薫と智也(上)

「滝野瀬君がどうしてこんなところにいるの。なんだか顔色が優れないみたいだけど……大丈夫」


 バレないように隠れていたことも忘れ茂みから飛び出すと東山さんに見つかるだけでなく心配までされてしまう始末だった。青ざめている表情が大丈夫ではないことを物語っているくせして口では平気平気と意味もなく強がる僕。時間の経過と一人ではない安堵感から徐々に呼吸それから心臓の鼓動が正常にゆっくりと安定し始め、会話くらいであればこなせそうなほどには落ち着きを取り戻していた。


「ちょっと色々あって、驚かせてごめん」


「そうなんだ……それじゃあ私は行くところがあるから」


 展望台の階段を全て下り僕から少し距離を置いて一度は立ち止まってくれた東山さんだったが会話をする時間は与えてくれない。だが僕を置いて再び歩き始める東山さんを帰らせられない理由が僕にはある。まったくの想定外な展開ではあるが手の届くところに東山さんがいて結果的に絶好の舞台に僕は立っているのだ。ここで帰してしまったら哲希や麻衣子に顔向けできないだけでなく、自分自身に絶望し明日からの活力を全て失ってしまうだろう。胸張って明日を生きるため己が為すことは一つしかないと片膝立ちになり地面を力強く手で押し返すと勢いよく立ち上がった。真横を通過し先を行く東山さんの行手を阻むように正面へと回り込むと両手を目一杯に広げて行かせないと意思表示し立ち塞がる。


「僕がここにいるのはずっと後をつけてきたからなんだ、ごめん。軽蔑されても仕方がないと思っている。それでも僕はこれ以上復讐に身を焦がす東山さんを見過ごせない。なにがあったのか全て話してくれないか。君は一体誰でなにをしようとしているんだ」


 必要だったかは定かではないが公平ではないと包み隠すことなく僕がこの展望台にたどり着いた経緯から白状し、わからなくなりつつある東山葵という人物についての本音を全てさらけ出す。僕はもう目の前の人物が東山葵ではないとたった二日の出来事をもとに確信に似た何かを感じ取っていた。だから汚い真似だと承知で誰なんだとあたかも正体を見破ったかのように突きつけた。

 

「復讐とか誰なんだとかちょっと話についていけないかも。さっきから様子が変だよ滝野瀬君。早く帰って休んだほうが良いんじゃないかな」


「君は東山葵じゃない彼女の名前を語る偽物だ。僕だって中学のことを今でも悔いているし何度も自分を責めた。嫌がらせをした奴らをこの先も許すことはできない。それでも君のやり方は間違ってると言わせてもらう。今ならまだ引き返せるかもしれない。僕が力になれるかもしれない。だから全てを話してくれないかな薫ちゃん」


 麻衣子の話を聞いてからというもの徐々に東山葵の存在がぼやけ始めていた。中学生の頃の東山さんは今でも脳裏に焼き付いているのに夏休みの東山さんは記憶から薄れている。疑念ばかりが浮き彫りになり君は一体誰なんだと心が叫んでいた。正体について確信はなかったが東山薫以外に思い当たる人物が想定できずまどろこしいことはやめてはっきりと妹の名前を口にしたのだ。もしも麻衣子の話が全て出鱈目で本当に東山葵が本人であった時は僕が異常者と認識され今後一切の関係を断たれることになっていただろうが真実に辿り着けていたことで免れた。


「は、はは、ははは、はははは。やっぱり滝野瀬さんと祭りなんか、いや会ってしまったこと自体が間違いだったんだ。でも仕方がないじゃないですか。お姉ちゃんに彼氏がいたなんて私知らなかったんですから」


 感情が読み取れない高笑いが響き渡った後、俯く薫ちゃんの自問自答するような呟きが聞こえてきた。風が吹けば掻き消えてしまいそうな声は自身が東山薫であることを確かに認めている。


