4話 森の熊さん
獣の足跡を静かに追って行くと、息づかいが聞こえてきた。
「……ルクティー」
クレイが、背後のわたしに待ったをかける。
ゆっくりと、彼は背中に担いでいた鞘無しの無骨な剣を引き抜いた。
幅広のその剣には、緑色の魔石が刃を囲むように均等に配置されている。
「クレイ、待って」
「……おいっ」
今度はわたしがクレイに制止をかけて、獣に向かって駆け出す。
「この子、子供だよ」
「……本当だ」
「怪我、してるみたい」
クリグリー・ベアの子供の被毛の一部がランタンの光でてらりと反射する。
親とはぐれた状態で、怪我で動けなくなっているみたいだった。心細かっただろうに。
「ちょっと試して見ても良い?」
「……お前、まさか」
わたしはグローブをグッパグッパして膝をつく。
「ぐるるるッ……!」
「ごめんね怖いよね。大丈夫、痛いことしないよ」
なだめながら、血が出ている部位にそっと手を当てる。
しかし――クリグリー・ベアの子供が、わたしのグローブにかぶりついた。
ぐぐぐ――とグローブ内で圧力が増していく。
「おい! ルクティー!」
踏み込んでくるクレイに、わたしは頭を振った。
「噛んだままでいいから、じっとしててね」
「お前なぁ……一応王女なんだぞ?」
「大丈夫だよ。痛くないって」
「……少しでも痛かったら口に出せよ。絶対だ」
闇の中で虎視眈々と光るクレイの鋭い瞳。
こうなるとクレイも頑固だ。わたしの肌から血が出ようものなら、この子は斬られてしまうかもしれない。わたしを、守るために。
「それでは癒やしの魔力を流しますよー…………ふんっ!」
「……その力み方、なんとかならねーのか?」
「いいでしょ別に!」
グローブの魔石、その一つ一つから、傷口を癒やす水がちょろちょろと垂れ流れるようなイメージで。
患部を優しく撫でながら、小さな子供におまじないをかけるみたいに――。
「大丈夫。きっと良くなるよ」
傷口の深さが徐々に浅くなっていく。
――聖法による、自然治癒力の強化。
うん……再生速度も、再生深度も上がってきてる。完全治癒するにはまだ時間がかかってしまうが、この程度の傷を止血するくらいならそこまで時間はかからない。聖法の中でも得意な分野だった。
チラリと横目でクレイを見る。やっぱりやれやれ顔をしていた。
「……ったく。ルクティー、おれたちは今コイツの親かもしれない野郎を殺そうとしてるんだぞ。本当にわかってんのか?」
「あのね、大人しくさせるだけだから。クレイがクリグリー・ベアを怪我させたらわたしが治すよ」
「本末転倒ってのは、このことだな……そんなに上手くいくかね」
「わたしは……自分の想いを曲げてまで、何かを成したいとは思わない」
「…………わかってるよ」
少し意固地になってしまったわたしを、クレイが深いため息とともに了承してくれた。
「ふふっ、ありがと。クレイ」
「……まーたいつもの流れにされちまったよ。ったく……おてんば姫には困ったもん――」
急にクレイの表情が変わる。
「ルクティー伏せろ!」
クレイのかけ声とともに、わたしはクリグリー・ベアの子供をぎゅっと抱きかかえて、樹木の根元に転がり込んだ。
背後でバキバキ――という何か崩れる音。そして――、衝撃。
わたしが転がり込んだ太い幹が半ばで切断され、地面に転がっていた。
恐る恐る振り返ると、そこには体長3メートルは超えているであろう、黒い影。
もしわたしが普通に立っていたとしたら……。ごくりと唾を飲む。
「どうやら親御さんのご登場のようだぜ」
クレイが剣を構える。
「待って! この子は返すから!」
「今のこの状況は、勘違いされてもしょうがねーよ。さっさとそいつ置いてけ!」
