失ったもの救ったもの
高校生活一年目の夏休みも残り二週間を切っていたがすでに今年の夏休みはこれまでをそしてこれからを含めてもいいくらい一番と断言できるほどに忘れられない夏となり未来永劫この一ヶ月を記憶し続けるだろう。
廃墟での麻衣子との別れからすぐにまた普通の日常に戻れるなんて甘い話はなかった。眠れない夜は続き、ようやく眠れたと思いきや悪夢にうなされる始末だ。未だ犯人特定には至っていないがいつ警察の目が僕に向くか不安で仕方がなく、何も手につかない。東山葵の母親のように麻衣子の両親は娘に無関心ではないだろうから、いずれ捜索届が出され焼死体の特定につながるかもしれない。全ては時間の問題でこのまま怯えながら今後を過ごすのかと全てが終わった後になって自分がしたことの重みを感じていた。僕はこれから何年怯えて生きていかなければならないのだろうと正しいことをしたはずの行為を後悔しそうになっていたある日、携帯が鳴った。
「お久しぶりです滝野瀬さん。迷惑かと思い躊躇っていましたが心細くてかけてしまいました。今ってお時間大丈夫ですか」
久しぶりに誰かの声を聞いた。相手は薫ちゃんであり恐怖によって氷漬けにされていた心が声を聞いた瞬間、溶けていく。
「大丈夫だよ薫ちゃん。ありがとう電話をくれて。あれからちゃんと寝れてる」
「それはよかったです。最近はよく眠れている気がします。あ、滝野瀬さんはビデオ通話って知ってますか。よかったお互いに顔を見て話しませんか」
「ビデオ通話?ごめんやったことないんだ。よかったらやり方を教えてくれないかな」
恥ずかしながらアプリの機能をほとんど活用したことがない僕は手順を教わりながら指示に従った。ビデオ通話モードに切り替えると画面に大きく薫ちゃんが現れ、右上に小さく自分の顔が表示される。カメラをつけて通話もできるのだと機械の発展を見せつけられた気分だ。残念なことがあったとしたら亀裂が入った携帯画面のせいで薫ちゃんの表情がはっきりと見えないことだった。
「ちょっと滝野瀬さん、ひどい顔をしてますよ。それに部屋も暗すぎます。もうお昼なんですからまずはカーテンを開けて部屋の明かりをつけてください」
カメラをつけた第一声がひどい顔とは思いもよらず傷つきそうだったが、今の自分は睡眠不足も祟って最悪なコンディションだということに気が付く。暗い部屋に閉じこもるのは僕の悪い癖なのかもしれないと部屋を見渡しカーテンの元へ。
「滝野瀬さんは眠れてないみたいですね……無理をされているのであれば通話はいつでもいいので休んでください」
「無理は、してないよ。誰かと話したかったからこのままでいさせてくれないかな」
「はい、私でよければいつでも話を聞きますよ」
無理をしているようにしか見えなかっただろうが薫ちゃんは通話を切らずに画面の向こうで微笑んでくれた。薫ちゃんが通話をかけてくれていなければ僕の心は崩壊していたかもしれない。僕の心に抱える全てを吐露できる人は限られている。薫ちゃんと哲希だけが真実を知る人物であり、そのうちの一人である存在に僕はここ数日の苦悩を吐き出した。
「そうだったんですね、ごめんなさい。私も数日は気持ちの整理がつきませんでしたが最近は前を向けるようになりました。お二人も大丈夫かと思いましたが、そうではなかったんですね……」
「こんな話を聞かされても困るよね。前を向いているなら尚更……」
「聞いてください、滝野瀬さん。私はあなたに救われました。春からこの夏まで私の心は黒く澱んでいました。いつこの苦しみから解放されるのだろうかと死ぬ事すら厭わなくなるまでに追い込まれ絶望した時期も。そんな私の心の闇を払ってくれたのはあなたです。だから忘れないでほしいあなたの行いで救われた人がいると。否定しないでほしい私のためにしてくれたことを。滝野瀬さんだけが背負う必要はありません。私にも背負わせてくださいよ。あなたのためなら私はこの命だって差し出せます」
薫ちゃんは諭すように力強くも優しさが滲み出る声音で語ってくれた。僕は失ったものばかりを数えていたのだとハッとさせられる。画面上に今もなお映し出されている笑みを僕は心の闇から救い上げたのだ。心を覆っていた闇は嘘のように取り除かれどうしようもなく薫ちゃんに会いたいと鼓動が訴えかけてくる。
「薫ちゃん、明日会えないかな」
「会えますよ。今からだって会えます、会いに行きます」
ビデオ通話をしているので今更ではあるがひどい顔を直接は見せたくないと男の本能が拒絶していた。気持ちはありがたいが明日にしようと食い気味な薫ちゃんをなだめる。それから集合場所と時間を決めると何をするかは当日の気分に任せることになった。
「今日はありがとう薫ちゃん。それじゃあまた明日」
「はい、また明日」
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