第25話 終幕と開幕

 麻衣子から真実を聞き出すという作戦は無事成功し終幕を迎えたというのに達成感や歓喜はなく胸の内に残されたのは虚無感だった。幼馴染が悪事に手を染めていたと全ての真実を知った今、心境は非常に複雑であり全てが夢だったらと二人の話を聞いている時から何度思ったことだろうか。不意打ちで麻衣子を気絶させた後もずっと手に握りしめていたスタンガンを放り投げるとそのまま力なく座り込んだ。


「滝野瀬さん、大丈夫ですか」


 麻衣子から真実を聞き出してくれた薫ちゃんは精神的にも体力的にも限界近くまで疲弊しているはずなのに駆け寄り心配までしてくれる。僕のもとまで来てくれた薫ちゃんを手で大丈夫と制する姿は先輩として情けなかったが、想像以上に僕は悲しみに打ちひしがれてしまっていた。

 全てを打ち明けた麻衣子は目の前で気絶しており成すべきことを成したはずなのに、この後味の悪さはなんだろうか。僕と同じくらい麻衣子とは付き合いの長い親友は春休みから今日までの全てを知りなにを思っているのかと廃墟に入ってからずっと通話中にしたままポケットに入れてあった携帯を取り出し「もう入って来ていいよ」と短く言葉を伝え通話を切った。

 役目を終えた携帯をしまい座り込んだまま待っているとゆっくりとこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。ずっと石の床を見つめていた視線を入り口の方へと向けるとこれまで外で待機してくれていた哲希が現れる。視線が合うも親友はなにも口にすることなくゆっくりと歩いてこちらへと近寄って来た。足を崩しているためすぐ側で足を止めた哲希を見上げると、言葉をかけるよりも先に肩を二度優しく叩かれる。言葉などなくても肩に置かれた手から伝わってくるものがあり、堰き止めていた感情は一気に解き放たれ悲しみに暮れた。今だけは人目も憚らず感情の赴くままに背中を丸め泣き喚く。

 麻衣子の話を聞いて怒りはもちろんあったし彼女がしたことを許せるはずもなかった。それでも長い時間をかけて積み上げてきた麻衣子との思い出が全て黒く塗りつぶされてしまうかといえばそんなことはなく余計に苦しいのだ。僕にも何かできる事があったのではないか、もしかしたら麻衣子が道を踏み外さない未来もあったのではないかとお門違いにも思ってしまう。僕は恋人だけでなく幼馴染まで失ってしまったのだと実感すると胸が張り裂けそうだった。


「お前は良くやったよ智也。真実は残酷だが俺たちはこれからも強く生きていかなくちゃいけねえ、東山葵の分までな。今すぐじゃなくていい、ゆっくりとお前のペースでまた立ち上がれ。それまではずっと俺がそばにいてやるから」


 涙は枯れ嗚咽が鳴り止み耳に届いたのは温かさに満ち溢れたもう一人の親友からの言葉だった。顔を上げることすらできず蹲ったままの僕は枯れたはずの涙が再び溢れ出しそうになる。そして次に耳へと聞こえてきたのはこの場を離れようとする足音であり、顔を手で拭い辺りに視線を巡らせると哲希の姿は消えていた。


「ごめんなさい滝野瀬さん。私は自分のことばかりであなたの気持ちをなに一つ考えられていませんでした。高柳さんが言っていたように私にとっては憎悪の対象でしかなくても滝野瀬さんにとっては掛け替えのない人なことくらいすぐに分かったはずなのに。巻き込んでしまって本当にごめんなさい、最初から最後まで私一人でやるべきだったんです」


 薫ちゃんは今にも泣き出してしまいそうな表情で全てが間違いだったかのように僕を真実へといざなったことを悔いた。彼女はこれまでずっと自分のことだけでも精一杯であり今日ようやく肩の荷が下りようというのに今度は僕が重荷になってしまってどうする。


「薫ちゃんはなにも間違っていない、二人だったからこそ僕たちは今ここにいる。だからそんな悲しいこと言わないでよ。遅かれ早かれいつかは向き合わなければいけないことだったんだから気に病まないで欲しい。むしろ麻衣子がこれ以上悪事に手を染めてしまう前に止める事ができてよかったんだ」


