終幕と開幕
麻衣子から真実を聞き出すという作戦は無事成功し終幕を迎えたというのに達成感や歓喜はなかった。嘘偽りのない事実を知ることはときに残酷で、中学生の僕になにか出来ていたらと虚無感に囚われる。幼馴染が悪事に手を染めていたと全てを知った今、心境は非常に複雑であり全てが夢だったらと二人の話を聞いている時から何度思ったことだろうか。不意打ちで麻衣子を気絶させた後もずっと握りしめていたスタンガンだったが緊迫した空気から解放され力が抜けた手から落下し鈍い音が響く。後を追うように僕も緊張の糸が解けた体を床に据えた。
「滝野瀬さん、大丈夫ですか」
気絶したフリをしていた僕とは違い真正面で麻衣子と対峙していた薫ちゃんは精神的にも体力的にも限界近くまで疲弊しているはずなのに気遣わしげに駆け寄って来た。僕のもとまで来てくれた薫ちゃんを手で大丈夫と制する姿は先輩として情けなかったが、想像以上に今の僕は悲しみに打ちひしがれてしまっているらしい。全てを打ち明けた麻衣子は目の前で気絶しており成すべきことを成したはずなのに、この後味の悪さはなんだろうか。僕と同じくらい麻衣子とは付き合いの長い親友は春休みから今日までの全てを知りなにを思っているのかと廃墟に入ってからずっと通話中のままだったポケットに入れてある携帯を取り出した。
「全て終わったからもう入って来ていいよ」
役目を終えた携帯をしまい座り込んだまま待っていると足音が廃墟に響き徐々にその音を大きくしてこちらに近づいてくる。意味もなく石の床を見つめていた視線を入り口の方へと向けるとこれまで外で待機してくれていた哲希が立っていた。視線が合うも親友はなにも口にすることなくゆっくりとこちらへと歩み寄る。足を崩しているためすぐ側で足を止めた哲希を見上げると、言葉よりも先に肩に二度優しい衝撃が伝わった。言葉などなくても肩に置かれた手と哲希の目から伝わってくる温かさは堰き止めていた感情を一気に解き放ち悲しみの雨を止めどなく降らした。薫ちゃんの前だからと堪えていたが人目も憚らず感情の赴くままに背中を丸め泣き喚く。
麻衣子の話を聞いて怒りはもちろんあったし彼女がしたことを許せるはずもなかった。それでも長い時間をかけて積み上げてきた麻衣子との思い出が全て黒く塗りつぶされてしまうかといえばそんなことはなく余計に苦しい。僕にも何かできる事があったのではないか、もしかしたら麻衣子が道を踏み外さない未来もあったのではないかとお門違いにも思ってしまう。僕は恋人だけでなく幼馴染まで失ってしまったのだと実感すると胸が張り裂けそうだった。僕のせいで二人はいなくなってしまったと自責の念が押し寄せる。
「お前は良くやったよ智也。真実は残酷だが俺たちはこれからも強く生きていかなくちゃいけねえ、東山葵の分までな。今すぐじゃなくていい、ゆっくりとお前のペースでまた立ち上がれ。それまではずっと俺がそばにいてやるから」
涙は枯れ嗚咽が鳴り止み耳に届いたのは優しさに満ち溢れた親友からの言葉だった。顔を上げることすらできず蹲ったままの僕は枯れたはずの涙が再び溢れ出し悲しみで出来た池に今度は希望の涙を落とす。いつまでも下を向いてはいられないと顔を拭い前を向くと親友の姿は消え、僕と薫ちゃんだけが残されていた。
「ごめんなさい滝野瀬さん、私は全然理解できていませんでした。高柳さんが言っていたように自分にとっては憎悪の対象でしかなくても滝野瀬さんにとってはどれだけ掛け替えのない人だったのかを深く考えるべきでした。巻き込んでしまって本当にごめんなさい。最初から最後まで私一人でやるべきたったんです。大切な人を失う感情は私が一番知っているはずだったのに」
薫ちゃんは今にも泣き出してしまいそうな表情で全てが間違いだったかのように僕を真実へと
「薫ちゃんはなにも間違っていない。二人だったからこそ僕たちは今ここにいて決着をつけることができた。だからそんな悲しいこと言わないでよ。薫ちゃんが気に病むことはないし、遅かれ早かれ向き合うことになる運命だったんだと思う。麻衣子がこれ以上の悪事に手を染めてしまう前に止める事ができてよかった」
幼馴染で特別な存在だったとしても麻衣子は人の道を離れてしまったのだから情けをかけることは間違いなのだ。全ては自分自身が決断したことで真実を知るため薫ちゃんに協力する道は僕の選択である。だというのに薫ちゃんに負い目を感じさせている自分はなにをしているんだと気持ちを奮い立たせ立ち上がると薫ちゃんに手を差し伸べた。
