第12話 花火と横顔

「そのミサンガ何をお願いしたの」


 観覧エリアへと到着した僕たちは二人分の空きスペースを探し腰を下ろした。一時間ほど歩き回っていたこともあり座るなりストレッチするように足を伸ばしていると左足に巻かれたミサンガが東山さんの目についたようだ。それほど大層な願いを込めているわけでもなかったので忘れてしまったと戯けるように答えておいた。

 時刻は午後七時、ヒュルルルという音が聞こえると観客の期待を一気に煽り誰もが夜空を見上げ本日一発目の花火玉が盛大に弾けた。打ち上げ花火でしか味わえな心臓にまで響くドーンと豪快な音と次から次へと絶え間なく打ち上がっては一瞬の輝きとともに儚く消えていく様は夏を実感させてくれる。

 花火大会が始まるまで屋台で買った食べ物を分け合いながら雑談まじりに食べていたが、夜空を彩る無数の花が咲き誇るのを前にしては食事も会話も忘れ二人して釘付けになってしまっていた。有料席ではなく無料の観覧エリアから見ているので真正面のベストポジションとは言えないがそれでも十二分すぎるほどの眺めだ。

 花火は花火で確かに目が離せないのだがこんなときでもどうしても一つだけ気になってしまうことがあり空から視線を外した。この場において花火以上のものとは何か、それは隣に座る東山葵の存在だ。言葉を交わさずとも表情からだけでも伝わってくるものはあり今このときこの瞬間の思い出を共有していると実感したかった。それとも花火に夢中な隙だらけの横顔をただ拝みたかっただけかもしれない。

 花火から幼子のような無邪気な笑みを浮かべているであろう東山さんへと視線を移し目にした表情は想像とは正反対のものであり胸が痛くなった。見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を覚えつつも目を離すことができない。

 花火を見ているとはとても思えない悲しみに暮れた目は一体何を映し出しているのだろうか。空を見上げれば今も絶え間なく咲き誇る綺麗な花火はきっと写っておらず、過去の情景をもっと正確に例えるなら妹と来た日の情景を想起しているのだろう。

 屋台を巡っているときもご飯を食べているときも東山さんは常に相好を崩し楽しんでくれていた。花火が打ち上がると誰もが空へと思いを馳せ自分だけの世界へと連れ去られる。そんな一人の世界は東山さんの隙となりつけ込むように在りし日の妹である薫ちゃんと来た花火大会を思い起こさせたのだ。

 東山さんの感情を共有することもできなければかける言葉を持ち合わせているはずもなく、取り繕ったような言葉を口にしても花火の前では全て掻き消えてしまうだろう。だからといってこのまま見て見ぬ振りをして花火を見ようなどと簡単に気持ちを切り替えられるはずもなく、何か出来ることはあるはずだと頭を悩ませ芝生に置かれた東山さんの右手の上に左手を重ねた。拒絶され嫌われたりしたらどうしようという恐怖がないわけもなく、それでも隣で笑っていて欲しくて少しでも寂しさを紛らわすため妹の代わりにはなれなくても僕がそばにいると恐れず主張する。

 東山さんの表情を再度確認するようなことはせず花火大会はフィナーレを迎え夜空を覆い尽くさんばかりの終幕にふさわしい輝きと少しの切なさを残し消えていくところを目に焼き付けた。隣を見なくても僕の左手の中では今もなお東山さんの体温を感じられているのだからそれだけでよかった。

 しばらく鳴り響いていた拍手も鳴り止み辺りに座っていた観客は立ち上がると移動を開始した。人が散り散りになっていくなかいつまでも手を重ね合い余韻に浸っていたかったが、今になって急に気恥ずかしさが込み上げてきて顔が沸騰しそうなほどに熱く意識してしまったが最後このまま座り続けることなど不可能だ。心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと心配になるほどに胸中は乱舞しているが、自分から手を重ねたからには堂々と自然体でありたいと平静を装いながら立ち上がった。

 

