第3話

 父と話をしていると兄のラルスが応接室に入って来た。私が父に抱きついているのを見た兄は、不貞腐れるように言った。


「父上、ずるいです。俺だって、抱きつきたいのに!」

「お! 良いぞ! おいで。ギュッと抱き締めてあげようじゃないか」


 その言葉を聞いた兄は顔を顰める。父は何という勘違いをしているのだろうか。残念な父である。

 私は、兄のそばに行くと両手を広げてくれた。その腕の中に入ると、優しく抱きしめ、そっと髪を撫でてくれる。

 それがとても心地良い。


 やっぱり、当然私よね。父の勘違いにもほどがあるわ。


 ふと、父の顔を見るととても悲しい表情をしていた。抱きつきたい相手が自分じゃないと分かったのだろう。


「あんな奴との婚約が無くなって良かったよ。エミーリアの良さはあんな奴には分からないさ。でもこれからどうするの?」


 兄は頭を撫でながら言った。


「今、お父様にも言っていたんだけど、私暫くは婚約の話はいらないわ」

「そんなにあいつに婚約破棄されたことがショックなのか?」


 兄は心配そうに私の顔を覗き込む。私がショックを受け、暫く婚約は誰ともしたくないと思ったのかもしれない。そんな兄の勘違いを否定するように私は兄の顔を見上げて言った。


「いいえ! もう嬉しくて、これから暫く自由を青春を謳歌しようと思ってますのよ。それはもう、ワクワクしているんです」


 エミーリアの希望通りになればいいけれど、と兄は何故か大きな溜息を吐いた。


「エミーリアは自分の事になると本当に疎いよね。これで婚約が無くなったからね、きっと周りの年頃の男が黙っていないよ」

「そ、そんなことないですわ。だって皆さま婚約者様がいらっしゃるのではないのでしょうか?」

「明日からはきっと卒業パーティーのエスコートの申し込みが殺到するんじゃないかな?」


 え? そ、そんな、と私は慌てた。

 兄の話では、いずれクリフと婚約が破棄されるか解消されるか、どちらかになるだろうと、学園に入学しても婚約者を決めていない男子学生が何人かいたらしい。


「お、お兄様、卒業パーティーには、もちろんエスコートして下さりますよね」

「もちろんだよ。でも、エスコートの申し込みの中に断れないあいてもいるんじゃないかな?」


 兄は何とも不安な事を言い出した。確かに我が家より爵位が格上になると断れりきれないかもしれない。第一、王家、公爵家あたりはもうすでに決まっていらっしゃるはず……そんな所からお誘いが来るとは思わない。こんな、私ごときに。そうよ、きっと大丈夫ですわ。


◇◇◇


 次の日、学園に到着するなり一つ年下の女子生徒から、控えめな声で話かけられた。私と違って、シルバーブロンドの長い髪にピンクローズの色の瞳。とても男子生徒に人気のある伯爵令嬢のルシア・ブロッサム。彼女は兄の婚約者だ。


「エミーリア様、ごきげんよう」

「ごきげんよう。ルシア様」


 ニコリとお互い挨拶を交わしたとたん、ルシアに手を引っ張られ、中庭の人気のないベンチに座らされた。


「エミーリア様、大丈夫なのですの!?」


 え? と驚いた。あのいつも控えめな兄の婚約者が、ルシアが、血相を変え私の両腕を掴みながら言った。


「あ、あ、は、はい?」


 何が大丈夫なのでしょうか? ルシアが怖いです。いつもの控えめなルシア様は何処いずこに?


「婚約破棄ですわ! ラルス様にとっても私にとってもは喜ばしい事だったけれど、エミーリア様がこの時期に婚約が無くなってしまうなんて……」


 物凄い勢いから段々と気落ちし落胆するように意気消沈していく。『私にとっても喜ばしい事?』と聞こえた。ブロッサム家でもあの方は歓迎されていなかったのね。そして彼女にも心配をかけさせてしまったのだわ、と私は申し訳なくなってしまった。


「ルシア様、ご心配をお掛けしまして、申し訳ございません。私もあの方との婚約が無くなって清々しておりますの。ああ、名前も言いたくもないですわ」


 にっこりと微笑み、そう言うとルシアもホッとした様子だった。


「いいえ、エミーリア様がそれでよろしければ。実はと言うとあの方がラルス様の義理の弟になることが嫌で……婚約が無くなってホッとしておりましたわ。あ、私としたことが」


