甘味と珈琲
哲希のおかげというのも癪だが一日外に出るだけで夜は深い眠りにつくことができ昨日は久しぶりの快眠だった。本日も予定は埋まっておりこの調子で夏休みを満喫できれば東山さんのことも徐々に忘れられそうな予感がする。そうなると僕が今一番気にすることはお財布事情だった。今日スペシャルパフェの代金を支払うとほんの数日前まで満たされていた財布は空っぽになり貧乏高校生へと降格する。遊ぶためのお金も必要だが僕には母に見つかる前に携帯の画面を修理するというミッションがあり、まずはそのためにお金を稼がなければいけない。とりあえず携帯画面のことは夏休みの追加課題として今日は思う存分楽しんで明日からまたバイトを探し始めればいいだろうと財布の事情は忘れることにした。
待ち合わせ場所は喫茶ゴメダに現地集合となっていたので店の近くで哲希と合流してから二人で入店した。五分前には到着したのだがさらに早く到着したらしい麻衣子から先に店内に入っていると連絡をもらっていたので出迎えてくれた店員さんに待ち合わせをしてますと伝え店内を探す。こちらから見つけるまでもなく一番奥の席で僕達に手を振る女子の姿が目に飛び込んできた。目印としては非常にわかりやすいが周りには他のお客さんもいるのでもう少し控えて欲しい。早足で麻衣子が待つ席へと向かうと五分前に着いたとはいえ待たせてしまったことは確かで初手謝罪という日本人らしい言動が出てしまう。
「いいよいいよ、うちが勝手に早く来すぎただけだし気にしないで。そ・れ・よ・り・も、なんであんたまでいるのよ哲希」
麻衣子の対面に自然な流れで座った僕と哲希だったがやはり見過ごすことはできなかったらしい。哲希を誘った時も少し悩む素振りを見せていたように、この二人は幼馴染であるはずなのに昔から馬が合わないところがあるのだ。
「どうせお前一人でパフェが食べきれないだろうと思って食べに来てやったんだよ。ありがたく思え」
「余計なお世話なんですけど。スプーン一杯分だってあんたにはあげないから」
いつもこうである。どちらかが発破をかければ敵対心を剥き出しにし火に油を注ぐ。それを仲裁に入る僕の身にもなってほしいと小学生くらいまでは思っていたがいつしか放っておくということを覚えた。だから今回も自然に熱りが覚めるのを待ってもいいが、現在いる場所はお店でそうもいかない。それに哲希を誘ったのは僕であり今回に限っては責めるなら僕にしてくれと麻衣子を宥めにかかる。
「そういうことなら今回は許してあげる。哲希もどうせ私に会いたかっただろうし」
「勝手に言っとけ」
これ以上付き合うつもりはないと哲希が一歩引いてくれたため第二ラウンドは回避された。麻衣子がもう終わりというように唇を尖らせていたのを見逃さず、素直じゃないなと心の中で苦笑いしつつ哲希を誘って久しぶりに三人で集まれたことに頬が緩む。
「うちはもう決めたから二人も注文決めちゃって。決まったら店員さん呼ぶから」
手渡されたメニュー表を開きパフェのことを考えてできるだけ口直し出来そうな普段飲まないコーヒーを選び食べ物系は控えた。麻衣子は哲希の前では一口もあげないと強がっていたが、一人での完食は不可能に近くきっと僕達も手伝うことになる。
ブラックでという注文は僕たちくらいの年齢なら大人ぶる言いたい言葉ランキング上位に入るほどの文言だが、頼んだとしても飲めるわけもなく僕はカフェオレでと背伸びせずに注文した。ちなみに隣に座る哲希は涼しい顔をして「ブラックで」と言いやがった。麻衣子に関しては横文字の名前からしてお洒落ななんとかかんとかティーを注文していた。
「昨日帰ってから東山の家を知ってる奴がいないか聞いてみたけどやっぱりダメだったわ」
一通り注文を終え待っていると哲希の口から残念な知らせが舞い込んできた。頼んでもいないのにどこまで手厚いサポートをしてくれるんだと感動する。確かに東山さんのことは気になるが気持ちを入れ替えてこの夏を満喫するため前向きだということを伝えた。それじゃあ今後の予定も考えないといけないなと嬉しそうに哲希は肩を叩いてくる。今回だけではなく春休みの一件から哲希には心配ばかりかけていただろうから自分のことのように喜んでくれる親友を見て頬が緩んだ。
「君たち本日の主役を差し置いてこそこそと話してどういうつもりなのかな。喧嘩売ってるのかな」
