疑念と探偵
灼熱のアスファルトに焼かれていた僕は後から追いついて来た哲希と麻衣子に両脇を支えられながら起こしてもらった。東山さんと話す千載一遇の機会を逃し心にポッカリと大きな穴が開いたような虚無感に苛まれ立ち上がるも空を見上げたまま立ち尽くす。勢いよくこけたことで顔や腕に擦り傷ができひどいところは血が滲んでおり二人に連れられて近くにある公園へと立ち入り水道で傷口を洗い流した。熱された体に冷たい水は心地よくも傷口には激痛をもたらしたが今はこの痛みすら気分を紛らわせるにはちょうど良い刺激だった。
「それで何が智也をそんなにも必死にさせたわけ。これまでのこと全部話して」
傷口を洗い終わるまで木陰で涼んでいた二人のもとまで向かうと麻衣子から東山家に着いてからの情緒の急激な変化について問いただされる。これ以上傷口に塩を塗るような事をしたくはなかったが、案内をしてくれただけでなく一緒に最後まで付き添ってくれたのだ。話したくないではあまりにも不義理であり東山さんがいなくなっただけでなく愛想を尽かして麻衣子まで僕から離れてしまうことがなによりも怖かった。だから誠実に丁寧に過去から今に至るまでの全てを振り返るように吐露した。
春休みいきなり別れだけを携帯メッセージで伝えられた事がどうしても納得できず心残りがあるままに高校生活を送っていた。例の噂を聞いたときは悲しみよりも初めて東山さんに対して怒りを覚えた。それでも別れた事を聞けばホッとし喜ぶ自分がいたことも。そして一学期最終日全てを見透かしていただろう哲希に確信を突かれ噂に乗っかり告白しに行った。緊張と喜びが入り混じるなか春休み以来の二人きりの再会を果たした僕の前に立っていたのは無表情で無関心な東山葵でありこのときようやく目が覚めた。心のどこかでずっと思っていた東山さんも別れを告げた事に幾ばくかの後悔を抱えており僕と同じように意識し特別視しているという幻想は一瞬にして砕け散る。長い夢から覚めたというのに僕は気を使い呼び出したからには告白だけは済ませようなどと過ちを犯しただけでなくそのまま復縁できてしまった。あの日、何も口にせずあの場所から逃げていれば東山さんのことを忘れ心機一転な夏休みが待っていたのかもしれない。
復縁して初めて遊んだのは噂の期限である三日になってのことであり、どこも人がいっぱいで歩き回る羽目になり最終的には有ヶ丘に行った。何故かは分からないが東山さんは有ヶ丘の事を忘れていてとても切なかったし中学生の頃の彼女はもういないのだと思い知らされる。別れを覚悟していたが唐突に祭りに誘われ、妹との思い出を呼び起こしてしまったとまた要らぬ責任感を抱き僕から頼み込んで一緒に祭りにも行った。たった二日一緒にいただけだというのに心は満たされ幸せで幸せでしょうがなかった。僕がよく知る東山葵はいなくなってしまったがいつまでも過去に縋るのをやめ前を向こうとしたとき突然彼女はまたいなくなった。そんな経緯を経ての今日であり僕が東山葵に執着する理由だと何も隠さず全てを話した。長くはなってしまったが次から次に出て来たのはずっと吐きどころを求めていたが誰にも言えず切り捨ててきた心からの本音だった。
「うちが女子校で洗礼を受けている間にそっちはそっちでいろいろあったんだね」
親友だからこそ打ち明けられた本音を全て聞き終えた麻衣子が口にしたのは沈んだ心境でなければ突っ込まずにはいられない程に興味を引く話だった。いったいどんな場所で高校生活を送っていたのかまた別の機会に是非とも教えて欲しい。
「疑うわけじゃないけどさ中学のころの葵からは想像もできなくてにわかには信じ難い噂だね」
もし麻衣子と同じ立場で僕が人伝にこの話を聞いていたとしても簡単に信じる事はできないと思うので至極当然の反応だった。それでも僕の言葉を否定せず受け入れてくれた事は信頼されている証であり素直に喜ばしい限りだ。
「高校デビューなんてうちの学校でもあったし可愛くなった子も何人かいたから容姿
や性格の変化ってのは分かるけどさ、記憶までってなるとちょっとおかしくない」
非常に鋭い着眼点をお持ちのようでこれまでは復縁できたからと気にしないようにしていたが、謎は謎のままであり僕自身も非常に気になるところだった。有ヶ丘のこともそうだが花火大会の日もいくつかおかしなところを感じ取っていたのだ。
