第27話 炎に包まれて
気が付くとうちは真っ白な世界に横たわっていた。見渡す限りが白でありどこまで続いているのか距離感も現在地もつかめない。目に映るのは一面の白、そして智也の姿だけであり他にはなに一つない閑散とした場所だった。どこにいるのかどうしてこんな謎の場所にいるのか見当もつかなかったが智也とうちしかいない空間はそれだけで心地がよく、どこであるかなど些細なことでしかなくどうでも良くなった。けれどそう思っているのはうちだけらしく目の前に座っている智也は悲しそうな瞳で項垂れ何か呟いている。見間違いなどではなく口元は確かに動いているのに耳にはなにも聞こえてこない。「なにを言っているの、聞こえないよ」と訴えかけても智也は反応を示してくれなかった。まるで目の前に透明の壁があり全てが遮断されているかのようだ。手を伸ばせば届きそうな距離にいる智也の隣へと移動するためうつ伏せで寝た姿勢から起き上がろうとするが体が硬直していて指の一本すら動かすことが出来なかった。人との距離感など全く意識していなかった幼き日のように数年ぶりに至近距離に智也がいるというのに触れるどころか近づくことすら許されない状況は世界がうちを智也から遠ざけようとしいるようですらある。実に腹立たしくこの世の理に抗うため唯一動かすことが可能な口で何度も何度も名前を叫んだ。うちはここにいるだからお願い気がついてという存在証明も全て壁にぶつかり智也に届くことはなかった。心からの叫びは真っ白な世界に虚しく響くだけであり、ずっと座り込んでいた智也は立ち上がるとうちに背を向けこの世界から去ろうとしている。待って行かないでと縋るような切望はもう声にすらならず、いつの間にか真っ白だった世界は真っ赤に塗りつぶされていた。息を吸えば喉元が焼けるかのように熱く呼吸することすら困難だったが去りゆく智也を引き止めるべくこの身のことなど気にせず最後の力を余すことなく全て込めて名前を呼んだ。
「と…も…や…」
もう声にもならない声を振り絞りなんとか彼の名前だけは言い切ることが出来たが、結末を変えることは叶わなかった。紅の世界に一人取り残されたうちに出来ることなどもうなにもなく、次第に瞼が重たくなり真っ暗闇の世界へといざなわれた。
どれくらいこうしていたのか分からないが目を覚ますと夢の続きかのように目前には火の海が広がっていた。火に熱され兵器となりつつある空気を吸い込むわけにはいかないと瞬時に判断し息を止める。夢とは違い体は自由に動かすことが可能であり、まずは燃え盛る火炎の中からなんとか脱出しなければならない。うちを囲むように火柱を上げ範囲を拡大していく炎の中心で手をつき立ち上がろうとすると背中に痛みが走った。瞬間だった、痛みの理由をそしてこれまでの全てを思い出すのは。全てはうちが始めたことであり地獄のような現状は終着点なのだと悟った。智也はうちではなく東山葵を選び、彼女がいる世界でこれからも生きていく選択をした。それならば敗北者であるうちは運命に従いここで尽きるべきなのだ。薫ちゃんにも言われたんだっけな、「智也の気持ちを踏みにじってる、隣に立つ資格はない」と確かにその通りだった。うちの黒い部分を全部聞かれちゃったんだからどんな顔して会えばいいのか、そもそも智也はもう会ってすらくれないかもしれない。また嫉妬心に駆られてこの身を悪に染めるのは辛いし、なにより疲れたよ。悔いが残るとすればずっと頑なに守ってきた唇を智也に捧げることが叶わなかったことぐらいだった。自分でも呆れるほどにこういうとこだけは純で乙女だと思わなくもないが、こんなことならもっと遊んでおけばよかったなどとは死が目の前に迫りつつある今でも断言できるほどに一縷も思わない。心は醜く歪んでしまったけれどそれでも智也への初恋だけは胸を張って本物だったと言えるから。
覚悟は決まったと上半身だけを起こし正座をしていた中途半端な姿勢から立ち上がることをやめ仰向けに寝転がった。そもそも炎から身を守る手段など持ち合わせておらず脱出は不可能に近かったのだ。心だけでなく火傷を負い顔まで醜くなって生きていたくはない、せめて記憶の中のうちぐらい美しく残っていて欲しい。もっと化粧を勉強しておけばよかったかな。
自業自得もいいところであり泣く資格なんてあるはずもないのに次から次へと涙が目からこぼれ落ちていくのはどうしてだろうか。死への恐怖か智也に二度と会えない悲しみかやりたいことやり残したことへの未練かはたまたこれまでの日々を想起させる走馬灯を見たからか涙も感情も制御ができない。頬を伝う涙滴は瞬く間に蒸発し迫りくる炎が涙の跡を掻き消してくれる。そして高柳麻衣子の存在をも掻き消すべく炎は躊躇いなど一切なくこの身を包み込み燃やし尽くした。
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