第2話 選択と期待

 栄田北高校の一年生であれば誰もが知っている、もう噂とも呼べない周知の事実がある。


 一年三組にいかなる告白をも絶対に断らない女子生徒がいる。


 男子生徒からしてみれば夢のようであり少し勘繰ってしまうところもある噂だが、一度でも渦中の人物の容姿を目にすれば何もかも気にならなくなってしまう。そんな女子生徒こそ東山葵その人だった。彼女は一学期という短い期間でクラス内に止まらず他クラスに及ぶ数多くの男子生徒と交際関係を結んだ。

 しかし噂を信じ彼女を呼び出した生徒が皆美味しい思いをしたかと思えばそうでもなく、短期間で数多の交際関係を気付いたということは裏を返せば長続きはしなかったということでもある。もちろん彼女が同時に数人と関係を結んでいない前提ではあるのだが。裏付けにはならないかもしれないが聞いた話によれば交際期間は最長でも三日が関の山だったそうだ。

 そんな噂に乗っかれと親友のはずの哲希は言っているのだ。これには耳だけでなく腹の裏を疑わなくてはいけない。僕が中学時代に東山葵と交際関係にあったことを知っている数少ない人物であるはずなのにだ。高校生になり元彼女が取っ替え引っ替え男子生徒と付き合っているということがどれだけの苦痛をもたらしたことか知っているのだろうか。噂に便乗するような真似は絶対にありえないはずなのに、思考すればするほど本当は行きたいんだろうと背中を押す自分がいるのが確かなのはなぜだ。


「本気で言ったわけじゃねえよ。ただいつまでもつまらない姿を晒すくらいなら何か行動して見せろってことだ、明日から夏休みなんだからよ」


 本気かどうかは長い付き合いで言葉尻から察することくらいはできるが、本気ではなくとも本心であることもまた察することができてしまう。今の僕には荒療治も必要なのかもしれないと現状陥っている状態を再度認識させられた。明日から夏休みだという言い分には拒絶されても当分は顔を合わせることもないんだから平気だろという意味も込められているのだろう。


「中学の東山を知ってるから別人のように、それこそ恐怖すら覚える変わりようなのも確かで俺からすればどこに未練が残るところがあるのかさっぱりだ」


 哲希は吐き捨てるように親友の悩みが理解できないと告げた。一応元カノなんだけどなと苦笑いを浮かべるのが精一杯だ。言う通りといえばその通りで、東山葵のようにとまではいかなくても僕も新たな恋を探すべきなのだろう。だとすると一学期の間に友好関係を築けなかった僕が恋愛をするのは二学期以降の話となり、イベントだらけであるはずの夏休みを丸々棒に振ることになる。今になって一学期のていたらくぶりが尾を引く形になろうとは。


「東山の変化に関しては思うところもあるが、同中だったにも関わらず告白する男連中ははっきり言って論外だ。あいつら中学の時に東山にしたこと忘れたわけじゃないだろ」


 自責の葛藤と一人対峙している僕のことなどお構いなしに言葉が次から次へと飛んでくる。募る思いが湧き上がる憤怒が話しているうちに感情が抑えきれなくなってきた哲希は口が暴走し始めた。これ以上はいけないと長年の勘が危険信号を黄色から赤色変え教えてくれる。なんとかなだめようとしたところでタイミングよくホームルーム開始のチャイムが響き渡った。

 他にも言いたいことは山ほどありそうだったが哲希はそうゆうことだからと雑に締めくくり自分の席へと戻るため腰を浮かしてくれた。念のため周りを確認し話を聞かれていなかったか伺ってみるが、誰も僕たちの会話には興味など示さずすっかり夏休みモードで予定立てに現を抜かしていてくれて助かった。

 発言は自身のものではなかったがつい胸を撫で下ろしてしまう。夏休み前に一悶着あってはたまったものではなく、親友にはもう少し場所を弁えて話して欲しいものだ。そうゆうこともこうゆうこともあるかと呑気に離れていく背中に目で訴えながら見送った。ホームルームの時間は一学期最後の決断を下すための思考に費やすとしよう。

 放課後になるとあろうことか僕は東山葵の目の前に立っていた。何がどうなったらどういう思考を巡らせればこうなるのか簡単に説明するなら親友の口車に乗せられた、乗ってやったというところだ。一時間にも満たないホームルームで下した決断は僕がどれくらい単純で、未練がましいかを未練がましいかを象徴している。だが弁解の余地があるとすればやはり明日から夏休みであり今日を逃せば次は一ヶ月後になってしまうという点だ。夏休みに自宅に押しかけるなんてことは天地がひっくり返るくらいあり得ないことで思慮が浅い行動と咎められようが僕は悪くないと開き直れる。

だからといって高校一年の夏休みを棒にふるなんてことを許容できるわけもなくやむにやまれぬ事情で苦渋の決断を下したのだ。

 悪しきをしいてあげるとすれば学期末に心をかき乱すような言動をした哲希だ。非難轟々ありとあらゆる申し立ての窓口は彼に担ってもらうことにする。

 一旦言い訳がましい戯言は置いておいてただ時間が足りなかったわけなのだが、それでいても場所を体育館裏という人目につかない場所をちゃっかり選定しているあたり自暴自棄というわけでもないらしい。一学期における全教育課程の終了を告げる鐘が鳴るなり焦燥に駆られ教室内でという事態もあったかもしれないのだ。そんな情景は想像するだけでも恐ろしいが。

