第15話
「なんだと? 留学をしたいだと?」
「いいえ、お父様。まだ考えている段階です」
メイナードからの贈り物の話から、少し時間が経っており、母がメイドにお茶の用意をさせた。そして父は持っていたお茶の入ったカップを落としそうになり、隣に座っていた母が慌てて手を添えた。父は私が急に『留学を考えています』と言ったことに驚いた様子だった。
「また、急にどうしたんだい? 何か嫌なことがあったのかい? それとも此処から出ていきたくなったのかい?」
隣に座った兄は眉尻を下げ、心配そうに私の顔を覗き込む。兄も驚いたのだろう。
「い、いえ。お兄様、この家から出ていきたいとか、そんなことではありません」
まあ、嫌な事というより、面倒な事があるといえばあるけれど、そんな理由で留学を考えた訳ではない。面倒な事と言うのは、当然メイナードの件なんだけれど。
なんの前触れもなく、それこそ今までに『留学』の『留』さえ私は口に出したことがなかった。急に留学を考えていると言ったからか、父と兄は不思議に思ったのかもしれない。
「エミーリアは、どこの国へ留学を考えているの?」
母だけは落ち着いていた。穏やかな口調のいつもの母に戻っているようで、私はホッとした。そして、今日のリリエラ・ハルミトン子爵令嬢とミナリー・バルティア子爵令嬢とのお話しした内容について話した。ついでに彼女たちとの話が盛り上がり、帰りが遅くなったことも話す。
「そうだったわ、彼女たちのお母様方もハンシェミント国の出身でしたわね」
「え? お母様、『も』って何ですか? 他にハンシェミント国の出身の方がいらっしゃるのですか?」
少し驚いた表情をした母だった。
「あら? 教えていなかったかしら? 私の母もハンシェミント国の出身だったのよ。ハンシェミント国では、ちょっとした貴族だったのよ」
母はニッコリと微笑む。
「え? 初めて聞きました!」
母の母、いわゆる私にしたら祖母に当たる方がハンシェミント国から嫁いできたらしい。これは我が家にとっても縁のある国なので、留学もありなのかもしれない、と思って父の顔を見ると、「あれがちょっとした貴族だと?」と呟き、何故か顔を顰める。
父の反応では、ちょっとした貴族ではなく、かなりの高位貴族らしい。今度は兄の顔を見た。こちらも、何か困った顔をしている。
「お父様、お兄様は、その……留学は、反対……なのですか?」
もしかして、反対されているのかもしれないと思った。けれど父も兄も何も答えてくれない。私は母の方を見た。母の表情は父と兄とは対照的でにこやかにしていた。何も言わない父と兄、にこやかに話す母の様子の違いに私は戸惑いを感じながらも話を聞く。
「ハンシェミント国は良いわね。違った文化もあるし。それに、治安も悪くないわ」
「はい。私は『ハシ』や『フデ』という物のお話を二人からお聞きました。まだまだあるようですので、興味があります」
私のわくわく感が表情に出ていたのか、母はクスクスと笑った。
「留学をしたいのなら、私からハンシェミント国に手続きしておきましょう。でも、エミーリア、よく考えるのよ」
母がそう言うと、カップを持ちお茶を飲む。とても流れるような優雅な姿勢だ。娘の私が見ても惚れ惚れする。母方の祖母は、やはりそこそこの高位貴族だったのだろう。私の予想では侯爵家あたりだろうと思った。
翌日、学園に行くと門の所で血相を変えたルシアと会い、挨拶する暇もなく早々に左腕を引っ張られ中庭へ連れて行かれる。
「お姉様。どう言う事ですの!?」
可憐なルシアの表情が怖い。目を見開いて怒っている。そして地味に掴まれている腕も痛い。
「お、落ち着いてルシア様。それに、その『お姉様』呼び、やめてほしいわ」
「あら、どうして?」
つい先程まで怒ったような顔をしていたルシアは急にコテンと可愛らしく小首を傾げる。いつもこの仕草で兄がメロメロになっているのを私は知っている。でも、私は騙されない。
