第21話
私は父の執務室で、父と母と三人で留学の事について話していた。
「エミーリア、本当に良いのね? 留学するのね?」
「はい。決めました。卒業後にすぐハンシェミント国に行こうと思います。それで、お母様、手続きをお願いしたいのですが良いでしょうか?」
母は、もちろん良いわよ、とおっとりとしたいつもの口調で言った。言ったのだけれど、横に座っている父の顔が、うーんと唸り、苦渋の表情をしている。やはり留学に関して反対なのだろうか。
「お父様……お父様は留学に反対なのですか?」
「エミーリアの人生だ。反対はしたくない。だが、ハンシェミント国だけは……」
そう言うと父は母の顔を見た。母はキッと父の顔を睨む。
こ、怖い。お母様がまた豹変するのだろうか、と心配になる。
「理由を聞いてもいいですか?」
「いや、こればかりはわしの口からは……」
父までもが兄と同じことを言っている。やっぱり母に関することなのだろう。本当に何を隠しているのだろうか。
「まあ、エミーリアも学園を卒業する歳になったのだから、教えても良い時期になったわと思うわ。ねえ、あなたもそう思うでしょう?」
母はにこやかに父に同意を求める。けれどこういう時の母は目が笑っていない。
「いや、教えてもいいのかどうか……ひぃ!」
父が戸惑っていると、母は一段と父を睨みつけた。母の後ろにメラメラと炎が見えたような気がした。
こ、怖い! 怖いです!
一体この両親は、何を私に伝えようとしているのだろう。とても不安になってきた。
「お母様……そのお話はどうしても私が聞かないといけない事でしょうか?」
父の様子を見ると、聞かなくてもいい事なら聞かない方が良いような気がしてきた。母はニコリと妖しく微笑む。
いや、そのも笑顔怖いです!!
父をもう一度見る。父は、力なく首を横に振っている。それは、どう捉えたらいいのでしょうか。私は観念して聞かないと後悔する気になるのではないかと段々とそんな風に思えてきた。なんだか胃がキリキリして穴が開きそうだと思いながら、心を決めて母の話を聞こうと思った。
「お母様……は、話してください。この家では私だけが知らないのですよね?」
母は、ふふふと笑うと「そうね」と言った。
「本当に聞くのね?」
「え? 聞かなくてもいい事なら聞かない方が……ひぃ!」
母がすぅっと真顔になった。笑っても真顔になっても怖い!!
「き、聞きます、聞きます!」
私は緊張のあまり無意識に息と止めた。
「私の母、あなたの母方祖母ね。ハンシェミント国の出身だったとこの間、教えたわよね。ちょっとした貴族だったってことも話したわよね」
はい、覚えておりますとも。父が『あれがちょっとした貴族だと?』と呟いておりましたよね。
「……覚えております」
母が此の上にない満面の笑みを浮かべる。何故かこめかみから汗が流れてきた。
「母は……王女だったのよ」
「はあああぁ!?」
私は思いっきり素っ頓狂な声を出した。キッと母に睨まれたけれど、そんな事をかまっていられる余裕がなかった。
今、降って湧いたようなそんな大事な話を今まで何故黙っていたのかと思ったのだけれど、冷静に考えてみれば祖母が王女だったからといって、これといって何か特別な事があるわけでもない。そう私は安易に考えた。
「そして……だいぶ後ろになるけれど、一応貴女にも王位継承権があります。もちろん、ラルスにも」
「はあぁ!?」
また、お母様に睨まれました。私は本当にそれどころじゃなくなっていた。
王位……継承……権? 何それは? いや、知っているけれど……何故、私がそんなものを持っているのよ!
「ラルスが7番目、エミーリアが8番目になるのよ。ふふふ、素敵でしょ」
素敵でもなんでもないわ! と心の中で叫んだ。
意味が分かりません。何故私たちにまで王位継承権があるのでしょうか。この王位継承権があるため、父は私にハンシェミント国の留学を反対しているのだろうと考えた。けれど、7番目、8番目だ。これも冷静に考えれば、あってないようなもの。然程、気にすることでもないような気がしてきた。
大丈夫、大丈夫と私は自分に言い聞かせる。自分でも何が大丈夫なのか分からないけれど、心の中で呟いた。
「エミーリア、そこで提案なんだが……」と父が母をちらりと見て様子を伺いながら、私に言う。
「偽名を使って留学しないか?」
偽名を使って留学ということは、私の名前が、私が留学していることがハンシェミント国に分かると困るということかしら。両親は何やら、まだ私に隠していることがありそうなそんな気がしてきた。私は疑いの目で父を見る。
「いや、一応王位継承権がある身だ。そのままだと、向こうの『王家が護衛を付けさせろ』と言ってくる……かもしれない。だから、偽名で、出来たらその髪色も染めて違う色にして留学をしたらどうかと」
「髪まで染めるのですか?」
「向こうの王家もエミーリアの容姿をご存じだ」
どうやら父は、ハンシェミント国に私が留学するには身分を隠してほしいらしい。確かに、何をするにしても護衛が付くのは迷惑だ。行動が制限されてしまうかもしれない。そうなったら留学もつまらないものになってしまう。
「せっかくの黒髪ですのに染めてしまうなんて」
残念がる母だったけれど、染めることには反対していないようだった。偽名もこの国にある貴族の名前を借りた方が良いということとなり、父があてがあるから任せなさいということでお願いした。偽名用の家名が整い次第、留学の手続きに入るということになった。
私は自分の部屋に戻り、お茶を飲んで一息ついた。
まさか、祖母がハンシェミント国の王女だったとは露程も知らず。母のあの普段はおっとりとして穏やか性格や人に圧をかける時の表情は、血筋ではないだろうか、と思ってしまう。
「エミーリア? いる?」
扉の向こうで兄の声が聞こえた。
「はい、どうぞ」
兄は困惑したような表情で部屋に入ってきた。私の向かい側に座った兄は、「ごめん」と俯いて呟いた。
「どうして、お兄様が謝るの?」
「祖母の事、聞いたんだろう。俺も学園卒業の時に聞いた。知っていたのに黙っててごめんな」
兄は申し訳ない表情をしていた。兄の話では、両親は私たちがある程度分別が付く歳になってから話すということにしていたらしい。私が結婚してしまえば王位継承権から外れるという事で、特にあまり重要に考えていなかった。けれど、婚約がなくなった事で、そういうものを持っているという事を知っておかなければならなくなった。そして、私がハンシェミント国に留学をしたいという事で父と兄が慌てたという事だった。
「お兄様、もしかして私って疫病神?」
「え?」と兄は目を見開いて驚く。
「何故、そんな事を言うんだい?」
「だって最近、私の事でやっかいごとばかりじゃない?」
兄は私の横に座り直して、優しく頭をなでる。
「大丈夫だよ。誰もそんな事思っていないし、こんな可愛いい妹が疫病神なんて、そんなことがあるはずがないよ。父上も母上も俺もエミーリアの事が大切なんだから。そんな風に考えないで」
兄の優しい言葉が心に染みわたる。留学は私の我がままだ。けれど、なんだかんだと皆、私のために動いてくれる。もう感謝しかない。
「お兄様、ありがとうございます。いろんな事をたくさん学んできますね」
「そうだね。頑張ってね」
兄はそうやって私の頭をまた優しく撫でた。
「そうだわ、お兄様。私の髪を染めるとしたら何色が良いかしら?」
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