第16話 秘密と深淵

 東山さんの家へと案内してもらう道中ずっと気になっていたなぜ家を知っているのかと言う疑問を麻衣子に投げかけたみたが、「うちと葵の仲だから」とはぐらかされた。そんな理由で納得できるかと簡単には引き下がるつもりはなかったが、「次はコース料理が食べたいな」と情報料を突きつけられては諦めるしなかない。スペシャルパフェの支払いですら立ちくらみがしたというのにコース料理の金額を目にしたら泡を吹いて倒れてしまいそうだ。

 疑念を晴らすことは出来ずとも案内してくれると言うからには信じてついて行くしかないと十分ほど歩き麻衣子はブロック塀で囲まれた一軒家の前で足を止めた。ずっと後ろを歩いていた僕も麻衣子の隣で立ち止まり始めて見る家を眺めていると塀に貼り付けられていた木の板が目に止まった。長方形の表札には東山という二文字がはっきりと刻まれており本当に来てしまったと来れてしまったんだと実感する。

 心臓の鼓動は徐々に加速し続けておりこれからが本番だというのに家の前でこの有様では東山さんを前にして上手く話せるか不安で不安で仕方がない。できることなら二人のどちらかに話を聞いてきてもらって僕はここで待っていたいと情けなくも思ってしまった。だが麻衣子に頼み込んだのは案内まででありここから先は誰かに甘えるのではなく己の意思で進めと鼓舞し東山家の敷地に一歩目を踏み出し少し先に見える玄関を目指す。甘えないと豪語はしたが流石に一人で行く心構えは出来ておらず二人には付き添いとしてついてきてもらった。

 後ろに哲希と麻衣子がいてくれることで非常に心強く頼もしい限りだとばかり思っていたが、インターホンを前にボタンを押せずにいると背後にいる二人が今は壁となりいつの間にか逃げ場を塞ぐ存在へと変わってしまっていることに気が付いた。退路は完全に断たれてしまったと覚悟を決めそれでも震える指でボタンを押す。

 「ピンポーン」と甲高い音が鳴り響くとこれでもう後戻りはできないと腹を括り反応を待つ。なぜかはわからないが僕は東山葵が出て来ると思い込み他の可能性があることを完全に見落としていた。今更気がついたところですでに賽は投げられており今から出来ることがあるとすれば神頼みくらいしか残されていない。当時は理解できなかったが今なら東山さんが言っていた「インターホンを押してから待つ時間は慣れない」という言葉に心から共感ができる。

 どれくらい待ったのか時間間隔も忘れ神に祈りながら立っていると人影がガラス戸の向こう側に浮かび上がりゆっくりと横にスライドされていく。緊張の瞬間であり鼓動が最高潮に達した僕の前に現れたのはカールさせた金髪が目を引く女性だった。


「はい、どちら様で」


 寝起きなのか気怠そうに張りのない声で来客対応しガラス戸にもたれかかったのは東山さんのお母さんだと思われる人物だった。初対面のため派手な金髪は非常に印象強かったが少し遅れて鼻を突いた香水の匂いは印象を一瞬で書き換えてしまう。反射的に顔を背けたくなるも印象を悪くしかねないと我慢し、僕たちが東山さんと友達である事を軽く話してから最近連絡が取れなくて心配で家に来た事を伝えた。


「あの子なら家にはいないよ。最近は帰ってきてもいないみたいだし」


 髪をかき上げながら心配や不安など微塵も感じられない淡々とした口ぶりの言葉が返ってくる。最近帰っていないと聞いただけでも胸がざわつくというのに母親であるはずのあなたがどうして飄々としていられるのか理解できなかった。しかし今は東山葵の行方を探る事を最優先しいつから家にいないのか、出掛ける前に何か聞いていないかなど知っていることがあれば教えて欲しいと頼んでみる。


「何も知らないね。話が終わったなら帰ってちょうだい」


 機嫌を損ねてしまったらしく怒気混じりの声音で鬱陶しそうにあしらわれ、ガラス戸がゆっくりと閉まっていく。対面してからずっとお世辞にも気持ちの良い対応とは言えないが勝手に来た身としては受け入れるしかないと許容できた。しかしそれは僕に対する態度や言動に対してであり、家族である東山さんに対しての態度には思うところがあり見過ごせなかった。妹の薫ちゃんが未だ行方不明であるというのに数日とはいえ今度は姉が帰ってないことが気にならない親がどこにいるというのだ。まだ話は終わっていないと今更自分の好感度など気にせずガラス戸が完全に締め切られる前に手で押さえ「待ってください」と呼び止める。少し挨拶を交わした程度でここまでずっと背後で何も口を挟まず見守っていてくれた哲希と麻衣子から「おい」「ちょっと智也」と焦りが含まれた制する声がかかった。

 少し言葉を交わしただけだというのに腸が煮え返りそうなほどの怒りを抱き何が自分をこうも突き動かしていたのか、親友から呼び止められ少し冷静さを取り戻すと分からなくなってしまった。それでも手はガラス戸を押さえたままであり引き下がることもできず顔を突き合わせたまま停止してしまう。


「そんなに知りたいならあの子に聞いてちょうだい」

 

 身を引くにしてもこの場はまず非礼を詫びるのが先だと頭を下げようとしたとき思わぬ代案が飛んできた。後方を指して顎をしゃくる東山母の姿を見てまさか通行人に聞けというのかと後ろを振り返ると瞳を大きく見開いた東山さんが立っていた。驚きはもちろんあったがそれ以上に大きく感情の器を満たしたのは後悔だった。

 東山さんの見開かれていた目が絶望に染まる様は見ているだけで胸が痛み、隠し続けられていた秘密の箱について何も考えず安易に開け深淵を覗いてしまった事は悔やんでも悔やみきれない。ずっと会いたかった東山さんが目と鼻の先にいるというのに言葉は魔法で封じられてしまったかのように出てこず時間だけがゆっくりと流れた。

 辺りには重苦しい空気が漂うなかこの場所にこれ以上いたくないと一番最初に動いたのは東山葵であり、俯いたまま勢いよく回転すると家からそして僕たちから離れるため走り出した。言葉は待てども出てこなかったのに体は瞬時に反応し後を追うため走りだす。ここで追わなければ今後もう二度と彼女と会えないそんな気がした。

 住宅街であることも忘れ待って欲しいと名前を叫ぶも距離は縮まるどころか離されている気がして叫ぶのを止め無我夢中で背中を追う。運動神経が良いという印象はなく新たな一面を前に無力な僕は為す術なく日頃の運動不足もたたって足は縺れアスファルトの上に勢いよく倒れ込み這いつくばる。足だけではなく顔、手、お腹と全身に痛みが走り寝ている暇などないと分かっていても再び立ち上がることが出来ない。立てないのであればとどんどん離れて行く東山さんの背中に向けて最後の力を振り絞り「葵」と叫んだ。

 どうか心に響いてくれと中学時代の呼び名を口にするも立ち止まるどころか振り返ってすらもらえず迫真の叫びも虚しく消え去り東山葵の背中は完全に視界から消えた。

 

 

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