第32話 メイナードの失敗

 興奮してなかなか眠れず、椅子に座ってうたた寝をしていた。朝が待ち遠しくてカーテンを閉めずにいた窓からは、天空が薄らと明るい。薄明を迎えようとしていた。俺は窓を開け、バルコニーに出た。まだ冷気を含んだ風が頬を掠める。だが、夜が明けることの喜びと嬉しさで、殆どその冷たさが気にならなかった。俺は思いっきり背伸びをし、体を伸ばす。じわりじわりと陽が昇り始めた。


 昨夜のうちに昼前までに花束を用意しておくようにと側近のルッツ・グレイド伯爵令息にお願いしてあった。それが届き次第、レグルス伯爵家に向かう予定だ。「ご自分で選ばれたら?」と言われたが、俺にはそんな時間がなかった。俺は朝日を見ながらリアと何を話そうか考えていた。なんだか幼少期に戻ったようだ。あの頃もリアに会えることが待ち遠しかった。俺は朝食を食べて、支度をする。花束が用意できたと連絡を受け、それを持って馬車に乗った。


 花束は赤いバラだった。色は昨日俺が来ていた装いと同じ色だ。という事は、リアのドレスとも同じ色だ。ルッツもなかなか気が利くじゃないかと思った。俺はルンルンで馬車の窓から外を眺めていた。


 レグルス家が見えてきたころ、一台の馬車がレグルス家の前から走っていった。馬車が止まり降りると、ラルスが何故か微かに笑いながら走り去っていった馬車を見ていた。


「おい、ラルス。今のは誰だ?」

「お、お前……あ、いや、メイナード殿下。おはようございます」


 ラルスにしては珍しく狼狽えていた。走りに去っていった馬車に一体誰が乗っていたのか気になるが、狼狽えたからって俺をその呼び方はいただけないな。


「ラルス、今、俺の事を『お前』とよんだだろう?」

「いえ、気の所為ではございませんか?」


 一瞬で普段のラルスに戻った。気の所為でもなんでもない。実際に口にしたはずなのに、謝るどころかなかった事にしようとしている。本来ならここで強く出てもいいと思ったが、これからリアに会おうとしているのに険悪モードにはしたくない。


「まあ、いい。こんな朝早くに誰か来ていたのか?」

「……メイナード殿下は知らない方が良い人です」


 卒業パーティーが終わった翌日にすぐ来客があるという事、俺が知らない方が良いという事ならエミーリアに会いに来たと考えてもおかしくない。そう考えると少々胸糞悪い気分になる。


「ところで、殿下はどのようなご用件で我が家にいらっしゃったのでしょうか?」

「昨日、リアに『挨拶しに行くよ』って言ってあったと思うけど」

「聞いております。ですが、それは『国王の許可』が必要なのでは?」

「昨夜のうちにもらったよ」


 淡々とした会話をし、最後の一言で俺に鋭い目線を向けるラルスに対して、にんまりと笑ってやった。多分、俺が国王から婚約の許可をもらってくるという事を大方予想を踏んでいたのだろうが、こんなに早く来るとは思っていなかっただろう。俺だって、すんなりと伯爵家との婚約を許可してもらえるとは思っていなかった。


「リアと伯爵にあわせてもらえないだろうか」


 早くリアに会いたい。リアの顔を浮かべれば先程の嫌な感情も薄れていく。


「どうぞ、こちらです」


 ラルスは素知らぬ顔で、俺をすんなりと門に通した。その事に何か変だと思った。すぐに通させてもらえたことに違和感がある。俺が第二王子だからか? 


