31話 不老不死

「…………んがっ」


 ずっと眠りっぱなしだったジレッド先生が、途切れるいびきと共に、ようやくベッドから身を起こした。


「眼鏡、そこ」


 ベッド横の飾り棚に置かれた眼鏡を教えてあげる。綺麗なレンズだったのに、ヒビが入ってしまっていた。

 眼鏡をかけ直して、ここは? というふうにわたしを見るジレッド先生。


「わたしのお部屋だよ」

「……結構、経ってるか?」

「二日くらい。先生、ずっと寝てたんだよ。立場、逆になったね」

「看病してもらって悪かった。…………キームさんは?」

「…………行方不明」

「そうか」


 ジレッド先生はほっと落ち着いたようで、肩の力を抜いた。


 あれから――、クレイルフナ組と合流したわたしは、事情を聞いて、すぐに遺跡へ戻った。キームさんとの戦闘で血だらけで倒れているジレッド先生をおぶり、プリスウェールド城に連れ戻したのだ。


 当然父様たちに事情を説明しないわけにもいかず、正体不明の黒装束による奇襲を受けたことで遠征は失敗。結果、散り散りになってしまった兄様とシンクさん、キームさんは行方不明……ということでなんとか話を通した。

 もはや婚姻の儀だなんだと、言っていられないような状況になりつつあった。


 白い天井を見上げる。何にも染まっていない白い壁紙が、少しだけ羨ましい。

 ……ちなみに、さっきからジレッド先生が何度もわたしに視線を向けては、躊躇ったように剃らす、ということを繰り返してるけど、なんだろう。


「なになに~? どしたの先生。看病したわたしにときめいちゃったの?」


 場の空気が重かったので、わざとらしく明るい感じで振る舞ってみる。

 そんなわたしの努力も虚しく、いつになく真剣な表情のジレッド先生は、身体ごとわたしに向けて、目を見てきた。


「…………ルクティー。実は……俺、お前に謝らないといけねえんだ」

「……なあに先生、さっきから真面目すぎない?」

「ルクティー、聞いてくれ」


 ジレッド先生が話そうとしている内容を、あまり聞きたくないような気がした。本当に、ただの勘なんだけど。


「――七年前……キャンディス妃が亡くなられたのは、俺のせいだ」

「…………っ」


 突然の言葉に、つい頭がカッとなる。

 何で今……そんなことを言うの……?


 ――わかってる。

 ジレッド先生が直接的な原因でないことくらい。

 だって、母様は病で倒れたんだから。ジレッド先生は、お医者様として対応してくれただけだ。

 結果、母様が助からなかったのだとしても。

 しかたのないことなんだよ。


 だけど、それでも……ジレッド先生の口から告げられると、悲しい気持ちが強くなちゃう。


「…………ジレッド先生のせいじゃ、ないでしょっ……」


 滾る想いをなんとか飲み込んで、わたしは言葉を絞り出す。


 ――どうして、治してくれなかったの……?

 ――先生がもし治してくれたら、母様は死ななかったのに……!


 こんなのはワガママ。子供の戯れ言だ。

 わたしはもう十七歳。ときには辛いことも飲み込んで、生きていかないとダメ。


「……当時十八だった俺は、腕の立つ若い聖法使いの医者ってことで、周りからもちやほやされてて、調子に乗ってたんだ」

「……想像付くよ」

「……町医者として着実なキャリアを積みながら聖法の修練、医療技術の進化を目の当たりにしていたときだ。寂れた町に、面白い商品並べた商人がやってきた」

「……キームさん?」


 なんとなく聞いたことがあった。ジレッド先生がわたしの家庭教師になる前、どうやってプリスウェールド直属の専属医師になったのか。


「ああ。キームさんは風の噂で俺のことを聞きつけたようだった。商人は耳も良けりゃ、足も速いのかよって思ったね」


 少し自虐を帯びた笑みで、ジレッド先生は眼鏡を正す。


「プリスウェールドの王族がピンチだって聞いてな。そりゃ行かざるを得んだろうってことで、俺たちは城に向かったんだ。内心喜んでたよ。成功すれば、報奨金がっぽりの贅沢な暮らしができるってな」

