2話 魔法と聖法と呪法



 ――――三日前。



「――――おーい、聞いてるか~。ルクティー」

「ぅわっ! は、はい、もちろん聞いてますよ!」

「…………ヨダレ、垂れてんぞ」

「んえっ!?」


 急いでゴシゴシと口元を拭おうとすると、専属家庭教師の笑い声が聞こえた。


「嘘だよ」

「もう、先生ヒドいです!」

「どーした。魔法関係の授業だぞ? いつも熱心に聞いてるじゃないか。マナー関連や政治経済の授業みたいな顔になってるぞ」

「ああ……ですよね」

「……“婚姻の儀”か」

「…………まあ、はい」


 ジレッド・クライン先生は、黒髪から繋がる特徴的なもみあげをポリポリ掻いて、ばつが悪そうに丸眼鏡を持ち上げる。


「当人だもんな。そりゃあ……緊張するよな」

「緊張というか……わたし、本当に結婚なんてするんでしょうか」

「まぁ……らしいな」

「……らしいなって! なーんかテキトーじゃありません?」

「そ、そんなことねーよ! お前のことは妹みたいに思ってるんだぜ? 良い奴と結ばれて欲しいと思ってるさ」


 焦った様子のジレッド先生が、話題を変えるように言った。


「っし、じゃあ今日は座学じゃなくて、実践的な授業にしとくか」

「やった!」


 そうだ。魔法の授業はいつも楽しい。イヤなことなんて忘れてしまおう。


「まずは復習な。“三つの理”とは、なんのことでしょう」

「魔法と、聖法(せいほう)と、呪法(じゅほう)です」

「正解。では、魔法とはどのようなものか説明してください」

「ええと……人に司る生命の源……“魔力”を触媒によって放出することです」

「放出するために、必要な物があるはずですが――」

「ま、魔石(ませき)です魔石!」

「……まぁいいだろう。じゃあ、魔法であそこの花瓶を割ってください」


 ジレッド先生は席を立ち上がり、横にずれる。

 わたしの勉強部屋の中央には飾り棚があり、そこに花瓶が一つ置かれていた。

 ソファに置いておいたわたしの触媒である“グローブ”をぎゅっぎゅと嵌めた。


「そういや、なんでグローブなんだ」

「杖は持ち運び邪魔だし、剣は危ないじゃないですか。それに、思い入れのあるモノなんです」

「思い入れのある触媒ほど魔力の通りが良い。それに……お前は得に恩恵があるだろうから、そいつは正解だな」

「どうしてですか?」

「あとで説明する」


 自分のグローブを見る。肘まで届かない程度の長さの革製だが、所々に鋼鉄が縫い付けられていて、頑強な見た目をしている。とても王女が使うようなものではないけれど、幼いときにニルギムにもらって以来、大事にしている。


 グッパグッパと手の運動をしてから、手のひらを一瞥する。中央と五指の先に小さな穴が空いていて、それぞれ白色の魔石が嵌められていた。


「ドレスにグローブってのも面白いもんだよな」

「バカにしてますよね、それ!」

「悪かったよ。じゃあどうぞ、お姫様」


 わたしはいつまで経っても似合わない純白のドレスに、使い古されたグローブという奇抜な装いで、花瓶に向けて両手を開いた。


「ふん~!」

「別に声はいらないぞ」

「いいの! このほうが集中できるの!」


 自分の血液を手のひらからゆっくり放出するようなイメージで――その対象はあの花瓶!

 やがて……テーブルの上でキラキラした白い光子がちらつく中――花瓶がカタカタと微動した!


「やった! 動きましたよ!」

「やった! じゃないのよ、俺は割れって言ってんだよ」


 頭を振りつつ、ジレッド先生がわたしのグローブを指差した。


「そのグローブな、手のひらに満遍なく魔石が埋まってるだろ。手のひらを広げたまま魔力を込めると、分散しちまうんだよ。だから――」


 ジレッド先生がわたしの背後に周り、グローブに触れる。本業はお医者さんなのに、ゴツゴツした男性的な手だった。おまけに香水の良い香りもする。


「こういう形でやってみてくれ」


 水をすくう様な形に手のひらを変えさせられた。


「こんなんで魔法飛ぶんですか?」

「すくった水を、ばしゃんとかけるようにイメージしてみ」

「ん~……? えいっ!」


 先生に言われたとおりやってみると、白いキラキラと共に、花瓶が突然床に落下し――ガシャン――という音を立てて、粉々になった。


「やった! 割れましたよ!」

「いや、こういう形を想像していたわけじゃないんだが……まぁわかってた」

「ていうか、勝手にわたしの部屋のものを壊すような指示出さないでくださいよ」

「…………よし、次だ」


 あとで父様にチクってやろうかな……。

 わたしたちは、再び席に座り直す。


「つぎは聖法ですか? わたしはこっちのほうが適性あるんですよね」

「格段にな。お前の魔法は実践じゃ使い物にならないレベルだな」

「が、がーん……」

「落ち込むことはねーよ。聖法が使える奴は稀だ。大半は魔法しか使えない」


 喋りながら、ジレッド先生が自分の触媒である手袋を嵌めて、手のひらをわたしの頭部に向けた。淡い光がきらきらとわたしの頭部で瞬いている。


「違い、わかるか?」

「……目がすっごい良くなってる」


 別段視力が悪いわけではないけど、勉強部屋の隅々がだいぶ細かく見える。壁の装飾に被っているホコリとか、椅子に垂れ下がっている布地のほつれとか。普段は目に入ることもないようなものまでクッキリと。見えすぎて、怖いくらい。


「ご名答」

「すごーい! たのしー!」

「聖法は自分や他者に何かしらの力を与えたり強くすることを得意としてる。他にも呪法を解除したりもできるが、一方で魔法のように魔力を飛ばすことが難しい。自分が触れる距離までしか魔力を運べないって感じだな」

「もうずっとこのまま目が良いまま?」

「んなわけあるかい。そんなに魔力込めてないから数分で切れるよ」

「えぇー」

「余談だが、女性をナンパするときに俺は良くこの聖法を使ってる」

「その眼鏡似合ってるから、そのままで良いのに」

「ぉ? そ、そうか……」


 ジレッド先生が勝手に照れ始めた。あくまでわたしはそう思うだけだよ?


