20話 きみを追って
吹き荒れる風や砂埃が男の眼鏡を曇らせる。
うんざりした男が眼鏡を外し、汚れた布で拭き取ろうとする――がしかし、無意味だと悟るとげんなりした。
「あぁ~……ったくよー! ……“お前ら”が付いてこなければこんなことにはならなかったんだからな? わかってるか、おいクレイ」
「うるせえな……悪かったよ」
「……ホォ。えらく素直じゃねえか」
「…………いいから早く行こう」
ルクティーが攫われてしまった。自分が隣に居たのに、だ。
いつもこうだ。あと少しのところで、手が届かない。
クレイは自らの力の無さを悔いていた。
戦闘中とはいえ、一番近くにいた自分が最初に駆け出せないでどうする? ルクティーのために真っ先に動いたのはルフナだ。
――自分の大切なものさえ、おれは守ることができないのか?
これでは、傍にいるだけの、ただのお飾りじゃないか。
……違う。ルクティーは……おれが守るんだ。
「――なぁ、少し休憩していかねぇか?」
後ろでさっきから眼鏡の汚れをしきりに気にしているジレッドが提案する。
「何言ってんだよ、ルクティーが心配じゃねえのか?」
「そりゃあ心配だよ。でも、ルフナ王子が付いてるんだろ?」
「だ・か・ら余計心配なんだよ、おれは!」
未だルクティーとルフナがどうなったのか定かじゃない。
ただ、ルフナならば黒装束を退け、ルクティーと一緒に居るだろうという勘がクレイにはあった。……大変癪ではあるのだが。
だから早くルクティーの現状を掴みたいのが現状だった。
黒装束との戦闘で負った怪我を治療してくれたジレッドと共に、ルクティーを追いかける旅に出ているのであった。
「まぁ……そうだな。お前のほうが正論だ。ルクティーがどういう状況か何もわからねえ。おし、もっぺん気ぃを引き締めて行こう」
「いや何まとめ上げてイイ感じに持ってこうとしてんだよ。先生の気が緩んでただけだろ。おれはずっと気ぃ引き締まってたよ」
「おっとっと、そうか? でもよぉ……疲れてちゃ、いざってときにルクティーを助けられねえぜ」
「……どんなに疲れてても、おれは……アイツの傍に居るって決めたんだ」
「ふっ。若いね。しゃーねえ。お兄さんも頑張るとするか」
ジレッドが、眼鏡とネクタイを正して、額の汗を布で拭った。
ルクティーたちがフレイムリードに向かっているだろうとあたりを付けたのはジレッドだ。
なんでも、彼の地では特殊な方法で呪法を解除することができるらしい。また、ルフナの出身であることも相俟って、二人が向かっている可能性は高かった。
「――そういやさ、……お前らっていつから一緒なんだ?」
「いつからって?」
「幼馴染みだろ? ルクティーと」
「ああ、五つの頃だな」
「即答……ね」
「んだよ」
「いや、別に……。ルクティーも幸せもんだなと思ってな」
ルクティーには、幸せで居て欲しい。
それは、クレイが何よりも願っていることだった。
* * *
クレイはプリスウェールドの城下町出身であった。
貧しくも裕福でもない平凡な家庭に生まれ、革細工を営む両親の手伝いをしながら、日々をのんびり過ごしてきた。
そんな彼に、転機が訪れたのは彼が五つのとき。
手伝いのご褒美にもらった飴細工を舐めながら、自宅の屋根で寝っ転がりながら澄んだ青空を眺めているときだった。
「それはなにー!?」
「……ん?」
突然屋根の下から幼い子供の声がしたかと思ったら、勝手に人様の梯子を使って屋根に上がり込んできた挙げ句、寝転がっている自分の横でこう言った。
「わたしも、それほしい!」
少女は、クレイが咥えていた飴細工を指差している。
「……きみはだれ?」
「わたし、ルクティー! じょうかまちにあそびにきたの!」
「ふうん。でもこれはおれのだよ。おてつだいしたからもらったんだ」
「じゃあ、わたしもおてつだい、する!」
ルクティーと名乗る少女は綺麗なドレスに身を包み、特徴的なミルクティー色の長い髪を揺らしながら自信満々に腕を組んで、ご機嫌な笑みを浮かべていた。
「えぇ……?」
身形から、とてもこのへんの子供とは思えない。どこかの貴族の子供なのだろう。
貴族といえば、平民を常に下に見ていてイヤな印象が強かったのだが、対面のルクティーにはそのような感じは一切なかった。
言動からの印象は、華のように美しくも、太陽のような明るさを併せ持っている――希有な少女。
クレイは子供ながらに一目で惹かれていた。
「あなたのなまえはなあに?」
「クレイ」
