第28話 国府田くんは拷問される
国府田はK市警察署まで連行され、生まれて初めて取調室に入った。学校の会議室とあまり変わらないレイアウトだった。
中で待っていたのは国府田の想像通り、佐々木刑事だった。机に身を乗り出し、片方だけ口の端を上げてニヤリと笑った。
「待っとったばい。やっとここで会えたやんね」
国府田は頭を下げた。佐々木に促され、席につく。国府田を取調室へ連れてきた刑事が出入り口に立ちふさがった。
「ここには話の分かる奴しかおらん。その刑事は樺ゆうて、俺の後輩たい。余計なことは言わん。俺の悪さも全部黙ってくれとる」
佐々木に手で差された樺刑事は苦笑した。佐々木とは対象的に、背が高く線が細い。
「やけんな」
佐々木の顔から笑みが消え、真剣さが現れた。
「君はただ事実を話してくれたらよか。俺たちはできるだけ、君が有利になるように調書ば作ろうち思とる。君は補導歴も無かし、実刑やなくて保護観察になる可能性は十分あるけん」
佐々木はまっすぐに国府田を見ている。国府田は息苦しさを感じた。
「君は石井くんを南校舎2階のトイレで殺害し、遺体をどこかに遺棄した。そうやな?」
室内が静まり返る。国府田は一瞬、佐々木の視線から逃げたが、すぐに顔を上げて真っ向から佐々木に相対した。
「いえ、殺していません」
佐々木はみるみる落胆の表情に変わっていった。
「国府田くん。俺は君の敵やなか。正直に話してくれんと、助けらるるもんも助けられんばい。罪が重くなってしもてもよかと?」
国府田は背筋を伸ばして言い返す。
「私に罪はありません」
佐々木は大きなため息を付いた。
「トイレの配管から髪の毛が出てきとるし、色んなところから血液反応も出とる。DNA鑑定の結果はすぐに出るやろ。言い逃れはできんよ」
国府田は動揺を悟られないよう、下腹に力を入れた。
「私は殺していません」
力を込めて言い切った。
佐々木は顔を歪め、ため息をつきながらうなだれた。
「今が最後のチャンスなんや。今なら罪を軽くできる。君自身の将来のために、本当のこつば話してくれんか。頼む。」
佐々木は机に両手をつき、頭を下げた。
国府田にとって試練のような沈黙が流れた。国府田はゆっくりと呼吸をして、暴れようとする心臓を抑えた。
しばらくして、佐々木は席を立ち、国府田の隣まで歩いてきた。
「立たんね」
佐々木は国府田の腕を引いた。表情が失われている。国府田はためらったが、佐々木の力に敵わず、腰を上げた。
佐々木が国府田の腹を打った。国府田は体を折ってその場に崩れ落ちそうになるが、樺刑事が後ろから国府田を支え、立ち上がらせた。
佐々木がもう一度、国府田の腹を打った。国府田は声にならない悲鳴をあげた。咳き込もうとするが息ができず、ただ痙攣するだけだった。
目の前が暗くなる。追撃はこなかった。国府田は少しだけ息を吸うことができた。一瞬、意識が覚醒する。
再び佐々木は国府田の腹を打った。国府田は床に倒れてうずくまる。
佐々木はしゃがみこみ、国府田に顔を寄せた。
「優しく口説いても駄目やったけん、お願いの方法を変えさせてもろたばい。どげんやろか、話したくなってきたっちゃなか?」
国府田は佐々木を睨み、声を絞りだした。
「私は……何も……」
佐々木は国府田の腕を引いて体を引き起こした。満面の笑みを浮かべている。
「時間はたっぷりあるけんな。君の気が変わるまで、ゆっくり話し合おうやないか」
樺刑事が国府田を立ち上がらせた。佐々木は再び国府田の腹を打つ。国府田は遠のく意識の中で息を吸うが、体内に空気が入ってこない。腹部が言うことを聞かない。体中が絞られるような、強烈な苦痛だった。
川屋が警察について「権力側に回って、合法的に人を殴りたいから警察官になる」と言っていたのを思い出していた。日頃からこうやって取り調べをしているのだろう。腹を打つのは、暴力を隠したい人間の常套手段だ。手法は違法だが、証拠さえ無ければ、ここでは暴力は無かったことになる。