「ダメだよ、だいぶ興奮してそう。この子巻き込まれちゃうよ」
「本当にお前といると退屈しねーよ!」
皮肉を吐きながら、クレイがわたしの前に出る。
クリグリー・ベアの獰猛な横薙ぎを――クレイの無骨な剣が受け止める。
わたしは、その背後で彼に守られていた。
「ルクティー、逃げろ!」
「…………ぁ、足が……動かなくて!」
さっきから、心臓がバクバクしてしまって、思うように身体が動かなかった。胸にクリグリー・ベアの子供を抱えながら、少し後退することしかできない。
「……わかった!!」
わたしの状況を一瞬で理解したクレイが、攻撃を受け止めていた幅広の剣をぶぅん――と振り回す。すると、巨体のクリグリー・ベアが体勢を崩し、横転した。
そのままクレイは扇で風を送るみたいに、剣を力いっぱい振った。
「わわっ――」
「悪い! 調整上手くいってない。着地は自力でなんとかしてくれ!」
クレイが叫んでる最中――わたしは緑色のキラキラした瞬きの中を飛んでいた。ふわりと浮かび上がったと思ったら、わたしを運んでいた風たちは急に消え去ってしまい、お尻から地面に落下した。
「んぎゃ、お尻痛たーい! 割れるぅ……!」
「おう、なら大丈夫だ。尻は最初から割れてる!」
「でもありがと! 足も動くよ、わたしも戦うね!」
クレイの軽口のおかげで、わたしはいつもの調子を取り戻す。
それに少し距離ができたおかげで、クリグリー・ベアの子供を傍の茂みに逃がすことができた。
「いやいい! たぶんお前相性良くない! ここはおれに任せとけ」
「そんなのやってみないと……!」
「いいから見てろ! 見るのもお勉強だぜ」
言いながら――、クレイが距離のある対象に向かって剣を振った。さきほどのようなふわりとした感じではなく、今度は鋭く切り込むような構えだった。
キラリと緑に輝く輝線が――素早く飛んでいく。
クリグリー・ベアが吠える。いつの間にやら左足に斬撃傷が付いていた。
「ちと距離が遠かったな。威力だいぶ落ちてら」
「ちょっと! 足切り落とすつもりなわけ!?」
「お前さっきアイツに上半身切り落とされそうになってたからな!?」
「結局無傷なんだから、そんな仇討ちみたいなことしなくていいよ」
「ありえねーこいつ! おれは――」
ああだこうだとやっているうちに、クリグリー・ベアが突進してくる。
「――うわわぁ!」
「あんなもんにぶつかったら、ただじゃすまねえぞ」
クレイに引っつかまれて、なんとか回避に成功。
突進に失敗したクリグリー・ベアが踵を返そうとしたときに再びクレイの“飛ぶ斬撃”が炸裂。今度はお尻に深めの裂傷を与えていた。
痛そうだけど、なかなか撤退してくれない。子供を逃がしてしまったのが仇になったのかも。ちゃんと目の前で返してあげたほうがよかったかぁ……。
その場その場の判断が難しい。考えることができるのは一瞬だ。間違えても、時間は戻らないし、何が正解かなんて、わからない。
でも、そんな忙しい思考も楽しいって思える。
失敗したら死んでしまうかもしれない危険な冒険。そんなものに興奮しているわたしは……やっぱり元冒険者の父様の娘だ。
ふと気付く。ランタンの光が逆に目印になってしまっている気がした。
わたしは持っていたランタンを、突撃してくるクリグリー・ベアに放り投げる。
「こいつは匂いでおれたちを判別してる! 暗闇は相手に有利なだけだ! って――おいルクティー!」
カシャン――という音と共にランタンが頭部にヒットし、とろけた蝋がクリグリー・ベアに付着して、その視界を奪った。
わたしは、クリグリー・ベアの正面に立ち、拳を作った。
息を吐き、ぐっと力を込める。
