第26話 感謝と決別

「ここから後は僕がやるから二人は先に外に出て待っててくれないかな」


 これから僕たちがいる場所は火災現場となるわけであまり長居するべきではないと最後の役目を果たすため二人には外に出てもらい火を付ける用意に取り掛かるべく動き出す。薫ちゃんからは「最後まで一緒にやります」とありがたい申し出があったがこれだけは僕一人に任せて欲しいと状況的には人手があった方がいいことは承知の上でわがままを押し付けた。二人の退出を見送ると別の部屋に昨日あらかじめ運び込んで用意しておいた灯油缶とライターを取りに僕も一度部屋をでる。季節外れのため灯油の入手が困難かに思われたが自宅の倉庫に昨年の残りが置いてあって助かった。

 灯油缶を手に再び最奥の部屋に戻ると麻衣子がいなくなっていたなんてことはなく、横たわる彼女の元までたどり着くとそっと石の床に灯油缶を下ろし座り込んだ。これっきりのお別れであり言いたいことは山ほどあると最後の二人だけの時間を使わせてもらうことにした。


 僕たちが初めて出会ったのは幼稚園年長の頃だった。内気で人見知りだったため一人で遊んでいる事が多かったが、ある日そんな少年に声が掛かる。話しかけてくれた人物こそが麻衣子であり一緒に遊ぼうと輪の中へと誘い出してくれた。第一印象として性格は正反対で明るく溌剌、物怖じしない姿勢に最初は躊躇い若干の距離を置いていたが毎日話しかけてくれる彼女がいたからこそ徐々に打ち解けていったのだ。

 小学校、中学校を共に過ごすなかで麻衣子はどんどん変わっていった。容姿は徐々に大人びていき、交友関係は広まりその範囲は止まることを知らず気がつけば僕は取り残されていた。それでも性格までは変わらずこれまでそうしていたように普段通りであり当たり前のように麻衣子は学年が変わろうともずっと声をかけてくれたのだ。当時それがどれだけ嬉しかったか平然と話しかける麻衣子にはわからなかっただろう。こんなことを言ったら麻衣子は怒るだろうが僕と君とでは住む世界が変わってしまったのだと何度思い、周りの目を気にして話したりしていたか分からない。そして今に思えば幼馴染だというだけでずっと当たり前のようにそばにいてくれた麻衣子に甘えてしまっていたのだと思う。時間は経過しても麻衣子はずっと僕の側にいてくれる、これまでもそしてこれからもずっと幼馴染であると。

 そして中学三年生になると転機が訪れ東山葵という初めての彼女ができた。全てはこの時から歯車が狂い始めてしまったのだ。どうして麻衣子はいつものように僕に直接思いの丈をぶつけてくれなかったのだと嘆きたい。裏でこそこそするなんて麻衣子らしくないのだ。それで僕と東山葵の関係があるいは僕と麻衣子の関係がどう変化したかは分からないが、もしも辿る結末が同じ別れだったとしても麻衣子の全てを直接ぶつけてもらっての決別なら僕もすんなりと受け止め切れたというのに。

 麻衣子は取り返しのつかないことをした。それは今後一生変わることのない事実なのだ。それでも幼き日に一人で寂しそうに遊んでいた僕の手を取り明るい世界に連れ出してくれたのもまた事実である。これまでの全てがなかったことにはならないし麻衣子が今までにくれたものは沢山ありすぎて感謝はしてもしきれない。だから僕は別れの言葉とともにこれまでの感謝を残そうと思う。


「さようなら麻衣子、君の業は僕が背負っていく。そしてありがとう、僕に初恋をくれて」


 静まりかえった空間に独り言を溢すとゆっくりと立ち上がり灯油缶の蓋を外した。辺りには灯油特有の匂いが充満しどんどん軽くなっていく灯油缶は別れの時が迫っていることを実感させる。空っぽになった灯油缶を手からそっと離すと最後にもう一度だけ麻衣子へと視線を向けた。

 うつ伏せで倒れているため素顔は見れないが後頭部が晒されており最後の最後で懐かしい髪留めが目に飛び込んできた。それは僕が小学生のとき麻衣子が企画してくれた二人きりのクリスマスパーティーで僕が初めて誰かのためにあげたプレゼントであり忘れるはずもない。


「もらったものはなかなか捨てられないよな。思い出が詰まってると尚更」


 共感するように自然と口から言葉が溢れ、最後に遠い昔のことを思い出したと感慨に耽りながらライターを取り出し迷うことも躊躇うこともなく灯油が撒かれ変色した床に火をつける。もう後戻りはできないと見せつけるように火は瞬く間に広がり空気中の温度が上昇し、火に飲み込まれては洒落にならないと慌て外へと非難するため麻衣子に背を向け走り出した。


「と……も……や……」


 部屋を後にしようとしたときふと背後から掻き消えそうなはっきりしない声で名前を呼ばれた気がした。どんなに弱々しくてもそれが空耳なんかではなく麻衣子の最後の言葉であると瞬時に確信し、頭の中にはこれまでの記憶を辿るように在りし日の思い出が流れる。背後から火が迫っている事など知ったことかと引き返したい衝動に駆られるも、僕が選んだ人はただ一人と足を止めることも振り返ることもせず東山葵が待つ出口まで走り抜けた。


 翌日、廃墟の火災は大々的に報道された。幸いなことに火災現場は住宅街からは離れており石造りであった事も相まって周辺被害はなく消化が完了し現在は情報提供を求めているとキャスターは語る。そして消化された廃墟から一人の遺体が見つかったが体は激しく損傷し特定には至っていないとのことだ。

 地形を利用し被害を抑え、廃墟までの道中はできるだけ目撃されない細い路地を使ったことで僕たちの作戦は世間の目すら欺くことに成功したのだった。

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