いてみた。自分を追い詰めるような投稿が出てしまっていないかをチェックするために毎日開いていたが、単なる暇つぶしでSNSを開いたのは初めてかもしれない。
国府田はぼんやりと内容を流していったが、すぐに意識が覚醒した。あるニュース記事が大量にシェアされている。
『行方不明の男子高校生の殺害を同級生がほのめかす』
国府田は記事の詳細へと進んだ。
『11月に福岡県で行方不明となっていた男子高校生について、同級生が殺害をほのめかす供述をしていることが分かった』
『警察では慎重に裏付け捜査を行っている』
『遺族はノーコメント』
国府田の心臓が暴れ始めた。全身から汗が吹き出す。
国府田は石井殺害について何も言っていない。『殺害をほのめかす』とは、誰がそんなことを言い出しているのか?
いや、石井の件だとは限らない。県内で他にも行方不明事件が起こっていたのかもしれない。そう考え、他の事件についても調べてみた。特に記事は見つけられなかった。
体が冷たくなっていく。全身から血液が無くなっていく感覚がする。何が起こっているのか、これ以上考えることを脳が拒んでいる。
国府田は寮監督室に走った。まだ電気がついていた。国府田はノックも忘れて飛び込んだ。
吉村が、机に座ってうなだれていた。アルコールの臭いが充満している。机の上には酒らしき瓶が数本転がっていた。
吉村は顔を上げた。目線が定まっていない。
「国府田」
吉村はしばらく、無表情で国府田を見上げていたが、やがて席から立ち上がって国府田に近付いてきた。
そして国府田の足元で土下座した。
「すまんかった……本当にすまんかった……」
声には涙が混じっている。国府田は吉村の傍にしゃがみこんだ。
「どうしたんですか、突然」
吉村は少しだけ体を起こし、国府田を見た。目が真っ赤に血走っている。怯えているようにも見えた。
「俺は、俺はお前が石井ば殺したとやと思とった……」
そう言って、吉村は再び床に額を押し付けた。国府田は強引に吉村の体を起こした。酒の臭いが鼻を突く。
「何か分かったんですか!?」
吉村の顔はぐちゃぐちゃになっていた。うめくような声で、吉村は答えた。
「楓が……楓が石井ば殺したとげな……」
楓……川屋の本名だ。国府田は気を失いそうになった。何度も言葉を反芻する。自分が聞いた言葉が信じられなかった。
国府田はなんとか意識を保ち、言葉を絞り出す。
「川……楓さんがそう言ったんですか」
「そげんや」
吉村は俯いて肩を震わせた。
「石井に色々されとったとげな。やけん殺したち……申し訳なか! 申し訳なか!」
吉村は床に額を叩きつけた。国府田は吉村を止めようとして、もみ合う。
「どうして先生が謝るんですか!」
「俺はまた気付かんやった。楓が人ば殺すとは俺のせいたい!」
「なぜ!」
吉村はすがるように国府田を見つめた。
「あいつば守ってやらんやったけん……あいつは狂ってしもた……俺はまた気付かんやった……」
吉村はうずくまって嗚咽を漏らす。
国府田は部屋がぐるぐると回っているのを感じた。宙に浮いているような非現実的な感覚に包まれ、意識が遠のいていく。このまま気を失ったら楽になれそうだった。
しかし、逃げることはできなかった。拳を強く握り、意識を保つ。
「先生、今度こそ、川屋さんを守りましょう」
吉村がゆっくりと顔を上げた。
「川屋さんの罪が少しでも軽くなるように、全力を尽くします。川屋さんの供述内容を、できるだけ詳しく教えてください」
吉村の表情が、驚きから期待へと分かりやすく移っていく。
「俺も詳しくは分からんばってん……石井ば殺して、死体は分解して少しずつ川に捨てたげな」
「どこの川ですか?」
「佐賀との県境の川たい。夜に寮ば抜け出して、何回かに分けて捨てに行っとったち」
「佐賀? 佐賀ですか?」
國府田たちが石井の死体を流したのは、東側、大分との県境だった。西側の佐賀ではない。
「佐賀たい。県ばまたいだら見つかりにくくなるち思たげな」
国府田は少しだけ安心感を覚えた。逆側を探して何かが出てくる訳はない。
「それは川屋さんがそう言ってるだけですよね。本当かどうか、まだ分かりませんよ。先生も、川屋さんはたまに変な嘘をつくって言ってたじゃないですか」
吉村は首を横に振った。
「タクシー運転手が川屋ば覚えとって、カメラにも映っとったらしか」
「……よく覚えてましたね。カバンが大きいと言っても、佐賀まで行く人はそんなに珍しくないでしょう」
「それは……」
吉村は肩を落とす。
「目立つ格好ばしとった、としか言えん」
吉村の極端な言葉の濁し方を見て、国府田はある可能性を思いついた。
「女装ですか?」
吉村は目を伏せ、答えなかった。
国府田はかつて川屋が送ってきた女装写真を思い返した。どれも過激な服装だった。この辺りであんな服装の少女がいたら、タクシーの運転手の記憶には強く残るだろう。
敢えて印象づけるために、わざわざそんな服装を選択したのだろうか。国府田は腹の底が冷たくなっていくのを感じた。とてつもなく嫌な予感がする。
「先生、川から死体が出てきた訳ではないでしょう?」
国府田はプラス要素を口にしたつもりだった。しかし何故か、吉村のショックを呼び起こしてしまったようだった。声に激しい嗚咽が混ざる。
「死体は出てきとらん。ばってん……」
吉村は何度も詰まりながら、無理やり言葉を絞り出した。
「川からナイフが出てきた。石井のDNAがついとった」
国府田は脳を射抜かれたような衝撃を受けた。ナイフ! そういえばナイフはどうした!? いつの間にか記憶から消えていた。U市の山に登った時の荷物には既に無かった。ずっと美術室の棚の中に隠されていたのかもしれない。
佐賀の川からナイフが出てきた理由は1つしか思いつかない。川屋が捨てたのだろう。わざわざ大きな荷物を持って、目立つ格好で……
全身の感覚がなくなっていく。自分がここに存在しているのかいないのか分からなかった。
吉村の声が聞こえる。近くにいるはずだったが、とても遠くから聞こえるような気がした。
「俺は信じられんかった。何かの間違いやと思いたかった。ばってん、警察が川屋の部屋を調べたんや。棚の中から石井の……指が……」
吉村は唸るような大きな声をあげて泣いた。国府田は耐えきれず、寮監督室を飛び出した。
部屋を出るとすぐ、外への出入り口が目についた。寮を抜け出す川屋の後ろ姿が見えた気がして、国府田は裸足のまま外に飛び出した。
外には暗闇が広がっていた。月の光が雲に隠され、一歩先が見えない。ただ風の音だけが襲ってくる、寂しさと恐怖の世界だった。
川屋はこの中へと飛び込んでいったのだ。どんな顔をしていたのだろう。いつものように笑っていたのだろうか。不安に耐え、口の端を結んでいただろうか。涙をこらえて顔を強張らせていたのかもしれない。小さな体で、偽の死体を抱えて、自分を殺人犯にするために……
国府田の身代わりになるため、周到に準備していた。
「あ、ああああ」
自分のものとは思えない叫びが、腹の底から勝手に湧き出てきた。
自分は不幸になるために生まれてきたのだと思っていた。何も知らなかった。あんな辛い人生を越えてきた人に、全力で守られていたことに気付いていなかった。自分を包んでいた大きな愛情の存在を知らずに生きていた。
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