 きっとルシアも色々と思うことが有って溜まっていたのでしょう。次から次へと信じられない言葉が口から出て来ていた。私は暫く呆気に取られてしまったが、周りに誰かが聞いているかもしれない。話題を変えなければ。


「それより、ルシア様。卒業パーティーに兄をお借りしてしまいます。ごめんなさいね」


 彼女は一つ年下なので卒業は来年だ。だから兄のエスコートには何の問題も無いけれど、一応、婚約者なので了解を得ていた。けれどこの機にもう一度謝罪をしておきましょう。


「いいえ、私は来年ですので、その時にエスコートをして頂ければ、問題ありませんわ。それに、ラルス様の妹ですもの。全然大丈夫でしてよ」


 ルシアは、ふふふと笑ってくれた。けれどすぐに真顔になり、


「でも、これが違う女性の方でしたら、許しませんわ! ラルス様やお相手の方には……」

「だ、大丈夫です。兄に限ってそんな事はありませんから!」


 何やら不穏な空気になりかけたので、私は慌てて否定した。今までに見たことのないルシアに少々焦りを感じてしまった。これは兄に浮気をしないように釘を刺し、監視しておかないといけない事案かもしれない。大丈夫だと思うけれど、万が一と言う事もある。


「エミーリア様。もし、婚約者をお探しなるのであれば、私の両親からも良い縁談を探してもらいましょうか?」


 私の両手を握りしめながらルシアは控えめに言う。やっと、普段のルシア様に戻ってくれたわ。ブロッサム家からの紹介なら安心出来るけれど、やっぱり今は自由を青春を謳歌したい。


「ありがとうございます。でも、しばらくは婚約者様は遠慮したいのです。10年ぶりの自由ですもの。楽しみたいですわ」


 ルシアにお礼を言って、今後の希望をお伝えした。彼女は目を丸くしてから、心配そうな顔をした。


「それは、大丈夫なのでしょうか? いくつかの心配がありますわ」


 え? そうなの? そんないくつかの心配ってあるの? と私は急に不安になってきた。どんな心配があるのだろうか。


「まず、自由を楽しまれている間に、婚期を逃してしまうこともありますわ。それに、周りが黙っておりませんわ、きっと。伯爵令嬢でこの美貌ですもの。こんな方がフリーになったら……ああ、考えただけでも恐ろしいですわ」


 ルシアはブルブルと自分自身の体を抱きしめるようにして震え出す。


「ルシア様、大げさすぎます。ルシア様ほどの美貌ならともかく、私のような人間に早々、婚約を申込してくる方なんておりませんわよ」


 そう言うと、ルシアは頭を数回、横に振って軽く溜息を吐いた。


「当の本人がこれではラルス様もご心配でしょうに……伯爵令嬢ですよ。こんな優良物件を見逃す男って、男じゃないわ」


 はて? またルシアの言葉が乱れだした。 私が、優良物件? 何だそれは? もしかして、こっちがルシア様の素?


 ハッと、ルシアは口に手を当てる。自分の言葉遣いに気付いたらしい。顔を赤くして、へへへ、と笑っていらっしゃる。笑ってごまかそうなんて、私はごまかされません。


「ルシア様……今のルシア様が素なのでは? 普段の控えめなルシア様は猫をかぶっていらっしゃるのでは?」


 てへへへ、とまた笑ってごまかそうとするルシア。でも、こちらのルシアも親近感があっていいかもしれないわ。兄はこの事を知っているのかしら?


「さておき、エミーリア様。それで婚期を逃しても良いのでしょうか?」


 真面目な顔をしてルシアが聞いてきたので私は、真面目に答える。


「ええ、逃したら逃したで、令嬢としては出来ない事をやってみようかと思っておりますの。まだ、これと言ったものは決まっていないのですが……その、兄とルシア様がご結婚されるまでには、伯爵家を出ようとは思っております」

「ええ!? そんなあ、出て行かないでください! ずっとずっと一緒に居て下さってもいいんですよ! いえ、居て下さい!」


 ああ、なんて嬉しい事を言ってくれるのでしょう。ルシアが兄の婚約者で良かったわ。ルシアと一緒に居ても楽しそうだけれど、やっぱりケジメは付けないとね。






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