第4話 入室と帰宅
三日目を迎えようやく連絡を入れることに成功したわけだけれども、顔を合わせるのはもう少し後のことだと心の準備はまだ整っておらず扉の向こうに広がっていた光景に開け放った手を引くこともできず停止してしまった。ここ直近、僕は東山さんを前にすると醜態を晒してばかりである。中学生のときは初めての彼女ということもあり格好つけていいところを見せようと躍起になっていたというのに。
「いきなり押しかけてしまってごめんね。今日って暇だったりするかな」
どれくらい呆気にとられて立ち尽くしていたかは分からないが東山さんの透き通った声により我に返る。まさかのお誘いに上機嫌になりつつも玄関先で立ち話するのは近隣住民の目が気になるので家の中へととりあえず入ってもらうことにした。急な来客ではあったがここ二日家に篭り携帯電話と睨めっこし現実逃避するように柄にもなく進んで部屋の掃除をしていたことが功を奏することになろうとは。
異性をそれも恋人を自室に迎え入れるのだからもう少し緊張感を持っても良いものだけれど、東山さんに関しては中学生の時にすでに自室へ招いているため初々しさなど皆無である。
母がいなくともお茶ぐらいは自分で出せるので先に部屋に行っててと伝えキッチンへ寄る。グラスなどを用意しながら暗示をかけるように平常心でいこうと落ち着きを取り戻し、お盆片手に廊下へ出ると東山さんは玄関に立ったままで待っていた。何度か来たことがあるとはいっても半年ほど経っているので躊躇いがあったのか、これまた配慮のなさを痛感する。一応家には誰もいないことを伝えてから先頭に立ち一緒に自室まで向かった。何度か来てもらったことがあっても部屋に入ると急に緊張感が増幅しとりあえずお盆を勉強机の上に置き、好きなところに腰掛けてもらうように促した。
床に体育座りで身を屈めた東山さんは物珍しそうに部屋中を見渡していた。久しぶりとはいっても入ってしまえば部屋の景色は中学の頃とそれほど変わっていないので初見のようにあちこち見られると恥ずかしい。
代わり映えしない部屋であることに申し訳なさを覚えつつ様子を伺っていると、ちょうど半周ほどした視線と視線が交錯した。気恥ずかしさのせいにして咄嗟に目を逸らすことは憚られ向き合う選択をしたのだが視線は当然のこと口すら動かせず沈黙が場を支配する。一度ぶつかり合った視線は縫い付けられたかのようであり、目を逸らせば負けという謎の強迫観念も相まって逃げ場が完全に失われていた。
均衡状態のなか東山さんは照れ臭そうに微笑んだ。破壊力極まる笑みは魔法のように僕の表情筋に表現の自由をもたらした。僕は愛想笑いに近い乾いた笑みを浮かべるが直視したままでいることは数秒が限界で視線を天井へと逃がし頬をかいた。
「急に来てしまってごめんなさい。一言くらい連絡するべきだったよね」
沈黙した部屋の雰囲気から解放された東山さんは僕がつい数分前に送ったメッセージを眺めながら突然の来訪を謝罪した。驚きこそしたが遅かれ早かれ会うつもりであり、三日目というのに今だうじうじ悩んでしまう身からすれば今後あったであろう躊躇いなど全てすっ飛ばしてくれたのだから感謝したいくらいである。欲を言うのであれば初日に、いや昨日来てくれていればということくらいだ。
すでにメッセージは送られてしまっているのでごまかしようがなく、僕から誘うつもりだったのでなにも問題ないと伝えるとほっと一息つく東山さんにグラスに入った麦茶を手渡す。
「ありがとう滝野瀬くん。それでね誘ってくれたのはすごく嬉しいんだけど一つだけ聞いてもいいかな」
久しぶりに名前を呼ばれたことになぜか言い表せない喜びと共に、昔みたいに下の名前で呼んでもらえないことに少し哀愁を感じつつ首を傾けると手に持っていた携帯画面がこちらに見えるように向けられた。
「翻訳をお願いしてもいいかな」
東山さんに送られていたメッセージは誤字脱字がいたるところに相見えとてもじゃないが読めたものではなかった。一行目まではしっかりした文体を保っていたが、急な来客と板挟みになって走り書きした二行目からは暗号のようで読めたものじゃない。
お願いされたからには暗号を解読しなくてはいけないわけだけれども作成者は自分自信なので自作自演の名探偵を演じることになりつつ、恋人として遊びに行こうという誘いの旨を口頭で伝えた。もちろん誘うのに三日かかってしまったことや噂のことについては省かせてもらったし、どこに行きたいとか詳しい場所が決まっていないことも伏せた。
「実は私も同じこと考えてたんだ。だから家まで来ちゃった」
高校生になったいま、僕たちは携帯電話という文明の利器を手に入れたわけで家に直接訪れるなんて労力はもう必要ないものだと思っていた。それに中学校の頃は家に来るたびインターホンを押してから待つ時間は慣れないと彼女はよく嘆いていたのだ。だというのに来ちゃったって、ノリが軽すぎやしませんか。来客が東山さんであることよりも出迎えるのが僕の母であることの方が想定しやすいのだ。母が出迎えていれば彼女も僕のようにあたふたした姿を見せてくれただろうか。しかし今回の場合に関しては母が対応することで気まずさを感じずにいられないのは僕も同じであり不都合が転じて二人にとっては好都合だった。
母がいることを想定しなければいけない家ということは、いつかは母が帰ってくるということでありそのことをすっかり失念してしまっていてた。近所の目を避けるために自室に上がり込んでもらったまでは良かったが、家族の目を避けることは出来ておらず慌てて家を出る準備に取り掛かる。東山さんと母は初対面でもないのだからと落ち着くことは不可能だった。春休み以降、一度も東山さんとの関係に言及されたことはなかったが半年ほどの空白期間があり復縁したはいいものの不吉な噂が付き纏うのも事実で僕たちの関係はまだ不安定で伝えづらい。であるからして現状では母に会って欲しくないというだけであり、紹介するならせめて三日目を今日を乗り切ってからでも遅くない。一日だけと願っても運命というものは待ってくれないらしく、玄関の鍵が解錠され開け放たれる音が耳を駆け抜ける。願いの泡は一瞬にして綺麗に霧散してしまった。
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