「さっきそのグローブがなんでお前に合っているか話したろ。触媒の魔石穴の配置は結構重要なんだ。聖法は直接手で触れながら魔力を流す。単純に接触部分が多くなるから、効果量も上がるってわけよ。聖法で攻撃する場合についても、ほぼ相手に接触することになるからな」

「なるほどー」

「つーわけで、ルクティー様“お得意”のやつ、見せてもらおうか。ちゃんと修行してきたかどうか、師匠としてチェックしておかなきゃな」

「ふっふっふ! これでも毎日頑張ってるんだから! 先生驚いちゃうよ!」


 お互いに席を立ち、わたしはジレッド先生の前で拳を固めた。

 手のひらの中心に魔力を集中させる。

 すると、魔石の一つ一つから溢れ出る魔力が、拳の中で反発しているような感覚があった。

 白いキラキラの瞬きが、拳の中から溢れ出して、自分の拳なのに、まるで言うことを効かないというか、気を抜くと暴発しそうになる。


「い、いくよ」

「いつでもいいぞ」


 先生は手袋構えて、わたしの拳を受け止めてくれる準備をしていた。

 暴発しそうな右手をなんとか制御しながら、ゆっくりと――ジレッド先生の手袋に叩き込む。


「ぬぐっ……!」


 ドゴ――ン! という衝撃とともに、ジレッド先生が部屋の扉に向かって吹き飛んでいく――!

 しかし、そんなとき――最悪のタイミングで扉が開かれた。


「――――ルクティー、お向かえの時間だぞ、っと――んぐはぁ!!」


 従者で幼馴染みのクレイだった。

 大砲の弾と化したジレッド先生を受け止めたクレイが、廊下の壁に衝突する。


「……前回よりもだいぶ放出量が変わってるなぁ!」

「おぉい! 先生っ! 一体何やってんだよ~!」

 真剣な面持ちでわたしの聖法について分析するジレッド先生の背後から、幼なじみの灰色の髪がぴょこんと跳ねていた。

「へへ、ルクティー、しっかり修行してるみたいだな」

「えへへ」

「相変わらず凄まじい威力だな。これがプリスウェールドの血ってか? 課題としては、もう少し早く魔力を練れるようになることと、ブルブルしながら重そうに殴りかかってくるモロバレの動作をなんとかしてぇところだな」

「――おぉい! 話聞けって!」

「ぉ、悪い。気付かなかった。来てたのか、クレイ」


 ジレッド先生がパンパンと手袋を叩いて、クレイの身体を引き起こす。


「ったく……一体どんな授業してやがんだよ。城壊す気か!」

「いや実はルクティーがな、身体動かしたいって言うからよ。あ、ホラ、見てくれよ。あの花瓶もアイツがやったんだ」

「違うでしょ! 先生が割れって言ったんだよ!」

「まあまあ、細かいことはいいじゃない」

「もう怒った! 父様に言いつけるから!」

「ああ……すいません。それだけはご勘弁を。お願い。ねえお願いだよぅ……」


 クレイが小さくため息をついて言った。


「ルクティー、お迎えの時間だ。授業終了」

「クレイ、いっつも言ってるけど大丈夫だってば。この部屋からわたしの部屋までそんなに遠くないんだし」

「今の一撃を見る限りおれもなんの心配もねーと思ってるけど、一応仕事なんだよ。王様から言われてんだから。おれがどやされちまうだろ?」

「えー……もう少し勉強したい。そうだ。まだ呪法が残ってるよね、先生」

「んーいや、今日はもう終わりだルクティー。呪法ってのは複雑で面倒なんだ。ヘンな知識を入れるよりは、しっかりと単体で授業しよう。また今度だ」

「えぇ~!」

「そういうわけだ、行くぞルクティー。そろそろ晩飯の時間だ」

「あとクレイ! お前も最近授業来ないけど、先生はいつでも待ってるからな!」

「……まあ、気が向いたらな」


 クレイが、無理矢理わたしの手を握ってくる。引っ張られるように勉強部屋から退散するわたしを見て、ジレッド先生がぽそりと言った。


「…………にしても、本当に母君に似てきたな」

「えっ、そうですか?」

「ああ。そのミルクティーの髪色に、翡翠色の瞳も……なんだか、昔のキャンディス妃を見てるみたいだ」

「それ、立派な女になってるってことですよね!」

 大人扱いしてもらえたようで嬉しかった。わたしはずいと身を乗り出して、にこりと笑う。もっと褒めて! もっと褒めて!


「…………そうだな。“立派”な女になった」

「先生……どこみてるの?」

「殺すぞセクハラ教師」

「じょーだんじょーだん! わっはっは! 怒んなってクレイ、え? なに? マジギレ……?」


 クレイの声がいつになく殺気立っていた気がした。



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