特に佐々木の殴り方は上手かった。跡が残らない程度の力で呼吸を止め、意識を失わない程度に呼吸をさせて、また息を止める。苦痛を長引かせるやり方が洗練されている、と国府田は感じた。学生同士のいじめよりレベルが高い。
だが、それだけだった。国府田はこの手の『隠れて暴力を振るう』人間への対応に慣れていた。人目から隠れようとする人間は、誰もが弱い。相手が大人で、手法が洗練されていても、同じことだった。
国府田の呼吸が回復したのを見て、佐々木が拳を振りかぶる。国府田は自分を羽交い締めにしている樺を巻き込み、佐々木の拳に飛び込むように身を屈めた。
国府田の視界に火花が飛んだ。強烈な衝撃が顔面を貫く。少し遅れて、口の中に血が滲んだのを感じた。佐々木の拳を顔で受けたのだ。
歯が傷む。折れたかもしれない。鼻血も出ているし、頬も腫れたようだ。佐々木の暴力の証拠を、自分の顔にしっかり焼き付けることができたのは間違いなかった。
国府田は佐々木を見上げた。予期せぬ衝撃を受けて拳を痛めたらしく、手を広げてひらひらと振っている。顔には困惑の色がありありと浮かんでいた。
「すみません!」
国府田の背後で、樺刑事の余裕のない声が聞こえる。国府田は追撃を覚悟し、身構えた。佐々木は、彼の立場にリスクを負わせた国府田に怒り、手加減のない攻撃を加えてくるはずだった。
しかし、攻撃はこなかった。佐々木は立ち尽くしたまま、小刻みに肩を震わせ始めた。
笑っている。笑い声はだんだん大きくなっていった。
佐々木はしゃがみ込み、座り込んでいる國府田と目線を合わせた。
「出所したら極道になると良かよ。才能あるばい」
「はぁ……」
佐々木は国府田を持ち上げ、椅子に座らせた。樺の方をじろり、と見やる。
「馬鹿たれ、ちゃんと抑えとかんか」
「すみません……!」
樺は深く頭を下げた。
佐々木は溜め息をつく。
「こん子は普通の子供やなかて言うたやろが……ばってん、まぁ、仕方なかたい。俺のミスや」
佐々木は自席に戻り、倒れ込むように深く椅子に沈んだ。天井を見上げながら言葉を続ける。
「俺はこの件の担当から降ろされるやろけん、これだけは言っとくばい。証拠や状況から見て、どんだけ否認しても、有罪はほぼ間違いなか。ただ、君が自分から犯行を認めてくれたら、実刑やなくて保護観察になる可能性は十分にある。そう思っとるのは本心や」
そう言って佐々木は国府田に向き直り、苦笑した。
「もちろん、そんなことより俺は、はよ取り調べば終わらせて飲みに行きたかっただけやけどな。代償が高うついたばい……」
脱力して椅子にもたれる佐々木を見て、国府田は佐々木の人柄が少し分かった気がした。
佐々木にとって、この事件は『仕事』以外の何物でもないのだろう。正義感がある訳でもなく、国府田を凶悪犯として憎んでいる訳でもない。ただ『仕事』を自分なりの効率的な手段で遂行していただけだったのではないか。国府田にはそう思えてきた。
殴るメリットがあったから殴った。メリットがなくなったから殴るのをやめた。単純な行動原理が感じられた。
国府田は痛みをこらえながら口を開いた。
「取り調べは終わりですか?」
佐々木は口を『へ』の字に曲げて、肩をすくめた。
「いや、この部屋は長く取っとるから、まだ出る訳にはいかん。ばってん、これ以上何を聞いても証拠能力が無かけん、もう聞くことは無かよ」
「質問してもいいですか」
佐々木はしばらく渋面で考え込んでいたが、やがて苦笑して答えた。
「よかばい。答えられんことも多かばってん、俺も暇になってしもたけんな」
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