「花火すごく綺麗だったね。写真を撮るのも忘れて見入っちゃってたよ」


 僕が見た悲しい目をした横顔は嘘だったかのように普段と変わらぬ明るい微笑みを浮かべる東山さんがそこにはいた。花火よりも深く印象に残った表情をすぐには忘れられそうにないが今こうして目の前で花火のように満面の笑みが咲いて終われたのなら他には何も望むことはない。

 これで今日もおしまいかと振り返れば濃い時間であり終わってみればあっという間の時間だったようにも感じられ少しでも長く一緒にいたいと帰り道はわざと歩調を遅くした。それでも歩み続ける限り終わりは嫌でも訪れるわけであり悪あがきも虚しく僕たちは屋台通りを抜け待ち合わせ場所に指定していた橋の上まで戻ってきてしまった。

 

「滝野瀬くん怒らないで聞いてほしいんだけど、私わたあめが食べたくなっちゃた」


 橋の上でなんとか時間を稼ごうと橋に寄りかかり名残惜しそうに屋台を見つめるという帰りたくないアピールが成功したのか願ってもないお願いが舞い込んできた。それじゃあもう一度一緒に屋台を見に行こうよと前のめりな姿勢で東山さんに迫るも歩き疲れたから買ってきてほしいとおねだりされてしまう。

 少し不安はあるが人通りがそれほど多くない橋の上なら少しくら一人にしてしまっても大丈夫かと思い込み、それに一分でも一秒でも長く時間を共有したい身からすれば断るなど言語道断だった。なんでもお申し付けくださいの言われるがままに東山さんの笑顔に見送られ急ぎ足でわたあめを買いに走る。

 花火大会が終わり人が気持ち少なくなったこともあり待ち時間もそれほど要することなくお遣いを果たすことができた。投げられたボールを拾い咥えて飼い主の元まで走る犬のように東山さんが待つ橋の上まで嬉々として駆ける足は屋台通りを抜けたところで急停止した。目前には橋がすぐそこに見えており立ち止まっている時間が一秒でも惜しいというのにそれでも足を止めてしまったのは東山さんの姿が見当たらなかったからだ。

 まだ距離があるから暗いから見落としているだけと穏やかでない胸中を宥めつつ階段を一段二段飛ばしで駆け上がり東山さんが待つ橋の上まで走った。見落としがあったわけでもなんでもなく東山さんの姿は橋の上から消えていた。まず初めに頭をよぎったことはナンパや誘拐の類だ。事態は急を要するかもしれないと携帯電話を取り出し東山さんとの連絡を試みる。いつまでたっても聞こえてくるのは呼び出し中の機械音だけで通話が繋がることはなかった。これは本当にまずいことになっているのではないかと項垂れそうになっていると手に持ったままの携帯が震える。東山さんからだという確信とともに画面を確認してみれば電話ではなく一通のメッセージが届いてた。

 連絡が取れたことに一安心しつつも、もしかしたら誘拐犯からの身代金などの交渉かもしれないと内容を確認するまでは白い歯をこぼしてはいけないと再び緊張感を持ってメッセージアプリを開いた。結論からいうと東山さんから送られてきたメッセージは誘拐犯からのメッセージといった物騒なものではなかった。だというのに内容を読み終わったとき、そうであってくれたらよかったと不謹慎にも思ってしまうほどに

目を背けたくなる文面が記されていた。


『滝野瀬くんのおかげで忘れられない夏の思い出ができたよ。私たち今日で別れましょう』


 前後の脈略がまるでない文章に一瞬頭が真っ白になるも暗号のようにも思える文面を解読するよりも先にやることがあると携帯を耳に当てる。東山さんの連絡先に電話をかけたはずの携帯はいつまでたっても呼び出し音を鳴らすことはなかった。焦りのあまり操作ミスがあったかと携帯を確認してみると画面も真っ暗になっておりいくら触っても反応がない。今日、目が覚めたときにもあったような事態にそのときそうしたように電源ボタンを長押しすると人生で二度目となる充電切れのマークが浮かび上がった。

 現実を受け止めきれない、理解が追いつかない、脳が全てを拒絶する。これではまるで春休みのときと同じではないか。隣で微笑んでいた彼女は東山葵という存在は一体なんだったんだろうか。使い物にならなくなった携帯を地面へと投げつけ僕は膝から崩れ落ちた。











 

 

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