第40話

 目の前にはチョコレートケーキというものがある。私は茶色のクリームのケーキを人生初めて見た。


「これが? チョコレートケーキなの?」

「そうよ。あら? 初めてなの?」


 お皿を目の高さまで持ち上げ、じっくりとケーキを眺めている私の姿を見てクリスティーナの方が不思議だったらしい。


「初めてよ。このクリームって何故茶色をしているの? チョコレートが混ざっているの?」

「そうよ。それはチョコの生クリームよ。チョコレートの他にココアも混ざってるの。とっても美味しいわよ。もしかすると、この手のチョコレートケーキってこの国だけなのかしら?」


 この国では、チョコレートケーキはチョコの生クリームを使うデコレーションケーキの事を言うらしい。クリームを絞った所にはリーフをかたどったチョコレートと紅いイチゴが乗せてあり、その周りには金箔を散りばめてある。見た目は上品で繊細でとても綺麗だった。ドルーニア国ではチョコを混ぜた生クリームは見たことがない。そしてこれほど美しい飾り付けをしたケーキも見ない。これもこの国の文化なのだろうか。


「美味しそう……。綺麗で食べるのがもったいないわ。私の知っているチョコレートを使ったケーキはココアを混ぜた茶色スポンジケーキに白い生クリームを上に塗ってあって、その上に削ったチョコやチェリーやイチゴを少し飾ってあるのよ」

「ふふふ。あら、それも美味しそうね」


 二人でそっとフォークをケーキに入れる。しっとりとしたスポンジケーキの中には、カットされたイチゴが挟んであり、ひと口、口に入れるとチョコレートのほろ苦い甘みとイチゴの甘酸っぱさが絶妙なバランスを保って美味しい。じんわりと甘みが体に染み渡るようだった。


「うーん、美味しい。クリスティーナ様、とっても美味しいですわ!」

「それは良かったわ。日替わりで色々なケーキが出てくるから、また別の日に来ると違うものが食べれるわよ」


 そんな女子トークを楽しんでいると、一人の男子生徒が近くに寄ってきた。年は私より少し下……5歳ほど下の男の子だ。身長も私より10センチほど低く、少しオドオドした様子で、どうしたのだろうと思っていると、緊張してか、どもりながら後ろに隠していた花を私に差し出してきた。


「レ、レ、レミリア様。こ、これを……ど、どどどどうぞ!!」


 赤色のバラを一本にピンクのリボンが結ばれていた。


「あ、ありがとう?」


 私がその男子生徒に呆気にとられ、ついバラの花を受け取ってしまった。男子生徒はバラを渡すと店を出て走り去っていった。クリスティーナは片手で頭を支え、やってしまったわ、と呟いている。私も数秒後に彼女と同じことを思ってしまった。


「受け取ってしまったわ」

「レミリア様、もう少し危機感をお持ちになった方がよろしくてよ」

「……はい」


 何も言い返せない。好意を持っていない相手からは花1本でも受け取らない方が良いのは分かっている。でも、あんなに可愛らしい年下の男子生徒からバラ一輪を差し出されるとは思っていなかった所為か、何も考えずに受け取ってしまった。私は受け取ってしまった花を凝視しする。


「その花はどうしたんだ?」


 また、後ろから聞きたくない声が聞こえた。振り向くとダリルとアルトだった。ダリルとは同じクラスだから教室で会うのは仕方がない。それは諦めている。けれど、放課後まで顔を合わす必要も無いのに、どうしてもこんなにも私の近くに出没するのかしら。やっぱり、クリスティーナに好意を持っていて、一緒にいたいのではないのかしら。


「王太子殿下……」

「誰から受け取ったんだ?」


 ダリルは何故か不快な感情を露わにして問い詰めて来た。けれど、私はあの男子生徒が誰かわからない。別にクリスティーナが受け取った花ではないのだから、あからさまにそこまで不機嫌にならなくても良いと思った。