「え、だって兄と結婚される方が義姉になるのに」
「構わないわ。私が年下ですから、私の好きなように呼ばせていただくわ」
ダメだわ、これは。何を言っても引き下がらないタイプだわ。
「そんなことより、お姉様! ラルス様からお聞きしましたわ」
「早っ! って何を、どれを聞いたのですか?」
可憐なルシアの瞳が怖い。頬を膨らませこちらを睨みつける。でもちょっと可愛い。
「ドレスの件とりゅっ……」
私は、慌ててルシアの口を塞いだ。
「ご、ごめんなさい。ドレス以外の話は誰が何処で聞いているか分からないから、別の場所で話しましょう」
私は、ルシアの耳元でそっと説明する。ルシアは黙ってコクコクと頭を縦に振った。私は辺りをキョロキョロして確認する。
「そうですわね。あの方が聞き耳を立てているかもしれませんからね」
ルシアも小声でコソコソと言う。私もウンウンと頷いた。
「でも、本当に怖いですわね。ラルス様から大方の話はお聞きしましたわ。はあ、あの方にも困ったものですね」
ルシアは大きな溜息を吐く。私事なのになんだか申し訳ない気持ちになった。
「ルシア様にまでご心配をお掛けしてしまっているようで……ごめんなさい」
気分が萎える私にルシアは、頭を撫でてくれる。
「お姉様……元気がないお姉様はらしくないですわ。ほら、笑ってくださいませ。今日は学校はお昼で終わりですよね。お姉様の屋敷にお伺いしてもよろしいでしょうか? ここで、お話しにくい事もありますでしょう。何処かのカフェと思っていたのですが、ちょっとそういう訳に行かなくなっておりますのよ」
「どう言う事ですか?」
「あの方が……」
ルシアは人が周りにいないか確認し、耳元でコソコソと話す。
「はあ!?」
私はまた素っ頓狂な声を張り上げてしまった。ルシアは苦笑いをする。
ルシアが言うのは、学園の外に出ればメイナードがずっと私の後を付いて歩くわけにはいかないから、代わりに側近が私を見張っているらしい、と言うのだ。
私は長い溜め息を付いた。今、この瞬間もメイナードが何処かで見ている可能性があるのだ。そう思うと、とても怖い。
「ルシア様、私、頭が痛くなってきましたわ」
「同情いたしますわ……」
それから、私とルシアは自分たちの教室に戻った。教室に着くとリリエラが私に気づき、「お姉様、おはようございます」と声をかけてきた。
「お……おはようございます」
私は何とか微笑みの表情を作り挨拶をし、窓際の自分の席に座る。けれど、いつもと違う作り笑みに気づいたリリエラは、心配そうな表情になる。
「お姉様、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
リリエラは教室をぐるっと見回した。廊下の扉の方を見ると、そこに誰かがこちらを見ていたようで、そこから私が見えないように立つ。
「お姉様、本当に大丈夫ですか?」
「そんなに酷い顔をしてますか?」
「はい。鏡で見てみますか?」
そう言うとリリエラは、自分の制服のポケットから手鏡を出してきた。そして、私に渡してくれる。
ありがとう、と言い鏡で自分の顔を見てみた。ああ、言われてみれば少し顔色が悪いかも。目の下に隈も出来ているようだわ。
リリエラに手鏡を返すと、彼女は自分の顔を写すように鏡を持ち、前髪を触る仕草をする。その仕草が少し違和感がした。鏡を写す位置が少しずれているようだった。
「うん、これで大丈夫」
リリエラは前髪を整える振りをして、自分の後方を確認していた。けれど物凄く自然な仕草にちょっと驚いてしまった。かなり手慣れているように見えた。
「リリエラ様。もしかして先程、廊下の扉の所にあの方がおられたのですか?」
「……はい。わかってしまいましたか……でも今、鏡で確認しましたので、もうおられませんわ」
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