第31話 クリフの恋
行くべきか、行かざるべきか。
俺はあれからずっと迷っていた。俺自身、驚いている。まさか今頃、彼女に恋をするなんて。
卒業パーティーから帰って来てから……違う。彼女のあの笑顔を見た瞬間から、ずっと彼女のことが頭から離れられない。そして自分がどれだけ愚かだったのか、思い知らされた。レグルス家との約束を除いても、せっかくの婚約をダメにしてしまった。婚約している奴らの中でも政略結婚のため婚約をしている者も何人か知っている。しかし、殆どの者が互いに歩みより結婚をしようとしていた。俺は何故、エミーリアに歩み寄ろうとしなかったのか。
今から会いに行っても良いだろうか? 彼女と今からでも話が出来ないだろうか? もう一度、ゆっくり会えないだろうか?
一晩中、そんな今更の事を考えていた。ただ自分がどう行動すべきが正しいのか、理解はしている。エミーリアの事を考えれば、もう関わらない方が良いと思う。だけどこのまま関わらずいれば、きっと自分は後悔するだろう。絶対、後悔する。ならば、会いに行くべきだろうか。まだ彼女は誰かと婚約したと聞いた事がない。だから行ってもなんの問題もないはず。いや、俺が会いに行くこと自体が問題なんだが。
ふと、自室の鏡を見た。ウダウダと考えている自分にもびっくりした。なんとも情けない顔だ。笑えるよな。あの自身満々に満ちていた自分は結局はこうだ。
「よし! ウジウジと考えていても仕方がない! 明日、朝のうちにレグルス家に行って、エミーリアに会わせてもらおう」
会わせてもらえるかは分からない。いや、会わせてもらえない方が可能性が高い。でも、何もしないで後悔するよりかはずっと良い。
外を見ると薄っすらと明るくなってきていた。しっかりと身支度をする。花屋が開店すると同時に花を購入しに店内に入った。明るめのレンガ造りの小さな店舗だったが、エレガントで可愛らしいお店だった。一本一本の値段を見ながら迷う。高価な花は買えないのは分かっている。だけど、エミーリアに合う花、好きな花を買っていきたかった。花を見ているうちに気づいた。俺はエミーリアの好きな花を知らない。何年一緒にいたんだ! と自分を殴りたくなった。
「くそっ! 無駄に時間を費やしていたんだな」
もうあの時間は戻ってこない。本当に情けないな。そう自分を責めているとふくよかな、愛想のよさそうな中年の女性店員から、「どんな花を探してるんだい?」と尋ねられた。どんな花と言っても全く分からない。
「好きな子に花を贈りたいが、どんな花が好きなのか分らない」
そう店員に素直に伝えた。『好きな子』という言葉に自分の顔が少し赤らんだのが分かる。凄く心臓がドキドキとした。
「それなら、その子の事を想いながら選んでだら良いよ」
「え?」
「その時間がお客様にとって、とても幸せな時間になるはずだよ」
「でも、その子に嫌われているんです」
「それでも、一生懸命選んだ事には変わりない。好きな子の事を想い、花を選ぶ。あんたにとって幸せな時間だと思うよ。たとえ受け取ってもらえなくて悲しい思いをしても、ね」
店員はそう微笑みながら言った。
一生懸命選ぶ……か。そういえばそういう事をしたことがないかもしれない。俺は店内に置いてある花を見た。大きさも色々とあり、赤、ピンク、オレンジ、白、青。多種多様な花が店に売られていた。
「あ……あの花は?」
紫色の花が目に留まった。
「ああ、スターチスだね」
「綺麗な紫色ですね。花の中に白い花が……」
紫色の花の中に2個ほど小さい白い花が咲いていた。
「あれは実は紫色の部分は花に見えるが
店員は丁寧に説明をしてくれた。こんな綺麗な紫色が萼なんて思いもしなかった。エミーリアの瞳の色を思い出すような紫色。
「これにします!! たくさん買えないのですが……」
俺が申し訳なさそうに言うと、店員は嫌な顔をせずに数本のスターチスを束ね、他の花も数本入れてくれた。茎が細くて、これもちいさくて八重咲の白い花だった。スターチスに合わせるとレースをあしらったように見えて綺麗だった。
「こちらの花はサービスにしておいてあげるよ。これはカスミソウっていう花だけど、こうやって一緒に入れると華やかになるだろ? 受け取ってもらえるといいね」
「ありがとうございます」
俺は店員に料金を支払うと、もう一度お礼を言って紫色の花束を手に馬車に乗った。花束を見つめながら、エミーリアを思い浮かべる。以前の自分にはなかった感情。なんだか、くすぐったい気持ちになった。
これを見たらどう思ってくれるだろうか。受け取ってもらえるだろうか。不安な気持ちもあったが、そんな事を考えている時間も心がじんわりと温かい。店員が言っていた『幸せな時間』は、こういう事だったのだろうか。
そう考えているうちにレグルス伯爵の家の前に着いた。馬車から降りると緊張で心臓がバクバクとする。エミーリアに会えるだろうか?
