第16話 国府田くんは扉を開ける

 翌日、国府田が登校すると、机の中に見知らぬ書類が入っていた。開いてみると、クラスの全生徒の住所一覧が記載されている。国府田は慌てて書類を机の中に突っ込み直した。

 これは自分が持っていてはいけない書類だ。誰がこんなことをしたのだろう。また新しい『いじめ』が始まるのだろうか。

 国府田は川屋に報告しようとしてスマートフォンを取り出し、別の人物からのメッセージが届いていたことに気付いた。牧野だった。

『机の中に生徒名簿のコピーを入れた。川屋の名前がないのはなぜか分かるか?』

 要件だけが短く書かれている。メッセージには方言が出ないところに、牧野の希少な人間味を見た気がした。

 国府田は授業が始まるのを待ち、教科書に隠して名簿を詳しく見てみた。名前順になっているが、河野の次が木下になっており、川屋の名前はない。念のため全てを確認したが、川屋はクラスに存在しないかのようだった。

 国府田は机の下で牧野に返事を打った。

『分かりません。この名簿を見たのも初めてです』

 程なく、牧野から返事が来た。

『川屋の住所は知ってるか』

『すみません、知りません』

 返事はない。国府田は続けてメッセージを送った。

『なぜ川屋さんの住所を知りたいんですか?』

 今回も返事はなかった。国府田が返事を待つのをやめようとした頃、メッセージが届いた。

『家に何か証拠があるかもしれない。薬とか』

 なるほど、と国府田は思った。川屋がどうやって覚せい剤を入手したのかは不明だったが、塚本が寮の自室に侵入してから薬を盛るまでの間は3日しかない。金曜日は国府田と一緒に行動していたので、土日の間に用意したはずだった。考えたくはないが、何らかの理由で自宅内にストックがある可能性は高いように感じた。

 牧野から追加のメッセージが届いた。

『何でもいいから知っていることはないか?』

『すみません、そういう話はしませんので』

 そこでメッセージは途絶えた。

休み時間に牧野から話しかけられたりすると川屋を刺激するのでは、と国府田は気が気ではなかったが、牧野は特に何の接触もしてこなかった。川屋に目を付けられないようにしているのかもしれない。国府田は平和に感謝した。

 しかし平和は続かないようだった。昼休み、美術室に足が向かず教室で本を読んでいると、牧野からメッセージが届いた。

『寮の棚の鍵は寮監督室にマスターが保管されてるらしい』

 言葉は少なかったが、圧力がある。牧野が国府田に何をさせようとしているのかはすぐに分かった。国府田は返事に詰まった。顔から血の気が引いていくのを感じる。

 牧野のメッセージが続けて届いた。

『入り口から一番遠い棚の、一番上の引き出しに全ての部屋の棚の鍵が保管されてる』

 国府田は頭痛を押さえながら返事を打った。

『そんなことがよく分かりましたね』

『先輩に聞いた』

 牧野はなんとしても川屋に逆襲しようとしているようだった。国府田は祈るような気持ちで返事を打った。

『仮に川屋さんが何かやっていたとして、寮に証拠を残しておくとは思えません』

 昨晩、外出していった川屋の後ろ姿が脳裏を横切った。川屋の隠蔽工作は速い。これで牧野が納得してくれれば、平和は続くはずだった。

『だったら鍵を掛ける必要はない』

 国府田は返事を打つことができなかった。考えがまとまらない。時間だけが過ぎていった。

 昼休みが終わる頃、牧野から最後のメッセージが来た。

『無理はしないでいい。変なことを言ってすまなかった』

 チャイムと同時に、牧野は何事もなかったような顔で教室に戻り、國府田とは一切目を合わせずに着席した。

 川屋は遅れて戻ってきた。


 放課後、国府田は美術室に向かった。川屋は机に体を預け、寝る体勢だった。

「久しぶりだね」

 川屋は体を起こさずに手だけを挙げた。

「眠そうですね」

「まぁね……」

「昨日、眠れなかったんですか?」

「色々と調べ物をしててね……」

 国府田はざわつく胸を抑えながら、川屋の隣に腰掛けた。

「調べ物ですか」

 川屋は一瞬、国府田の方に目線を向けたが、再び瞳を閉じた。

「そうだよ」

 しばらく沈黙が続いた。

 国府田は本心ではここから今すぐ逃げ出したかった。崖から飛び降りるような気持ちで、国府田は質問を重ねた。

「本当ですか?」

「えぇ……?」

 川屋は気だるそうに唸った。国府田は拳を強く握って続けた。

「川屋さんは私に、本当のことを言っていますか」

 川屋は身を起こし、冷たい視線を国府田に向けた。ゆっくりと口を開く。

「そう。国府田くんは僕を疑ってるんだ。で?」

 国府田は目を伏せた。

「で……とは?」

「僕が嘘をついてたら、どうだっていうの? それで君が何か困るの?」

 言いようのない胸の痛みが国府田を襲った。胸の奥を刺されたようだった。国府田は目を閉じて痛みをこらえた。

「いえ、何も困りません」

 国府田は懸命に返事をしたが、川屋は答えず、再び机に伏せた。

 国府田は席を立った。

「すみません、変なことを聞いて」

「もう行くの?」

 川屋の声色は先程までのやりとりが無かったかのように平然としている。国府田は頭痛を受け流した。

「ええ……テストも近いので」

「そっか。頑張ってね」

 川屋は机に伏せたまま手を振った。


 国府田は寮監督室に侵入した。鍵は開いている。郵便物が届いたり、人の出入りがあるので鍵はかけないのが通例だった。中には想定通り誰もいない。学校が終わってから、寮生が多く集まる夕食時までの間は空室になることが多かった。

 国府田は入り口から一番遠くにある木製の棚の引き出しを開けた。部屋番号らしきものが書かれた鍵が大量に入っていた。川屋の部屋の番号の鍵を掴み、小走りで寮監督室を出た。

 川屋の部屋へ向かう。寮の最奥に位置しており、他の部屋との間には倉庫を挟んでいて、他の寮生の個室と比べると独立性が強い。寮内に何箇所か存在する監視カメラの1つが、川屋の部屋につながる廊下を一望できる位置に設置されていた。活用されているのを見たことはないが、国府田は緊張で体が固まるのを感じた。


 国府田は川屋の部屋の扉を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る