主役とはまた大きく出たなと対面に目を向けるといつの間にか般若が座っていた。どうにかして怒りを鎮めようと試みるが何を言っても新たな火種にしかならない気がして沈黙を貫く。現状を打破するものがあるとすればそれはもうスペシャルパフェの存在だけで一刻も早い到着を待つしかなかった。だからといっていつまでも沈黙したままではいられない。次なる一手に移ろうとしたとき女神様のような微笑みを浮かべたウェイトレスさんがドリンク、そして一度厨房へ引き返しパフェを手に現れてくれたおかげで難を逃れることが出来た。
「で、家がどうとか聞こえたけどなに話してたの」
パフェが到着し機嫌を取り戻すと自分の顔より大きなジョッキに盛られた生クリームやフルーツを豪快にスプーンで掬い上げては口にしていた麻衣子は思い出したかのように問うてきた。できることなら聞き流してほしかったが興味関心を引いてしまったのであれば話すほかなさそうだ。気は進まないがこの件に関して誰かに話すのはこれが最後だと東山さんと縁が切れたことも含めて説明した。
「諦めがついた今言うのもあれだけど私に聞いてくれてたら家くらい教えてあげたのに」
唐突な爆弾発言をしておいて再びすました顔をしてスプーン片手にパフェを食べ進める手を掴んででも待て待て待てと止めたくなるほどにさらっと流していいことではなかった。哲希の情報網を駆使しても知り得なかった情報を麻衣子は知っているというのか。面白がって僕を揶揄っている様子もなく心中は突然ドレーク海峡に迷い込んでしまったかのように揺れに揺れていた。何か含みがあって言ったわけではないだろうが、未練は本当にないのかと麻衣子から試されている気さえしてきた。
携帯は完全に壊れることはなく連絡手段を残し、最後の最後で麻衣子という情報源が現れた。運が良いのか悪いのか運命は僕から東山葵の存在を簡単には忘れさせてくれないのかもしれない。悩みに悩んだ末に下した決断はテーブルに額がつくかつかないかのギリギリを攻めた頭を下げての懇願だった。隣からは大きなため息が溢れるも幻聴だとなにも聞こえなかったことにして返答を待つ。
「今は機嫌がとっても良いから教えてあげてもいいよ」
パフェ以外にもどうぞ好きなものを召し上がってくださいと言いたいところだがお財布事情は火の車なのでひたすらに感謝の言葉を口にする。家まで案内してくれるとなれば今すぐにでもゴメダを出たかったがスペシャルパフェは五人前の量がありまだ半分も残っていた。ここまで半分の量を平らげたのは麻衣子一人であり僕と哲希は幸せそうにクリームやフルーツを頬張る姿を眺めていた。恐ろしい速度で食べ進め一人で完食してしまいそうな勢いだったが流石に飽きが来たのか、それともお腹の限界を迎えたのか手が止まりつつある。そろそろ僕たちの出番かなと取皿を手にスペシャルパフェ攻略に参戦した。
所詮はパフェであると甘く見ていたがこれが結構な強敵で何事も適量が大切だと思い知らされた。対策として頼んだカフェオレも口直しの効力を発揮する事なく押し寄せる甘味の軍勢に敗北し取皿二杯を完食したところでギブアップ。麻衣子は当然として哲希も意外と甘い物に強いようで完全に手が止まってしまった僕とは違い二人はパフェグラスの底にスプーンが到達するまで食べ切った。
「それじゃあ念願だったパフェも完食したことだし葵の家へと案内してあげますか」
大食いの戦力にもならずソファにもたれかかる情けないやつを待ってはくれないようで麻衣子は片手を挙げて背伸びをしてから立ち上がった。そのまま机に置いてあった伝票を僕の目の前へと移動させると「よろしく〜」とウィンクを添えて軽快な足取りで退店。裏返しにされていた伝票を確認するとスペシャルパフェの金額にホイップとソース増し増しという追加料金が加算されていた。聞いてないぞと麻衣子に注文を任せてしまったことを後悔しながらも手持ちでギリギリ支払える金額であり、奢るはずの僕がお金を借りることにならなくてよかったとレジへと向かい支払いを済ませる。次にスペシャルパフェを食べるのがいつになるかは未定だが、スペシャルパフェを食べる時がけは甘さに対抗するため子供でも背伸びせず「ブラックで」と注文できることを学んだ。大人ぶりたい少年少女にもこの豆知識を教えてあげたいそんな気分だった。
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