「これまで辛い役目を買って出てくれて本当にありがとう。そして力になるとか口では言っておきながら、こんな情けない姿を晒す頼りない先輩でごめん。これで全てが解決して明日から晴れやかに過ごすなんてことはないかもしれないけど、僕たちもゆっくりと前に進んで行こう」
二人手を取り合い立ち上がって大団円と言いたいが僕たちにはまだ一つだけやり残している事がある。気絶した麻衣子が目覚める前に方を付ける必要がありいつまでもセンチメンタルな気分に浸っているわけにはいかないのだ。
「だいぶ落ち着いたみたいだな。それで麻衣子をこの後どうするんだ。俺が昨日聞いたのは本音を聞き出すところまでで、この後のことはなにも知らねえ。警察に通報するなら俺からしとくが」
姿を消していた哲希だったが、どうやら隠れて僕たちの様子を見守っていてくれたようで頃合いだろうというように再び姿を露わにした。昨日、意を決して哲希には薫ちゃんから聞いた話を全て伝え作戦に協力して欲しいと持ちかけている。もし不測の事態に陥ったときの保険として外で待機してもらったことも、外にいても二人の会話を聞いてもらうため廃墟に侵入する前に通話を繋ぎ全てを聞いてもらったのも全て事前に計画していたことだ。だが共有したのはそこまでであり最終的に麻衣子をどうするかということについては伏せていた。ここまで尽力してくれたのだから自分の口で説明する義務が僕にはある。
「警察には通報しなくていいよ。どうするかについては薫ちゃんと話し合って決めたから。僕たちはこの廃墟ごと燃やすことにした」
廃墟を燃やす、それはすなわち麻衣子も一緒にこのまま焼却するということだ。最終的にどうするかについてだけは薫ちゃんも即答することはなく、二人して悩みに悩んだ末に決断を下したことだった。
「燃やすって……罪を償わせることもせずにこのままってことか。本当にそれでいいのか」
「いいわけないだろ。幼馴染をこの世から消す。消すなんて生優しい言葉で誤魔化しちゃいけない、この手で殺すんだぞ。それでもやらなくちゃいけないんだ。麻衣子がいる限り薫ちゃんは安心して生きていけない。東山葵としても薫としても生きていけないんだ」
決断は下しても今だに納得できてない自分がいることもまた確かだが、それでもこうするしかないんだと声を荒げて訴える。友人をこの手にかける恐怖がないはずがなかった。それでもやらなくてはならない理由がある。
「どういうことだよ智也。東山葵はもういないんだぞ」
「薫ちゃんは今後も東山葵として生きていくと決めたんだ。正体を知る人は僕と哲希、そして麻衣子の三人だけであり秘密を守り続けるためにはこうするしかない。麻衣子を生かしこれから先のことを考えたとき、またいつ薫ちゃんに牙を剥くかわからないんだ。今回は失敗に終わったが次はもう手段すら選ばないかもしれない。それほどに麻衣子の裏の顔は危険だとさっき二人の会話を聞いて哲希もわかっただろ。それにこれは麻衣子の罪を隠蔽するためでもあるんだ。いらぬ情けかもしれないが東山葵の自殺は未来永劫、世に広まらない」
春休みから東山葵として日常を送り真相を解き明かすために邁進してきた日々も今日で終わりを告げたわけだけれど、東山葵から東山薫へと戻ることは難しくなっていた。東山葵のいない世界を隠蔽するためにはこれからも東山薫は東山葵として存在しなくてはならない。東山薫は行方不明のままであり、東山葵の自殺、それから麻衣子の罪は世間に知れ渡ることはないのだ。今度は僕たち三人が世間を欺き通す番だった。
「そこまで覚悟が決まった目で言われたんじゃ俺はなにも言い返せねえよ。でもよ俺がいつか真実を暴くかもしれないぞ」
「そうなったときは二人目の、最後の親友を失ってでも口封じさせてもらう……なんて言うのは冗談だけどさ。哲希はそんなことしないって信じてるから」
僕は今作れる最大限の笑みを浮かべながら今も昔もずっとそばにあった頼れる顔をまじまじと見つめた。誰かに裏切られるのも、誰かを失うのも今日が最後であって欲しいと僕は天を仰いだ。
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