第3話 送信と来訪
夏休み初日もとい東山葵との二回目の交際初日を迎えたわけだけれども、寝て起きても現実味が全くもって湧いてこない。昨日の放課後の出来事全てが都合の良い夢だったと言われた方が腑に落ちるというものだが、携帯電話の連絡アプリに春休みぶりに登録されている東山葵の名前が全て現実であることを教えてくれる。
体育館裏で噂に違わぬ対応を受けそれはもう情けないにもほどがあるほど狼狽えたわけだけれども、百戦錬磨の東山さんはというと通常運転だった。これまでの数多の告白から培った経験からか、決まり切った流れに沿うように連絡先を交換すると一緒に下校することもなくあっさり帰ってしまった。あまりの迅速な去り際に成功したのか失敗したのか脳の処理が狂いそうだった。それから翌朝を迎えるまで何の音沙汰もなく初日というわけだ。
例の噂について絶対に付き合えるという文言がどうしても目につきやすいが、失念てはならない事実が一つあり交際期間はどんなに長くても三日ということだ。最短だと一日ということもあるのだから、うかうかもしていられない。一日はいわずもがな三日ですら付き合った経験に数えて良いのかどうかは議論に値しそうな興味深い題材だが今はとにかく行動あるのみ。すでに一日目は残り半日となっており残り時間は最長でも六十時間といったところだ。
具体的な数字を出してみると三日と言われるよりは長く余裕があるように感じてしまうのだが、兎にも角にも受け身の姿勢では始まらないと携帯を手に東山さんを誘い出すため連絡を試みることにした。
体育館裏で久しぶりに二人っきりで再会し僕は他の男子生徒と変わらない存在なんだと自覚させられ吹っ切れたはずだった。しかし僕という人間は復縁できてしまったとあらば話は別とこの機会を簡単に放棄できず行動を起こす。単に浮かれているだけかもしれない。
結論から語るならば一日目は何一つ進展がないまま日付が変わってしまった。ただの夏休みではなく彼女がいるという付加価値がついた男子なら誰もが切望するこれ以上ない夏の幕開けというのにだ。なんという為体、笑ってくれ大いに笑ってもらって結構。
これが噂などもたない普通の女子生徒とのお付き合いであれば、夏休み中に一日の遅れを取り戻すことなど容易いのだろうが僕にはあと二日しかなく一日の喪失があまりにも痛すぎる。まさか夏休みが仇となろうとは思いもしなかったし、考えたこともなかったが毎日当たり前のように顔を合わせる学校という空間がいかに恵まれているということかを思い知らされた。
余談だが情けない僕が半日をどのように過ごしてたかというと、お昼ご飯を済ませた後に自室に戻り携帯を手に初デートの連絡を試みた。だが文字盤にのせた親指が滑ることはなく数時間ほど携帯画面と向き合っていたがやがて痺れを切らし本棚やゲーム機に手が伸び気がつけばの有様である。
中学校卒業を機に僕は携帯電話を初めて手にし、当時付き合っていた東山さんと連絡先を交換したときは家でも会話ができることが嬉しくて携帯画面に釘付けだったというのに。復縁したからといって簡単にあの日に戻ることはできないらしい。
これが復縁ではなく新たな恋だったらこんなにも頭を悩ませることなく、過去の経験を駆使することもできたのだろう。復縁という言葉も腑に落ちていないというのが本音で、春休みで止まってしまっている彼女の印象と今の彼女は面影もないほど変わってしまっていて心情が追いついていないというのが正直なところである。
復縁したいという気持ちが全くなかったというわけではないが、東山さんにとって元彼氏という存在は意識するに値しないという事実が彼女との温度差がどう接したら良いか惑わせる。
このまま自然消滅してしまうのも悪くないと負の感情に一日目にして飲み込まれそうになるが、手にした機会をもう良いですよと簡単に手放すには惜しいとしがみついてしまう欲深さがせめぎ合うなか眠りについた。
三日目を迎えてようやく気持ちに踏ん切りをつけることができた。正しくは最終日となってしまい動かざるを得ずようやく重い腰を上げたという情けない有様なのだが。夏休みの課題も最終日にならないとできないことはお察しの通りである。
補足することでもないが二日間、復縁したはずの東山さんからも連絡が入ることはなかった。素っ気なく薄情とも取れるが全て自分にも返ってくるので何も言えないが、元彼として意識されているから連絡が取りづらいというのであれば気休めにもなる。
あっという間に残された時間は二十四時間を切ってしまったわけで、ようやく携帯画面に乗せた指が動き出したと同時に家のインターホンが鳴り響いた。今は何よりも優先しなければいけないことが目前にあり対応は母に任せるしかない。指は今だ完全にはぬぐいきれない心の奥深くにある迷いを体現するかのようにぎこちなく、文字を打つスピードがカタツムリの移動速度と変わらないほどだ。
のらりくらりしているうちに二回目の呼び出し音が鳴り、現在家にいるのが自分だけであることを思い出した。であれば早く玄関に向かわなければいけないのだがここで中途半端に携帯を置いてしまうと、来客対応している間に気が変わってしまうかもしれない。自分への信頼の無さにもう少し信用してあげてもと肩を落としたくなるが、悲観している暇などあるはずもなく過去一の打鍵速度でメッセージを入力し勢いで送信まで済ませると自室を駆け出し玄関へ。
メッセージを打ち切ってからの送信ボタンを押すという最後の難所を想定していたが緊急事態により高く思われた壁は一瞬で突破し、お待たせしましたと語尾を伸ばしつつ呑気に三回目のインターホンが鳴る前に玄関の扉を開けた。
三日目にしてようやく一歩を踏み出したわけだけれども、扉を開けた先にはこれまでの逡巡が無駄だったのではないか思わせる人物が立っていた。何を隠そう突然の来訪者は数秒前に取り出したであろう携帯電話を手に持つ東山葵だった。
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