「もしもの話だから軽く流して欲しいんだけどさ、実は葵を名乗っているだけで中身が別人って事はないかな」
疑念を抱くことはあっても存在自体を疑った事は一度もなく視界の外から食い込んできた変化球のような面白い発想だと感心させられる。だがあまりにも現実離れしているためそれはないとすぐに否定の言葉が溢れた。否定しておきながらも一度言われると不安は残り別人なんてあるはずないよなと確かめるように哲希に視線を向けると首を横に振ってくれたので一安心する。
「まーあるわけないよね。でもさ同じ学校、それも同じクラスなんだから実は他にも見落としてる変化とかあるんじゃないの。二人とももう一回よく思い出してみてよ」
納得しているのかいないのか曖昧な反応を見せながら記憶を遡るように促される。えらく食い気味な反応を見せ先ほどから鋭い観察眼を披露する麻衣子は将来探偵志望だったりするのだろうか。心当たりのある僕は話をする前に哲希に思い当たるところがあったか聞くと特に何もないと返ってきたので自分が感じた違和感を口にした。
花火大会の日に感じた違和感は三つあり一つ目は利き手が変わっていたことだ。中学時代は右手だったはずなのだが金魚すくいをしたとき東山さんはポイを左手に持っていたし、ご飯を食べる時も箸を左手で持っていた。二つ目は嫌いと言っていたにんじんを食べていたこと。にんじんといっても生ではなく焼きそばに入っていたものだがにんじんを押し付けられたり意図的に避けて残されたりはしなかった。我慢して食べたとか克服していたとか焼きそばだから大丈夫とか理由付けはいくらでもできそうなので二つ目の違和感として扱うには弱いかもしれない。そして最後の三つ目だがこれに関しては言い訳が効かないほどに確信的な違和感であり、僕はその確信的な違和感の正体をポケットから取り出し二人の前に提示した。
「最後にこれが僕が感じた一番の違和感だ」
「ミサンガみたいだけどそれがなんだって言うの」
麻衣子にはいまいちピンとこない代物だったようだ。それもそのはずで僕はこの存在を麻衣子には話してすらいないので知らなくて当然である。僕が反応を見たかったのは哲希なのだ。
「お前まだそれ持ってたのかよ。春休みに捨ててるもんだと思ってたわ」
「僕も悩んだよ、でも固く結ばれてて諦めた」
「ちょっと勝手に話を進めないで。うちにも何なのかちゃんと教えて」
「確か付き合って一ヶ月かなんかの記念に東山からプレゼントされた手作りのミサンガだったはずだ。あの頃は会うたびにミサンガを見せつけられて惚気話を聞かされて一回ぶっ飛ばしてやろうと思ったほどだから記憶に残ってる」
まさか親友から鉄拳制裁をくらわされそうになるほどの怒りを買っていたとは知らなかったが哲希の記憶は概ね正しいものだった。哲希でも覚えているのに有ヶ丘同様に東山さんはミサンガを目にしたとき初見の反応を示した。花火大会の日は願いなんて忘れたと言ったがあれは嘘で僕は今でも覚えている。二人で一緒に結んだミサンガに込められたのは「この先もずっと一緒にいられますように」という今にして思えばフラグでしかない願いだった。春休みに縁が切れてもミサンガだけは切れることなくずっと今日まで足に結ばれるという皮肉。だがようやくと言っていいのか先ほど勢いよく転倒したときにミサンガは切れてしまっていた。これが本当の別れだという暗示なのかもしれない。
「そんな話を聞かされたら尚更別人説に信憑性が帯びてきちゃうね。だって流石に自分が送ったものを忘れたりしないでしょ。それとも葵はわざと聞いて智也を試したとかそういうこと」
疑いたくなる気持ちは分かるがどうしてそこまで別人説に固執するのかが気になり探偵かと思えば問題提起する助手の役目までこなす麻衣子に実は何か知っていることがあるのかと逆に聞き返してみた。実際にされたことはないがまるで誘導尋問されているようだ。わざとらしく人差し指を顎に当てて考える素振りを見せてから意を決したように麻衣子は話始めた。
「これも春休みのことなんだけどさ葵から急にこんなメッセージが届いたんだ」
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