第1話 未練と提案

 入学当初は不安で一杯だった高校生活も数ヶ月通い続ければ嫌でも順応するもので、すっかり慣れ親しんだ教室ではあったが明日から当分の間お別れとなる。七月末日、一学期におよぶ勉学漬けの日々から解放され明日から夏休みへと突入するのだ。

 教室内の至ところで机の周りに集い和気藹々と夏の予定話に花を咲かせている集団が見受けられるなか、机に突っ伏す男子生徒の丸まった背中が一つ浮いていた。一学期が過ぎ去る月日は友達を作るには余りあるもので、コミュニティーを確立させ広げていく生徒が多数派なのだ。少数派として取り残された身を慮れば同情こそすれどあちら側でなくてよかったと一安心すること間違いなし。

 だが現実は非情にも残酷で認めたくないことに多数派に属せなかったと背中で語るのは誰であろう自分自身なのだ。

 

「そんなに通知表の成績が悪かったのかよ」


 教室内で繰り広げられるおおよそ僕にはなんの関係もない話は聞きたくなくとも耳を右から左へと通過し鬱陶しいことこの上ない。残すはホームルームのみなので一足早く夏休みに入らせて頂こうかと席を立つことも視野に入れはじめたとき、聞き馴染みのある声が耳を素通りすることなく入って来た。


「可もなく不可もなくだよ。わかってるだろ」


 茶化し半分、呆れ半分の声に伏せていた顔を起こし、僕の学力については把握しているだろと適当にぞんざいに返す。少数派と言っても友達が一人もいないというわけではなく友達と呼べる存在はいる。小学生からの付き合いになる腐れ縁とも呼べる山口哲希は空席だった前の席の椅子を引き腰を下ろした。高校に入ってからの友人はとか無粋なことは聞かないでほしい。


「結局最後まで机だけが友達ってか。まったく、お前が学校にきても机と向き合っているだけでクラスメイトから事情を聞かれる身にもなって欲しいもんだぜ」


 別に好きでやっていることではないのだが、言われてしまえば返す言葉がない。僕に自ら進んで話しかけるのは哲希くらいだから彼が同線となりあれやこれやとクラスメイトから聞かれるのもうなずける。そのことについては申し訳ないと思わないでもない。


「まぁ今となってはもう空気のような存在として認識されているから気にするな」


 親友ながらひどい言いようである。しかし一学期の間ずっと何も一度のアクションを起こさなかった僕なのだから彼ら彼女らの目は正しい。


「まだ引きずっているのかよ。明日から夏休みなんだけどな」


「別にそういうわけじゃない。ただ……」


 否定こそして見せたが続く言葉が出てこない。図星だろと口角を吊り上げ親友が浮かべる憎たらしい笑みは見なくとも想像できたので僕は顔ごと視線を窓の外へと逸らす。


「東山のこと今でも好きなのか」


 これまでとは雰囲気を一新させたおふざけ無しの真面目な声音が僕の蟠りとなって捨てられない思いを見抜いていた。確信をつく言葉であり、これは隠し事はしたくてもできないなと悟る。

 東山葵は中学生のときに初めてお付き合いした女性であり元クラスメイトでもある。彼女と過ごした日々は全てが新鮮で何もしなくても二人で一緒にいられるだけで心が躍った。高校生になっても順風満帆の日々が続くだろうと思っていた春休みに一通のメールが舞い込み彼女との交際は突如として幕を閉じたのだ。交際期間は半年と短くも胸に残る輝かしき時間はそう簡単には掻き消えてくれなかった。それでも新たな高校生活の始まりと共に全てをリセットしようと心機一転の高校生活を歩みだすはずだった。

 入学初日に僕の決意は綿飴が水に溶けるように一瞬で消失し心を揺さぶられてしまう。あろうことか東山葵と同じスラスになってしまった。同じ高校に行こうと受験勉強を共に励み彼女が同じ高校に進学していることは知っていたが、まさか八クラスもある中からよりにもよって同じクラスになるとはついていない。これでは忘れようとも忘れられず、教室で顔を合わせるたび僕の心は在りし日の思い出に浸される始末だ。春休みだけでは未練や甘い思い出を捨て去ることはできなかった。

 だから自衛の意味も込めて東山葵をなるべく視界に入れないように努めた。逃避とも言える行為の一つが机にキッスならぬ身を伏せることなのだ。東山葵との距離を置くための行為はどうやらクラスメイトとの距離も隔絶してしまったようで高校生活の出だしははっきりと言って最悪だった。唯一の救いは同じクラスに哲希がいてくれてたことぐらいだ。

 もちろん入学から数ヶ月は行事後などでクラスメイトと会話したり共に作業する機会もあったが、同じ中学と言うこともあってかどうしても東山葵の話題は避けられず自ら壁を作るようになったわけである。

 親友から不意に東山葵の名前を出され一学期の間まったく身動きか取れなかった日々を思い起こしてしまったのだが、続けて口をついて出てきた言葉はおおよそ理解しがたいものであり友達関係を疑わざるを得ないもので耳を疑ってしまった。


「いつまでも前に進めないなら、いっそのこと噂に乗っかってもう一回告白したらどうだ」


 

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