「レミリア嬢、そのバラの意味を知っているか?」


 ダリルは膨れっ面をしながら、私の持っているバラの花を見入る。


「いえ? 何か意味があるのですか? 花言葉ですか?」


 私は、今まで元婚約者から花を贈られたことがなかった。だから、花言葉は殆どしらない。贈られていれば、その意味も知ろうとしたのかもしれないけど。全く花には縁がなかったから、花言葉なんて興味がなかった。


「レミリア様、この国ではバラに込められる意味は『愛』です。赤色は『情熱』。そして、その本数……1本は『ひとめぼれ』を意味し、そのリボンの色が『愛情』を意味しますのよ。その組み合わせの意味を合わせると、我が国では『もうあなたしかいない』と解釈するのです」


 クリスティーナが1本のバラに込められたメッセージを淡々と説明してくれた。しかし、その説明を聞いて受け取ってしまったことに後悔した。


「ひぃっ……」


 あの可愛らしい男子生徒がそんな意味を込めるなんて。そしてリボンにまで意味があったなんて知らなかった。あまり意味も考えずに受け取ってしまって、私の顔が青くなる。


「はああ……レミリア嬢は全くどういう神経をしているんだ? その手の話は麻痺しているとしか思えない。お化けでも見たような顔色だな。普通の令嬢は、顔を青くせず、赤らめるはずの場面だが……あ、普通の令嬢とは違ったんだよな」


 苦笑し呆れ返るダリルに、「可哀そうに。これでは全く脈なしですね」とアルトがにこやかに続けた。


 今、何か聞き逃してはいけない言葉がたくさんあったように感じた。


「王太子殿下。その手の話とはどんな話なのですか?」

「恋愛の話だが。レミリア嬢は異性から『好きだ』と言われると、顔色が青くなるタイプだろ?」

「ち、違います……」

「本当か?」


 ダリルはじっと熱の籠った瞳で私の目を見てくる。じわりじわりと冷汗が背中流れる感じがした。血の気が引いていく。


「レミリア嬢、好きだ」


 ダリルの一言に一気に青ざめるのが自分でもわかった。その様子を見ていたアルトが笑いを堪えて、それを見たダリルは眉を顰めた。


「だから何故、青ざめた顔色になる。赤くなるのが普通だろ? 地味に傷つくんだが……」

「い、いえ、王太子殿下が……そんな変な事を言うからです……」

「俺だから青くなるのか? しかも、変な事って……それは、おかしいだろ? 普通の令嬢は青くならないぞ」

「では、私は普通の令嬢とは違うのですか?」

「違うだろう? 青くなるのだから。クリスティーナ嬢、この恋愛音痴はどうにかならないのか? 一体どんな恋愛をしてきたらこうなるんだ?」

「ダリル殿下。私の予想では、恋愛をしてこなかったからこんな拗れた恋愛音痴になっていると思われますわ。殿下も大変ですわね。」


 何かひどい言われような気もする。周りの人は皆、恋愛をしてきているような言い方だ。


「それは、王太子殿下もクリスティーナ様も恋愛をされてきたような言い方ですよね? そんな経験をされてきたのでしょうか?」


 私は二人に聞いた。するとクリスティーナは顔を赤らめ、「私は幼い時に騎士様に……」と恥じらいながら言った。


「え? そんな話は聞いていないぞ」

「私の初恋ですもの。誰にも言わずに、密かに心に留めておきましたのよ」


 幼い頃から一緒に遊んでいたはずのダリルは、初めて聞いたことに些か呆気にとられていたが、やっぱり私の持っているバラが気になったのか、そんな意味のこもった花を誰が私に贈ったのか知りたいらしく、クリスティーナに聞いていた。


 けれど、クリスティーナも「わざわざ、教える事もないわ。どうせ、脈なしなんだから」とその男子生徒を哀れに思ったのか、特に教えなかった。年下だと聞いてダリルも深く追求するわけでもなく、まあ良いか、と言ってそれ以上の詮索をせずに諦めていた。しかし、此処はカフェだ。生徒たちがいるカフェだ。その様子を見ている生徒が数人いることを私たちは失念していた。


 

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