 応接室に通させてもらい、ソファに座る。少々お待ちください、とラルスは一旦、応接室を出ていった。花束を自分の横に置き部屋をぐるりと見渡す。幼少期にお忍びで遊びに来ていた時と変わりなかった。ただ、自分の目線が高くなったせいか部屋全体が少し狭く感じる。それだけ俺も成長したんだな、と今更ながらそんな事を思った。


 時間にして十数分経った頃だろうか、ノックの音がすると、「失礼します」とレグルス伯爵が入ってきた。続いて伯爵夫人、そしてラルス。……エミーリアがいない。


「ようこそ、お越しいただきました。メイナード殿下」と三人は俺に挨拶をし、向かい側に伯爵、隣にラルス、そして伯爵夫人はソファに空きがあるのに、敢えて俺の斜め後ろの少し離れた所に椅子を用意し、そこに座る。


 何故そこに座る? と俺は不思議に思った。


「さて、殿下。どのような事で我が家にいらっしゃったのでしょうか?」


 レグルス伯爵が涼しい顔で言う。


「エミーリアが何故いない? エミーリアに会いに来たとラルスに言ったはずだが」


 伯爵とラルスは顔を見合わせている。そして、伯爵はチラリと隣の置いてある花に目を向ける。


「その花は?」

「これはエミーリアに渡そうと思って持ってきた」

「メイナード殿下、それは誰がお選びになられたのでしょうか?」

「私の側近だが……それが何かあるのか?」


 そう俺が答えると、何故か冷気を感じ部屋の室温が急激に下がった気がし、ゾクッと寒気が走った。だが、目の前の伯爵とラルスは俺を睨み付けているわけでもない。二人とも微笑んでいる。しかし、目が笑っていなかった。


「メイナード殿下は……エミーリアの事はどう思われていらっしゃるのでしょうか?」


 何故か機嫌が悪くなった目の前の伯爵たちだ。そしてそれ以上に後ろから痛い視線を感じる。多分、夫人の視線だろう。俺は振り向いて確認をしようと試みてみたが、後ろを振り向く勇気が出ない。物凄い殺気を感じる。俺は何か間違ったことをしてしまったのかと思ってしまう。伯爵の問いになかなか言葉が出ない。


「……リ……リア……リアを婚約者にしたい」


 俺はこの国の王子だ。なのに、たかが伯爵家の人間の何も言わせないと言わんばかりの迫力に負け、蛇に睨まれた蛙のようにならなくてはならないのだ?


 何とか声を出す。


「リアに……会わせて……もらえないだろうか?」

「お断りします、と言ったらどうされますか?」


 伯爵はにこやかに微笑んでいるが、斜め後ろから本当に大蛇に睨まれているような気がして、言葉が出ない。一体、夫人は何者なんだ? 冷汗が出てくる。俺はこの気迫に負けてたまるものかと思い、強めの口調で自分の希望を言った。


「リアに会わせてもらえないのなら、王宮まで呼び出すまでだ」

「ほほう! 権力を振りかざすおつもりですか? それで、エミーリアが嫌だと言ったらどうされるおつもりで!? 我が娘、エミーリアの気持ちはお考えにならないのですか!?」


 穏やかに話を進めていた伯爵が声を上げた。『エミーリアの気持ち』それを言われて、自分でも言い過ぎたとは思った。出来ればゆっくりでも良い、自分に振り向かせるつもりでいたのに、会わせてもらえないと言われるかと思い、勝手なことを言ってしまった。そして、斜め後ろの夫人が大蛇以上の殺気を感じた。いや、実際は大蛇を見たことは無いんだが、そう感じさせられるほどの強い殺気だった。


「す、すまない」


 俺は素直に頭を下げた。


「素直に非を認められることに対しては認めましょう。ですが、その花束です。以前のドレスもそうでしたが、殿下ご自身で選んだものではないですよね?」


 ラルスは俺に対して見下したような軽蔑の眼差しを向ける。確かにドレスはルッツにリアの後を付けさせ、彼女が一体どんな物に興味があるのか、どんなドレスを欲しがるのかを調べてもらった。花もルッツに用意するようにお願いした。それの何処が悪いというのだろう。


「父上、今朝の来客の方の、お名前を伏せてお話をしても良いでしょうか?」とラルスが伯爵に確認をした。

「許可する!!!」


 伯爵が口を開く前に、俺の斜め後ろに座っていた夫人が声高らかに言った。


 

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