 ではどうやって体育館裏という定番であり王道の場所に呼び出したかというとそこは裏ルートを使ったのだ。まだクラスメイトが残っている教室内で東山葵に声をかける度胸などあるはずもなく、先人たちが使っていた手段に乗っからせてもらった。なので裏ではなく表の正規ルートと言ったほうが正しいかもしれない。

 数多の告白者の中には同じように面と向かって誘い出すことができない生徒もいた。そんな彼らがどうしたかというと橋渡しとして仲介人をお願いしたのだ。

 詳しい経緯は知らないが一人の女子生徒に白羽の矢が立ち貧乏くじを引かされてしまったのがクラスの学級委委員長である中野さんだった。彼女は入学初日に東山葵と席が前後だったこともあり仲良くなったのか、教室内でも話している二人の姿はよく目にしていた。

 例に預かる形で放課後、ホームルームが終わるなり急いで中野さんに声をかけ呼び出してもらったというわけである。その際にどれだけ人と関わり慣れていないんだという醜態を数分にも満たない会話で中野さんに晒してしまったことはご愛好だ。彼女だけではない、クラスメイトからも冷たい視線が向けられていたことだろう。

 何はともあれあっさりと呼び出しに成功し順調にことが運びそうな兆しも束の間、教室を出ると急に足が鉛の枷をはめられたかのように重くなった。体育館裏に移動するだけの道中何度つま先を昇降口の方へと向け逃げ出そうと画策したかも分からない。勢い任せで行動してしまったことに後悔しつつも数ヶ月ぶりに対面するにあたり気持ちを作りながら歩いたこともあり時間をかなりかけてしまった。

 長らく待たせてしまったこともあり悪戯かと勘違いされてもう帰ってしまっているかもしれないと思いつつ体育館の裏手側角を曲がると壁に背中を預ける東山葵の姿が目に飛び込んできた。

 彼女を視認した瞬間、春休み以来の二人だけの空間に押し寄せる感情は数しれず

足が縫い付けられたかのように一歩も動かせなかった。呼び出した張本人であるにも関わらず東山葵を目の前にしては教室内での醜態が可愛く思えてしまう。この場に来てより一層のこと僕は緊張と共に向こう見ずな行動を悔いてしまった。

 視線すらも逸らせないまま角を曲がったところで立ち止まっていると東山葵がこちらに気がつき目が合う。微笑むわけでも忌避されるわけでもなく無表情で彼女は壁から背中を離しシャツやスカートを軽く手で払った。

 春休みぶりに二人っきりで対面するというのに東山葵からは何も感じ取れなかったことが何故だかとても虚しかった。教室を出てからというもの胸の内では緊張、恐れ、喜び、逃避、期待が一緒くたにかき混ぜられていたというのに、失恋を引きずっていたのは僕だけだとまざまざと見せつけられているようだ。

 考えてみれば一学年の半分はいかないまでもそれに近い数の男子生徒と付き合っている行為だけで明らかだったはずだ。どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのだろうと心に刺さっていた刺が抜け落ち張り詰めていた体が一気に軽くなる。焦点が定まらなかった視点は目の前の人物の顔を真っ直ぐ捉え、手足の震えも消えていた。

 自らがとった行動があまりにも愚かでこの場で笑い出したくもあったが、明日から当分の間は顔を合わすことがないとはいえ自重。怪我の功名とも言える心の持ちようにふと目的を忘れそうになってしまうが、時間を割いて来てもらっているわけだから一応形だけでもとり行わなくてはと彼女の元まで歩み出した。呼び出すだけ呼び出しておいて、勝手に自分一人で完結して帰ってくださいというわけにはいかない。


「あお、じゃなくて東山さん。もう一度お付き合いしてくれませんか」


 口から出る言葉はとても軽やかなもので詰まることも吃ることもなくすらすらと文言を並べることができた。しかし久しく呼ぶ機会もなかったはずなのに、交際期間中であるかのように名字ではなく名前が口をついて出てしまったことは失態だった。だが噂が僕には適応されないと初めから期待していなかったのだからどんな失敗を晒そうと関係がないことであり気にしない。可能性はゼロに等しく付き合えるはずがないのである。復縁を望むにはあまりにも時間が経ち過ぎているのだ。

 今更ながらに考えてみるとどんな告白も受け入れてくれる女子生徒に拒絶されたというのはあまりにも不名誉な称号だ。これから三年間背負っていかなければいけないと思うと憂鬱だがこの場に立ってしまった以上は仕方がなく割り切るしかない。これまでの先人、すなわち告白してきた男子生徒たちとは唯一にして無二の違いがあるのだから。僕は誰よりも前に一度失恋しており、初めてのチャレンジャーではなく復活を賭けたリベンジャーなのである。

 そのための不名誉は甘んじて受け入れるしかないが、明日から夏休みで本当によかった。なんてったってクラスメイトとは当分顔を合わせなくて済むし今日の一幕も時間が忘れさせて全て解決してくれるんだから。


「いいよ、付き合ってあげる」


 無駄な思考が一人勝手に駆け巡るほど長い沈黙のあと予想だにしないなぜか若干上からの返答がなされた。噂に違わぬ驚異の成功率を維持した東山葵と、思わぬ形で不名誉を回避できてしまった僕は恋人関係となり夏休みへと突入するのだった。


 

 



 


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