第9話 不吉と一報

 大事な日に限って何で今日と嘆きたくなる場面が訪れることはよくある経験談として聞いたことがあるが、花火大会当日を迎える目覚めは絶望的だった。少し大げさに誇張しすぎてしまったかもしれないが盛大に寝坊をかましたのだ。昨日の労働による疲労から泥のように眠ってしまい起きた時には朝を通り越しお昼をも通り越し夕方に差し掛かろうとしていた。視界がぼやける目を数回擦り時計の針を確認すると三時を示しておりまだ深夜なのかと呑気に二度寝といきたかったが、カーテンの隙間から差し込む光が許してくれなかった。

 慌てて体を布団から引き剥がしカーテンを開け部屋を明るくすると一目散に携帯電話を探す。待ち合わせ時間は五時に会場入り口付近と決まっていたので遅刻は免れそうだが、東山さんから新たな連絡が入っていないか気が気ではなかった。

 無造作に床に置かれた鞄の横に転がる携帯を見つけ、疲れ切っていたとはいえ翌日は花火大会当日なのだからアラームくらいは設定してから寝てくれと過去の自分に悪態をつきつつ拾い上げ電源を入れる。普段なら画面に指を添えればすぐに待ち受け画面が表示されるはずなのだが何度同じ動作を繰り返しても画面は暗く電源ボタンを押すことでようやく画面に変化があった。画面に映ったのは見慣れた待ち受ではなく、充電が底を尽きたことが一目で分かる初めて見る画面だった。寝過ごしただけでも幸先が悪いというのに携帯の充電まで切れているとは先行きが危ぶまれているようで気分はさらに急降下の一途を辿っている。

 携帯のことは諦めるしかなく東山さんから何も連絡が来ていないことを願いつつ充電器を差し込み、寝起きだからといってだらだらとする時間もなく速やかに身支度に取り掛かる。昨日の東山さんから送られてきた呉服店での写真を見て僕も浴衣をレンタルしようかなどと考えていたが時間は全て惰眠に使われてしまったため、何の代わり映えもない普段着に袖を通すしかなかった。

 今日は花火大会だというのに起きてからため息ばかりをついている。やらかしてしまったことはしょうがないと切り替えるべく明るい話題を探して思い浮かんだのは東山さんの着物姿だった。心の不安を見透かすようにシャツのボタンを留める手はおぼつかなかったが今度は妄想が膨らみ手が止まりそうだ。

 身嗜みを整え終わり軽く空腹感を満たすとそろそろ家を出ないといけない時間に差し掛かっていた。これまでに見たことのない潤った財布をこれだけは忘れたら洒落にならないと大事に鞄にしまい充電がどこまで回復しているか不安でしょうがない携帯に手を伸ばした。電源ボタンを長押しして携帯が起動するのを焦燥感に苛まれながら待つこと数秒、真っ暗だった画面に電気信号が送られ明るくなると引き寄せられるように視点が画面右上へと移動する。目を走らせた充電残量が表示される場所には三十という数字が表示されていた。

 心許ない数字ではあるが充電時間を鑑みれば上出来であると感謝しつつ昨夜から放置状態にある連絡アプリに指を滑らせると受信ありの通知マークが目に付いた。東山さんからだったらどうしようと恐れていたことが現実化していないことを祈りつつ確認すると連絡をくれていたのは中学時代の同級生だった。返信をするまでにかなりの時間待たせてしまい申し訳なさしかないが、今回ばかりは相手が東山さんでなかったことの安堵感が勝ってしまった。

 積もる話もあるが待ち合わせ時刻は刻々と迫り充電の残量からみてもできるだけ使用時間は少なくしたいと罪を重ねるようで心苦しいが返信は明日以降に持ち越させてもらうことにした。もし屋台巡りでお金が余るようならば後日ご飯でも奢ることで清算させてもらおう。

 祭り会場で東山さんと無事合流さえすることができれば後は携帯の充電が尽きようが問題はないと、だからそれまででいいから持ち堪えてくれと目覚めてからの不吉さを払うように家を飛び出した。緊張や憂いは一切なく僕にとっても東山さんにとってもこの夏を振り返ったときに最高だったと思えるような一日にしようと意気込み足取り軽く待ち合わせ場所へと向かった。

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