 幼馴染だろうと親友だろうと麻衣子は人の道を離れてしまったのだから情けをかけることは間違いなのだ。それに全ては自分自身が決断したことで真実を知るため薫ちゃんに協力する道は僕の選択である。だというのに薫ちゃんに負い目を感じさせている自分はなにをしているんだと気持ちを奮い立たせ顔を袖で拭うと立ち上がり薫ちゃんに手を差し伸べた。


「力になるとか口では言っておきながら、こんな情けない姿を晒す頼りない先輩でごめん。そして辛い役目を買って出てくれて本当にありがとう。これで全てが解決して明日から晴れやかに過ごすなんてことはないかもしれないけど、僕たちもゆっくりと前に進んで行こう」


 二人手を取り合い立ち上がって大団円と言いたいが僕たちは最後に一つだけやり残している事がある。気絶した麻衣子が目覚める前に方を付ける必要がありいつまでもセンチメンタルな気分に浸っているわけにはいかないのだ。


「だいぶ落ち着いたみたいだな。それで麻衣子のやつはこの後どうするんだ。俺が昨日聞いたのは本音を聞き出すところまででこの後のことはなにも知らねえ。警察に通報するなら俺からしとくが」


 姿を消していた哲希だったが、どうやら隠れて僕たちの様子を見守っていてくれたみたいで頃合いだろうというように再び姿を露わにした。昨日、意を決して哲希には薫ちゃんから聞いた話を全て伝え作戦に協力して欲しいと持ちかけ、もし不測の事態に陥ったときの保険として外で待機してもらっていた。そして哲希にも二人の会話を聞いてもらうため廃墟に侵入する前に通話を繋ぎ全てを聞いてもらっていたのだ。だが伝えたのはそこまでで最終的に麻衣子をどうするかということはなにも伝えていない。それを今から自分の口で説明しなければいけなかった。


「どうするかについては薫ちゃんと話し合って決めたんだけど、僕たちはこの廃墟ごと燃やそうと思っている」


 廃墟を燃やす、それはすなわち麻衣子も一緒にこのまま焼却するということだ。最終的にどうするかについては薫ちゃんも即答することはなく二人して悩みに悩んだ末に決断を下したことだった。


「燃やすって、罪を償わせることもせずにこのままってことか。本当にそれでいいのか」


「いいわけないだろ。幼馴染をこの世から消す、消すなんて生優しい言葉で誤魔化しちゃいけない、この手で殺すんだぞ。それでもやらなくちゃいけないんだ。麻衣子がいる限り薫ちゃんは安心して生きていけない。東山葵として生きていけないんだ」


 決断は下しても今だに納得できてない自分がいることもまた確かだが、それでもこうするしかないんだと声を荒げて訴える。


「どういうことだよ智也。東山葵はもういないんだぞ」


「薫ちゃんは今後も東山葵として生きていくと決めたんだ。正体を知る人は僕と哲希、そして麻衣子の三人だけであり秘密を守り続けるためにはこうするしかない。それにこれから先のことを考えたとき、またいつ麻衣子が薫ちゃんに牙を剥くかわからないんだ。今回は失敗に終わったが次はもう手段すら選ばないかもしれない。それほどに麻衣子の裏の顔は危険だとさっき二人の会話を聞いて哲希もわかっただろ。それにこれは麻衣子の罪を隠蔽するためでもあるんだ。いらぬ情けかもしれないが東山葵の自殺は未来永劫、世に広まらない」


 春休みから東山葵として日常を送り真相を解き明かすために邁進してきた日々も今日で終わりを告げたわけだけれど、東山葵から東山薫へと戻ることは難しくなっていた。また東山葵のいない世界を隠蔽するためにはこれからも東山薫は東山葵として存在しなくてはならない。


「そこまで覚悟が決まった目で言われたんじゃ俺はなにも言い返せねえよ。でもよ俺がいつか真実を暴くかもしれないぞ」


「そうなったときは二人目の、最後の親友を失ってでも口封じさせてもらう……ってのは冗談だけど哲希はそんなことしないって信じてるから」


 僕は今作れる最大限の笑みを浮かべながら親友の顔をまじまじと見つめた。誰かに裏切られるのも、誰かを失うのも今日が最後であって欲しいと心から僕は願った。



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