第26話
並んでいた列も次第に短くなり、自分たちの番になった。私は兄のエスコートでゆっくりと王太子、王太子妃の前まで行く。私達のひとつ前の人の真似て同じことをした。ドレスの両裾を軽く持ち上げ、少し頭を下げる。本来ならここで王太子から一言を頂けるはず……。はずなのに……目の前の人達は何も言葉を発しない。
どうしたのかしら? と不思議に思い、目線より少し高い所にいる王太子夫妻をチラリと見た。王太子は口に手を当て、王太子妃は扇子で口元を隠し、目を見開いて驚いている。そしてメイナードと似た緑色の瞳と一度目が合うと「申し訳ない」と小さい声で謝ってきた。
これは、きっとお揃いと言いたくなるようなシミラールックの件だわ。王太子夫妻の様子を見れば、このお二人は何も知らなかったようで、全てメイナードの独断だと言うことが分かった。
兄は呆れたようで小さな溜め息を吐く。そして王太子に「国王がこの事を知ったらどうされるのですか?」とこれも小さい声でコソコソと言う。
「後ほど弟の件でエミーリア嬢と相談がしたい。帰らずにいてほしい」
王太子からの願いをこちらが断れるわけもない。しかし兄は、軽く睨みつけて「今日は妹も疲れておりますので帰らせて頂きます」とこれも小声で言った。
「では、後日……」と王太子が言うと「エミーリア・レグルス嬢、卒業おめでとう!」と続けた。
後日と言われても、私は明日にはこの国を発つ。このまま明日、この国を離れても大丈夫なのだろうかと不安になり、兄の顔を見た。兄は「気にしなくて良い」と私の耳元で言ってくれた。王太子夫妻に「ありがとうございます」とお礼を言うと、次は先程から寒気を感じるほどの強い視線の元に向かう。
「メイナード第二王子殿下、ご卒業おめでとうございます」
メイナードの目の前で先程の王太子夫妻の時のように挨拶をし、兄が言った。
「ああ、ありがとう。リアもおめでとう。そのドレス……とっても似合っているよ。綺麗だ」
あ、愛称呼びをしたわ。
そして隣からピキッと音が聞こえたような気がした。私はチラリと兄の方を見る。兄のこめかみに青筋が立っていて、よく見ると手も握りしめ僅かだけどブルブル震えていた。
「お、お兄様……落ち着いてください」
「ああ、大丈夫だ……」
兄の僅かに震えている手に私はそっと自分の手を添える。それに気づいた兄は微笑み返してくれた。兄がこの状態なので、逆に私は冷静でいられた。
「君たちって、兄妹だよね……まるで恋人同士に見えるんだけど、なんだか妬けるなあ。ラルスには確か婚約者がいたよね?」
メイナードは乾いた笑いをして嫌味を言う。私は自分の事より兄の方が心配になってきた。兄が暴れだすんじゃないかと冷や冷やする。この場からすぐに離れた方が良いと思い、私はメイナードに敬意を表すように軽くお辞儀をし、腕を少し引っ張り兄を誘導する。兄は私の意とに気づいたようで、一緒にその場から移動してくれた。いずれにしても周りからの視線も痛すぎる。これは……早々に帰った方が良いのかもしれないと思ったけれど、兄も私も本来はこのパーティーをとても楽しみにしていた。なので、この後のダンス1曲くらいは踊りたい。
「お兄様、ダンス1曲踊ったら帰りましょう」
「そうだな」
王太子夫妻と卒業生との挨拶が一通り済んだようで、軽快な三拍子の音楽が鳴り出す。その音楽に合わせて皆が踊り出したので、兄は私の手を取り一緒に踊った。
「終わったら早々に帰るぞ。アイツから一緒に踊ろうと言われると困るからな」
手を添えながら体を動かすけれど、兄の神経がピリピリしているのが、伝わってくる。
「お兄様、大丈夫です。女は度胸です。どんとこい! ですわ。どのみち今日までです。何とか乗り切って見せます。それより今はダンスを楽しみましょう!」
ニコリと笑いながら、ステップを踏む。兄は呆気に取られた表情を一瞬したけれど、「我が妹は逞しいな」と笑いながら言った。私は微笑みながらターンをすると兄も満足気に笑う。周りからは感嘆のようなため息が聞こえた。
