30話 立派

「もしかして……その呪法を、シンクさんが解除してくれたの?」

「“結果的に”ですが。私の呪法で、ルクティー様にかかっている呪法を“上書き”したのです」


 婚姻の儀で呪法被害にあって以降――霧が晴れたような不思議な感覚があった。

 そう……まるで夢の中から覚めたような。あれは……そういうことだったの!?


 湯水のように記憶が溢れ出す。

 そうだ。最近ジレッド先生をカッコイイと思い始めたのも……クレイに何だか無性にときめいてしまったのも、ルフナのこと魅力的に感じてしまうのも――元々かかっていた呪法がシンクさんの呪法で掻き消えたから、ってこと……?


「呪法は、より強い呪法により上書きすることが可能です。相応にリスクを高める行為ですし、何が起こるか予測困難なため、前例は聞いたことがないですが」

「それで、キームさんが七年前にわたしにかけたっていう呪法と、シンクさんの今回の呪法が複雑に絡み合っているってこと?」

「その認識で問題ないかと。捕捉するとすれば、今回の婚姻の儀において、キーム殿はルクティー様に新たな呪法の上書きをするつもりでいました」


 わたしの頭がこんがらがらないように、シンクさんはゆっくり息を置いてくれる。


「私は、事前にそれを想定できていたので、何年も前から呪法のシステムについての解明と研究を重ねていました。なので、彼が攻撃を成功させるよりも早く、私の呪法をルクティー様に施せば、妨害することができると踏んでいました。そして、それは成功した――。

 しかし……厄介なのは、上書きしたとはいえ、キーム殿の魔力も残留してしまった点。混じり合っている、という意味では複数の術者の痕跡は間違いではありませんが、ルクティー様に呪法をかけた“術者”は、私で間違いないと思われます」


 呪法……やっぱり複雑なシステムをしているんだな……。

 シンクさんはきっと、七年前にわたしがキームさんから攻撃を受けていることに感づいて、何年間も……わたしのことを気にかけてくれていたんだ。


「ルクティー様に元々かかっていた呪法はとても弱く、巧妙に隠されていました。聖法でもあぶり出すのが難しいくらいに。聖火の焔も、規模の大きな呪法にはめっぽう強いですが、小さな呪法については見つけきれません。……故に、あちらの攻撃を迎撃するような形でルクティー様に呪法をかけることになってしまった」

「……シンクさんが、ずっと、見守っていてくれたんだね」

「いえ……私は、呪法にかかっているであろう貴方を解除することもできず何年もの時を過ごしていました。行動を起こすことに……臆病になっていました」

「確信が持てなかったわけだし、無理ないよ。現にホラ。キームさんのかけてた呪法は解けてるし。……でしょ?」


 落ち込むシンクさんを励ますように、手を広げながら元気に言った。


「キャンディス妃という最愛の肉親を亡くし、さらには呪われてしまったルクティー様が不憫で…………私は、その呪縛を解放したかった」


 目を伏せて、静かに息をするシンクさん。


「……誤算だったのは、私が想定したとおりの呪法にはならなかった点。幾重にも検証を重ねてきた呪法ですが、やはり他者の魔力が少しでも関わってくると均衡が崩れるのは必至。本来はもう少し甘めの掟や禁忌になるはずでした。ですが……魔力――それも互いの呪法の衝突による事故で、まさか時間制限で命が失われるような掟になるとは……。ルクティー様に、大変凄惨な呪法がかかってしまった……というわけです」

「シンクさんには、わたしにかかっている掟や禁忌がわかるの?」

「呪法において術者と被術者が共有するのは、掟と禁忌だけです。なので、禁忌を犯したとき、どのような罰が下されるのかは、被術者しか知り得ない……ルクティー様が何をやらかすのか、気が気ではありませんでした」


 まぁ、結果やらかしてるしね……。

 シンクさんからしたら、たまったものじゃなかったのかも。


「“愛する人と両思いになり、真実の愛を育むこと”……これはシンクさんの想定してた掟だったの?」

「……私は、これまで愛というものを事実上封印されていた貴方に……幸せになってほしかった。なので、貴方に最も相応しいお相手を見つけるお手伝いがしたかったのです」


 過保護で不器用な、シンクさんらしい想いだ。


「それで……遠征のとき、ルフナを陥れようとしてたってこと? わたしに相応しくないって?」

「……盗賊であることを隠している王子など、信用できません」

「それは余計なお世話じゃない? まあ、シンクさんらしいけど。というか……わたし、まだシンクさんから“とある言葉”をもらってないんだけど」

「……言葉とは?」


 はて? みたいなムカつく顔してるけど! 何よりも重大なことなんですけど!


「ホントにわからない?」

「……すいませんが、まったく」

「もぅ! この口べた強面騎士! わたし、まだ“ごめんなさい”って、言ってもらってないんだけど!?」


 シンクさんは呆気に取られた表情でしばらく固まってから、少し笑みを浮かべつつ、頭を下げてきた。


「…………誠に申し訳ありませんでした」

「――うん。許す」

「……ルクティー様には叶いませんね」


 波紋一つない静寂の湖を二人で眺めていると、シンクさんが言った。


「……私は、東洋の貧しい産まれで、当時世界中を冒険していたアーサム王に、剣の才能を見込まれ、プリスウェールドの近衛騎士になることができました。剣以外何も取り柄のなかった私は、王様の忌憚ない言葉や好奇心が嬉しく、以降忠誠を誓いました。王様と、王妃様を……誰よりもお慕いしておりました」


 自分の胸に手を置き、瞳を閉じながら、シンクさんは頬を緩める。


「そして――貴方がお生まれになったとき――私は何に変えても貴方様をお守りしようと、そう思っていました」


 少しだけ残念そうな、感傷的なシンクさん。


「まだまだ子供だと、庇護対象だと想っていましたが、貴方はこうして……呪法をかけたわたしにまで……辿り着いた」

「そんなこと言って、わたしが来るの、待ってたくせに」

「……私は……貴方と、こうして喋りたかったのかもしれません。そして、きっと……こう言いたかった」


「……いつの間にか、立派になられて――と」


 シンクさんが自分の話したのは初めてだった。なんだかわたしを一人の大人として認めてくれたような気がして、わたしは嬉しくなる。


「そうだよ! わたしだっても17歳だもん。もう少しで成人だよ」

「そうでしたね」


 わたしは、まだわだかまりのままになっている疑問を口にする。


「……でも、まだ一番の謎が残ってるよ。そもそも、どうしてキームさんはわたしに“人を愛することができない”なんて呪法をかけたの? それに、シンクさんが掻き消してくれたけど、今回の婚姻の儀でさらに呪法上書きしようとしたんでしょ? なんで? 恨まれてる?」

「――それは、きっと、自分だけを愛してほしいからでしょう」

「へ?」


 訳知り顔のシンクさん。どゆこと?


「キーム殿を特定認定試験に合格させたのは私です。その理由は、彼を観察し、彼の呪法攻撃に備えるためでした。彼は――――」

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