魔力を練る際、わたしは動くことができない。動いてしまうと、魔力集中が途切れてしまう。それほどに繊細な作業だった。今後の修練でその辺はなんとかなりそうだけど、今のわたしにはムリ。
魔力を限界まで凝縮させた拳は、白いキラキラで充満していて、もう爆発寸前。それを、ゆっくーり、目の前のクリグリー・ベアのお腹にむかって、叩き込む。
「――てぇーいっ!」
ぶっ飛ぶ巨体。背後の樹木に轟音と共に衝突し、クリグリー・ベアは動きを止めた。
「き、決まった……!」
「ルクティー! 土壇場でヘンな行動するなよ、あぶねぇだろ!」
「ごめん、つい」
「お前は“ソレ”するとき、なんもできねぇんだから……」
クレイが後頭部を掻きむしりながら、倒れた大型の獣に目をやる。
「にしても……すげぇ威力だな。殺る気満々じゃねえか……」
「ちゃんと手当してあげるもん。そのためには寝てもらわないと」
「怖いわ、なんか」
少し引き気味のクレイと一緒に、クリグリー・ベアの元に近づく。
「……気絶してる?」
「さぁ。お前のスーパーパンチが炸裂したからな、死んでるんじゃねーか」
「わたしそんな怪力じゃないから! あんまりイジんないで!」
「いや、魔力が濃厚過ぎて結果ゴリラ女になってんだよお前は」
「失礼しちゃう!」
ひとまずクレイとわたしの攻撃の怪我を癒やしてあげないと。
患部を確認しようとした、そのとき。
ギョロリ――とクリグリー・ベアの瞳が開いた。
「ルクティー!」
クレイの叫びが聞こえたとき――、もうダメかと思った。
わたし、ここで死んじゃうのかなぁ。
周囲がゆっくり動いている気がする。これが走馬灯?
17歳で死んじゃうのか……ごめんなさい父様。弟、妹たちよ……ついでに兄様。
ルクティーは隠れ趣味の冒険者稼業の最中――名誉の死を遂げることになります……。名誉かな?
勝手に城飛び出してモンスターと戦って、クレイに散々怒られたのに強行した挙げ句攻撃した傷を癒やすために近づいて死ぬって……すべて自業自得じゃない?
ん……? これでいいのか? わたし。
ああ――でも婚約の儀に出なくていいから、気が楽かも……。
結婚も恋愛も良くわからないし……。
思考の渦に飲み込まれそうなそんなとき――目前の景色が、炎になった。
「え?」
クリグリー・ベアの攻撃がやってこない。絶対、死んだと思った。
あとから心臓が高鳴り、冷や汗が滲み出る。
身体を起こせないで居ると、すぐそばに誰かがいたことに気付く。
「大丈夫かい? お嬢さん」
「え?」
「よっと」
耳元で涼やかな声。
……はい? なんか持ち上げられたんですけど。
なんとわたしは、知らない人にお姫様抱っこをされていた。
誰コレ!? 一瞬クレイかもと思ったけど、フードを被っていて顔はよく見えない。
そして、周囲が何やら焦げ臭い。気が付くと、周辺の草木に火が回っていた。
え? え? まさか……さっきわたしが捨てたランタン……?
混乱するわたしを余所に、フードの男がまじまじと覗き込んでくる。
「んー……やっぱりタイプだ。今度、オレとデートしてくれないか」
「いや、そんなことより、周り火事になっちゃってますって!」
「ああ、それもそうだね」
フードの男は、懐から赤い魔石が嵌め込まれた短剣を取り出すと、周囲で燃えさかっていた炎が赤いキラキラに変換されつつ、吸い込まれていく。
先ほどの炎の壁も、一緒に吸収されていく。
やがて――燃えカスの灰と、焦げた匂いだけが残った。
――凄い。炎の……魔法?
「それで、デートしてくるかい?」
「…………デート、お好きなんですね」
なんか凄くヘンな人に助けられた気がしたわたしだった。
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