門の前に立つと気持ちの問題だろうか、白い大理石で出来た門にはばかられているような雰囲気を醸し出しているように思えた。花束を持ってどうしようか迷い、門の前でウロウロしていると屋敷の中からエミーリアの兄、ラルスが出てきた。
「怪しい奴が門の所でウロウロしている、と聞いたのだがクリフだったのか? 今更、何か用か?」
棘のある言い方でラルスが言った。
「エミーリア……エミーリア嬢に会いたい。会わせてほしい。お願いします」
必死に頭を下げた。俺には「会わせてほしい」と頭を下げることしか思いつかない。ラルスは目を丸くして驚いていた。多分、今まで俺が頭を下げる所を見たことがなかったからだろう。
「帰れ!」
冷ややかな目をしてラルスは俺に言葉を投げつける。やっぱり、すんなりと会わせてもらえないか。それは最初から予想できた事だ。だから、地道に頭を下げてお願いするしかない。
「お願いします。会わせてください! エミーリア嬢と話がしたいです。お願いします」
「話? 今更か?」
ラルスは俺を睨みつけている。当然だ。虫が良すぎる話だ。だけど、俺はもう後悔はしたくない。
「その花は? エミーリアにか?」
俺が持っていた小さな花束にラルスが気づいたようだった。俺は手に持っていた花束を見つめ、簡単に諦めては駄目だと自分に言い聞かせる。
「彼女の事を想って……小さい花束だけど……は、初めて自分で選んできました……」
ラルスは考えるように暫く黙ったままだった。重い重い沈黙の後、ラルスは呆れるように大きく溜息を吐いた。
「今更、そんな事をしてどうする? エミーリアの気を引こうと?」
俺はラルスの一言に言葉が詰まった。確かに気を引きたいという気持ちもある。だけど……ただ、会いたい。会って話をしたい。何も着飾る言葉はいらない。正直な今の自分の気持ちを伝えたい。
「会って……会って話をしたい。ただ、それだけです」
俺は拳を握りしめた。今はそれだけで十分。それ以上のことを今は望まない。
「残念だけど、エミーリアには会えない。エミーリアはここにはいない」
「え? い、いないってどういう事ですか?」
「今朝、留学したよ」
「え!?」
俺はそんな話は聞いていない。頭の中は真っ白になった。確かに俺との婚約が解消になった時点で俺に言う必要はない……。俺は何も考えられなくて茫然と立ち尽した。
「……フ、おい! クリフ!」
ラルスの怒鳴るような声で呼ばれ、ハッと我に返った。
「どこに!? どこに留学をしたんですか!?」
「俺が教えると思うか?」
俺はグッと歯を食いしばる。エミーリアの居場所を知りたい。諦めない。諦めたくない。じゃあ、どうすれば良い? どうすれば……
気が付くと俺はラルスの前で土下座をしていた。この機を逃すと、もう会えない気がした。
「教えてください! エミーリアは何処に!? お願いします!!」
「まあ、いいか。ハンシェミント国に行ったよ。でも、会いに行っても会えるかわからないけどね」
ラルスの表情は先程の冷たさは見られなかったが、少し呆れているように見えた。
俺はすぐに帰りエミーリアを追いかけるため、ハンシェミント国に行く準備をした。
あの笑顔を見たくて……。
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