「嘘。先生は……そんなこと、思わないよ」

「…………ありがとよ。ただ、少なくとも若いときの俺は……お前が思ってるような、人間じゃなかったんだ」


 ジレッド先生はとにかく人が良い。茶目っ気があって、ダメなところもあるけれど、お金に目がくらんだりする人じゃない。

 現にとクレイは遠征中の先生を目撃したときも、善人で良い人だと想った。


「触診と打診の結果、キャンディス妃の病は症例の無いものだった。決して治らないものではなかった。……ただ、俺たちには時間がなかったんだ……!」


 いつも穏やかなジレッド先生が、声を荒げる。


「根本治療どころか、対処療法さえ思いつかねぇ。考える時間も、思いつく時間もとにかくなかった。どんどん容態が悪くなっていくキャンディス妃を見守りながら、何にもならねぇ励ましの言葉しかかけらんねぇ……! そんなときだ。キームさんが、“秘薬”を作ってみてはと言ったんだ」

「……秘薬?」

「この世には不思議なアイテムがごまんとあることは知ってんだろ? 当然、万病を治す薬草ってのもある」

「…………見つからなかった?」

「普通なら見つからないだろうな。この広大な世界の何処かにありますなんて言われても、すべてを知っている冒険者でもないと、難しい。そんな中、限られた時間の中で、キームさんが探してきてくれたんだ」

「え? じゃあ……」

「当然俺はソイツに賭けた。前例もクソも無いが、謎の薬草を煎じて、万病に効く秘薬を調剤することに成功した。ここまでは奇跡だった」


 でも、きっと失敗したんだ。

 だって、母様はもうこの世に居ないのだから。


「――だけど、飲んでもらえなかった」

「どうして!?」


 わたしも、感情が高ぶる。

 どこかで、何かが違ければ、母様は生きていたってこと……!?

 もし生きる望みがあったのに、死んでしまったのだとしたら……それは、凄く……。


「不老不死に……なる可能性があった」

「…………不老不死」


 言われても、あまりピンとはこない。

 知り合いに不老不死なんて居ない――。


「あっ……そっか……もしかして、キームさん――」

「ああ……キームさんは、キャンディス妃が飲まなかった秘薬を飲んでる。あの人は、不老不死だよ。もはや、この世の理から外れてる」


 クレイやルフナから聞いた。

 腕や足を切断しても、また新しいのが生えてきたって。そんなの、魔法でどうにかできる限度を超えてる。

 怪我や事故でも死なない不死……その上歳もとらない。本当の意味での不老不死……!


「……母様は……最期まで、人で居たかったってこと……?」

「……それは、もうキャンディス妃にしかわからねぇ。……ルクティー、俺な……今でも迷ってんだ。あのとき、無理矢理にでも秘薬を飲ませたら良かったのかもしれない……って。たとえ不老不死になっても、ルクティーは……母様と一緒に居たかっただろ?」


 ジレッド先生の辛そうな表情に、わたしも苦しくなる。

 もし、赤の他人が……そんな非人道的なことに関わるのだとしたら……止めてしまうかもしれない。

 でも自分の肉親だ。大好きな母親だ。理性でなんとかできるようなものじゃない。

 ジレッド先生は、自分のことのように、わたしのことを想ってくれてる。


 人間じゃなくなった母と一緒に暮らすか。それとも人として死なすか。

 重い……重すぎる選択だ。

 ジレッド先生は、こんなにも辛い秘密をわたしに悟られることなく、ずっと隠してきたんだ。

 その、優しさが……じんわりと、わたしの胸の中に広がっていく。


 ――やっぱり、ジレッド先生は……すっごく優しいよ。


「……どうじてぇ……どうして……治してっ、くれなかったのっ……せんせぇ」


 止まらない嗚咽。溢れ出る大粒の涙。穴という穴から、水分が流れ出る。

 わたしはその場から一歩も動けないまま、正直な想いを吐露した。


「母様、治らない病気じゃなかったんだ……! もしかしたら、もしかしたら」

「……ああ、そうだよな。ルクティー……」


 ジレッド先生がベッドから立ち上がり、わたしの身体を優しく包んでくれる。

 骨張った大きな手で、頭を優しく覆ってくれる。

 鍛錬を重ねた筋肉を纏った成人男性の身体は、仄かに温かくて……抱きしめられていると、不思議と安心した。


「すまねぇ。今になって、こんな…………本当に、すまない。…………俺なっ……ずっと、ずっと、言えなくて……」

「ふぇっ……えぇ~ん……!!」


 こんなことに、意味なんてない。

 だってもう母様はずっと昔に亡くなってる。

 蘇るわけがない。それは、何をしたって変わらない。


 でも、言いたかった。聞いて欲しかった。


 子供のようなワガママを、大好きな……お兄ちゃんみたいなジレッド先生に、聞いてほしかった。甘えさせて欲しかった。もっと優しく、してほしかった。


 わたしは、ジレッド先生のことが大好きだから。

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