炎に包まれて
気が付くとうちは真っ白な世界に横たわっていた。見渡す限りが白でありどこまで続いているのか距離感も現在地もつかめない。目に映るのは一面の白、そして智也の姿だけであり他にはなに一つない閑散とした場所だった。どうしてこんな謎の場所に寝そべっているのか見当もつかない。だが智也とうちしかいない空間というのはそれだけで心地がよく、ここが何処で何故うちはここにという些細なことはすぐにどうでも良くなった。だというのに現状を歓喜しているのはうちだけらしく目の前に座っている智也は悲しそうな瞳で項垂れ何か呟いている。目覚めたばかりで視界の端にモヤがかかっていて視界は悪いが口元の動きだけは確かに捉えているというのに音が聞こえてこない。
「どうしたの智也。何も聞こえないよ」
訴えかけても智也は反応を示してくれなかった。まるで目の前に透明の壁が存在し全てが遮断されているかのようだ。手を伸ばせば届きそうな距離にいる智也の隣へと移動するためうつ伏せで寝た姿勢から起き上がろうとした。しかし体が硬直していて指の一本すら動かすことが出来ず一ミリも身動きが取れない。触れるどころか近づくことすら許されない状況は世界そのものがうちから智也を奪おうとしているようですらあった。実に腹立たしくこの世の理に抗うため唯一動かすことが可能な口で何度も何度も名前を叫んだ。うちはここにいる。だからお願い気がついてよという存在証明も全て壁にぶつかり智也には届かない。心からの叫びは真っ白な世界に虚しく響くだけで虚しくなってくる。言葉を通わすことが出来なくても居てくれるだけでよかったんだ。だというのにずっと座り込んでいた智也は立ち上がるとうちを置いてこの世界から去ろうと歩き始めた。待ってよ、行かないでよと縋るような切望はもう音にすらならず、いつの間にか真っ白だった世界は真っ赤に塗りつぶされていた。息を吸えば喉元が焼けるかのように熱く呼吸することすら困難だ。それでも嫌な直感がもう二度と会えないと訴え掛け、去りゆく智也を引き止めるべくこの身のことなど気にせず最後の力を余すことなく最愛の名前を呼んだ。
「と…も…や…」
もう声にもならない声を振り絞りなんとか彼の名前だけは言い切ることが出来たが、結末を変えることは叶わなかった。紅の世界に一人取り残されたうちに出来ることなどもうなにも残されておらず、次第に瞼が重たくなり真っ暗闇の世界へといざなわれた。
どれくらいこうしていたのか分からないが目を覚ますと夢の続きかのように目前には火の海が広がっていた。火に熱され兵器となりつつある空気を吸い込むわけにはいかないと瞬時に判断し息を止める。夢とは違い体は自由に動かすことが可能であり、燃え盛る火炎の中からなんとか脱出しなければならない。うちを囲むように火柱を上げ範囲を拡大していく炎の中心で手をつき立ち上がろうとすると背中に痛みが駆け抜けた。瞬間だった、痛みの理由をそしてこれまでの全てを思い出すのは。全てはうちが始めたことであり地獄のような現状は終着点なのだと悟った。智也はうちではなく東山葵を選び、彼女がいる世界でこれからも生きていく選択をした。敗北者であるうちは運命に従いここで尽きるべきなのだ。薫ちゃんにも言われたんだっけな。
『智也の気持ちを踏みにじってる、隣に立つ資格はない』
確かにその通りだった。うちの黒い部分を全部聞かれちゃっただろうからどんな顔して会えばいいのかな。そもそも智也はもう会ってすらくれないかもしれない。また嫉妬心に駆られてこの身を悪に染めるのは辛いし、なによりも疲れた。悔いが残るとすればずっと頑なに守ってきた唇を智也に捧げることが叶わなかったことぐらいだった。自分でも呆れるほどにこういうとこだけは純で乙女だと思わなくもない。こんなことならもっと経験を沢山積んでおけばよかったなどとは死が目の前に迫りつつある今でも断言できるほどに一縷も思わない。心は醜く歪んでしまったけれどそれでも智也への初恋だけは胸を張って本物だったと言えるから。
覚悟は決まったと上半身だけを起こし正座をしていた中途半端な姿勢から立ち上がることをやめ仰向けになって再び寝転がった。そもそも炎から身を守る手段など持ち合わせておらず脱出は不可能に近かったのだ。心だけでなく火傷を負い顔まで醜くなって生きていたくはない。せめて記憶の中のうちぐらい美しく残っていて欲しい。もっと化粧を勉強しておけばよかったかな。
自業自得もいいところであり泣く資格なんてあるはずもないのに次から次へと雫が目からこぼれ落ちていくのはどうしてだろうか。死への恐怖。智也に二度と会えない悲しみ。やりたいことやり残したことへの未練。はたまたこれまでの日々を想起させる走馬灯を見たからか涙も感情も制御が効かない。頬を伝う涙滴は瞬く間に蒸発し迫りくる炎が涙の跡を掻き消してくれる。そしてうちの存在をも掻き消すべく炎は躊躇いなど一切なくこの身を包み込み燃やし尽くした。
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