暫くは、兄と踊ることもない。楽しまないと損だわ。これから留学するといろいろな出来事に遭遇する可能性もある。これからはどんな事でも対処できるようにならないといけない。まあ、今日ほどの事はそう滅多にないだろう。そうそうあっても困るけれど。
「エミーリアもダンスが上手になったな。あのお転婆エミーリアが……」
「お兄様のお陰ですわ。たくさん教えていただいたんですもの」
私はにっこりと笑うと兄の瞳には涙が溜まっていた。
「ふふふ、お兄様。どうなさったのですか? 感極まっているのでしょうか?」
「うるさい……」
兄はまるで、娘を嫁に送り出す父親のようだった。そして曲の終わりが楽しいひと時の終わりを告げる。兄と向かい合いお辞儀をする。
曲が終わると同時にメイナードが私の前に来た。
「リア、私と一緒に踊ってくれないか?」と微笑みながら手を出す。隣の兄は何か言葉を発しようとしたけれど、私はそれを制止した。
「大丈夫よ」と兄に伝え、メイナードの手を取る。ここで断ることは出来ない。満面の笑みを浮かべるメイナードに対して私はなんとか笑顔を取り繕った。そしてまた優美な三拍子の音楽が始まる。
メイナードはナチュラルスピンターン、リバースターンと順に初級ステップを順に足を運んでいく。
「リアと一緒に踊れるなんて夢みたいだ」
メイナードの表情は本当に嬉しそうに笑っていた。けれど私というと余裕もなく顔を引き攣らせて無理やり笑顔を作り出していた。
「リア、婉麗の微笑みはどこに行ったの? もう少ししとやかな笑顔がほしいな。ラルスと踊っている時とは雲泥の差だね。本当にラルスと仲が良すぎないか? 全然表情が違うよ」
「そうでしょうか? 然程と変わらないと思いますが……」
「然程と変わらない……か……小さい頃、俺と遊んだ時の事覚えてる?」
「……朧げに覚えております。そ……その節は失礼な事をして申し訳ございません」
あれは私にとって黒歴史だわ! そんな話を持ち出さないで! と平然を装いながら心の中で叫ぶ。
「ははは。今、少し焦っているよね? 第二王子の俺にいろんな事をさせたもんね」
やめてー! もう何も言わないで! 思い出したもくない!
今、自分が何のステップをしているのかも分からなくなって冷汗が流れる。
「リア、顔が引き攣っているよ。本当に可愛いんだから。俺さ、あの時楽しかったよ。あの頃からリアの事ずっと好きだったんだ……ねえ、俺の婚約者になってよ」
メイナードは熱のこもった瞳で私を見つめる。私もそんな瞳で見られるとドキリとする。けれど、私は自由になりたい。もし結婚をするのなら普通の貴族が良いと思っている。
「お断りします」
「はっきり言わなくても……俺が王家の強制力を使えば嫌とは言えないよ」
メイナードの脅しに近い一言に私はステップを踏み外し足を挫きそうになった。それをメイナードは咄嗟に私を支える。
「おっと、大丈夫? そんなに動揺するんだ」
「殿下がご冗談をおっしゃるからです」
「冗談なんかじゃないよ。明日中にレグルス家に挨拶に行くよ」
「国王の許可を頂いてからにしてくださいませ」
「うん、分かったよ。必ず許可をもらうから、待っててね」
私は国王が許可を出すとは思わなかったけれど、メイナードは緑色の瞳に自信満々の笑みを浮かべ、そしてダンスのレベルが中級に上がる。私は漆黒の髪を舞い上がらせクルリとターンをする。その光景に周りの女性たちから黄色い声が上がり、男性は見惚れ溜息をもらす。周りの人達には優雅に見えたのかもしれないけれど、私はそれどころではなかった。
誰が待つものですか!
私は焦りを顔に出ないように会話をする。もう頭の中では曲が終わることばかり願っていた。
早く終わってよ! 早く終わってー! と心の中で叫んだ。
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