「クレイ! どこでおてつだいすれば、それをもらえるの?」
「……もうおてつだいはおわったよ。またあしたになれば、おしごとがあるかも」
「そうなの! じゃあまたあしたくるね!」
ルクティーはそそくさと屋根から降りようとして……歩みを止めた。
「……こわい!」
「え? きみ、はしごをあがってきたんだよね?」
「うん! でも、なんかいまはこわい!」
「……ヘンなこだなぁ」
やれやれとクレイは立ち上がって、まずは自分が梯子を下りて見せる。
「わかった? おなじようにやってみなよ」
「…………こわい」
では何故自信満々で登ってきたのか、とクレイは脳内でツッコミを入れたくなったが、そこまでの間柄ではなかった。
「だいじょうぶだよ。もしおちても、おれがうけとめてあげる」
「ほんとう? ぜったいだよ、クレイ」
安心させてあげると、ルクティーは意図も簡単に梯子を下りるのだった。
「できるじゃん」
「クレイがうけとめてくれるっていったから!」
「たんじゅんだね、かなり」
「そお!?」
「なんか、いろいろしんぱいだなぁ……おうちはどこ?」
「あっち!」
ルクティーは城下町の遥か向こう――豪勢な建物が建ち並ぶお城の方向を指差していった。
「まさか……おひめさま?」
「うん! あ。でも、ひみつなんだ。こっちにあそびにきてること……かおのこわいおにーさんがいてね、おこられちゃうの」
予想は的中し、クレイはなおのこと心配になった。
この国の王女がお忍びで遊びに来ていること。もし、自分と一緒に遊んでいることで、怪我でもさせてしまったら一大事だ。
「おれ……きみをおくりとどけるよ。おくれるところまで」
「ほんとう!? うれしいなぁ!」
その日はクレイの生活圏内まで送り届けてやると、彼女のお目付役っぽい人がルクティーを抱えて去っていった。
「クレイー!! またあそぼうねー!」
元気いっぱい振ってくる手のひらに呼応するように、クレイも精一杯声を上げた。
お姫様だし、自分とは立場も違う。
だから、きっともう会うこともないのだろう。
非日常にも思える大事な想い出が1ページ増えたようで、クレイは心底喜んだ。
しかし――それ以降というもの、ルクティーはほぼ毎日クレイの元にやってきた。
お姫様がこんなにも毎日城下町に降りてきて良いのかわからないが、多分何も守ってなさそうな少女であることは幼きクレイにもわかっていた。
「クレイ! きょうもわたしといっしょにあそんで!」
明くる日も、ルクティーはクレイの元を訪れた。
ときにはクレイの両親のお手伝いを共にして、飴細工を舐めながら空を見上げ、たくさん話をした。
二人で一緒に屋台のマズいものを食べて、吐いたこともあった。
ときには近所の子供たちに混ざって追いかけっこや、チャンバラ遊びをした。隣の区に澄むメリアと仲良くなったのも、このころ。
いつのまにやら天真爛漫で危なっかしい王女の隣に居ることは、クレイの生活の一部になっていた。
別にルクティーが王族だからじゃない。彼女がヘンで、変わっていて。
一緒にいるとなんだか楽しくて。ただ、それだけだった。
ルクティーのブレーキ役を買って出るのは自分の役目だと、幼いながらにクレイは思っていた。
だからあるとき、「わたしのじゅーしゃになって。いつもいっしょにいようよ」と言われたとき、深くは考えず、いつもとおなじことだから「いいよ」と軽い返事をした。
それからの日常は目まぐるしかった。
なんと家族揃ってプリスウェールドのご厄介になることになり、庶民であったはずのアーロンド一家は、貴族の仲間入りを果たしたのである。
そのためアーロンド両親はもちろん、齢を重ね物事の意味も理解できるようになったクレイも、アーサム・プリスウェールド王には頭が上がらないのだった。
あんなに軽く返事をしてよかったのだろうか――。
ときおりそんなことをクレイは思うが、すぐにそんな考えは消え去る。
何故なら――――。
大好きな女の子の隣で、これからもずっと一緒に入れるのだから。
剣の稽古がどんなに辛くったって。魔法の授業が難しくったって。
ルクティーが隣で笑ってくれるのなら。
一緒に楽しいお喋りができるのであるなら。
クレイは頑張れるような気がしたのだ。
また、ルクティーの母親が亡くなったとき、クレイは従者としての想いを確固たるモノにするのだが――それはまた別のお話。
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