「いつから気付いていたんですかお姉ちゃんじゃないって。それに怒ってますよね、私はお姉ちゃんのフリをして滝野瀬さんの傷を抉っていたようなものなんですから」


 疑問に答えるため麻衣子から聞いた話と夏休みに会って感じた違和感をそのまま薫ちゃんに伝えた。別人説を聞いてこれまでの違和感だった点と点が線で結ばれていくように真実が見えてきたのだと。心の片隅に東山葵がこの世にいないことを拒絶する自分もいたが、今日この時をもって全ては白日の元に晒された。東山葵と復縁することは叶っておらず夏休みの思い出も感情も何もかもが全て幻で嘘になってしまったのは事実。だが不思議と薫ちゃんに対して怒りは湧いてこない。特に花火大会の日は本当に付き合っていた頃に戻れたようで幸福感に満ち溢れ感謝したいくらいだ。有ヶ丘にだって未だに行けていなかったかもしれない。薫ちゃんがしたことは良くなかったことかもしれないけれど僕の心は救われていたのだ。


「それでもまずは謝らせてくだい。ずっと騙していたこともなにもかも全部含めて、本当にごめんなさい」


 薫ちゃんは律儀にもこのままでは自分が許るせない、気が収まらないというように深く頭を下げた。もしかしたら僕だけでなく欺いてきた友人や死者を冒涜するような真似をしてしまったこと全てに謝罪しているのかもしれない。すぐに気が済むようなことではないだろうが後輩に謝罪をさせていると思うとどうしても後ろめたさが拭えず、本当に気にしていないからと慌てて止めに入った。


「ありがとうございます滝野瀬さん。それで先ほどの話に戻るんですがお姉ちゃんが嫌がらせを受けていたのも、それが原因で飛び降りたのも事実です。でも真実はそこだけでそれ以外は全部嘘で滝野瀬さんは騙されています。お姉ちゃんへの嫌がらせを裏で指揮していた人物こそが高柳麻衣子であり、彼女こそが黒幕なんです」


 頑なに頭を上げようとしない薫ちゃんがやっと謝罪の姿勢を解いてくれたと思えば、一呼吸置いて続けて口を衝いて出た言葉により雷に打たれたかのような衝撃に突如として襲われた。麻衣子が黒幕などと薫ちゃんはなにをもってそう言うのだろうか。信じられるわけがなく反論したかったが、目の前に立つ薫ちゃんの瞳に濁りはなく真っ直ぐ刺すような視線に躊躇いが生まれる。何より薫ちゃんの言葉から冗談や嘘で僕を騙そうなどという悪意がまるっきり感じられなかったのもまた事実だった。


「少し長くなるかもしれませんが私が知る全てを今から滝野瀬さんにお教えしますので聞いてもらえないでしょうか」


「そのために僕は東山さんを探していたんだ。もちろん最後まで聞くよ」


 僕と麻衣子と哲希の三人は東山さんを見つけ出し真実を知るために夏休みの時間を費やしてきたのだ。真に迫るものがある薫ちゃんの話を聞かない選択肢などあるはずがなかった。なにより幼馴染の名を出されてこのまま引き下がれるわけがない。


「敬語で話すの疲れない。僕は気にしないからタメ口で話してくれて良いよ」


「お姉ちゃんでいる時は違和感がないように敬語を使わないようにしていたんですけど皆さん年上って意識がどうしても抜けなくて。タメ口で話す方が疲れちゃうんですよこれが意外と。なのでこのまま敬語で話させてもらいます。お気遣いありがとうございます滝野瀬さん」


 気遣いは不要だったようで後輩ならではの苦労話を前置きに薫ちゃんは語り始めた。


「春休みのとある日、私は流星群を見るため展望台に来ていました。展望台と言っても私たちが今いるこの場所ではなく、ここから少し離れたあそこに建っている新しく作られた方の展望台です。流星群が流れる時刻まで時間があったので私は暗視双眼鏡で辺りを見渡し暇を潰していました。すると立ち入り禁止のはずのまさにこの場所、旧展望台に人影が見えたんです。距離があるので誰とは特定出来なかったんですけど気になり双眼鏡を動かす手を止めて様子を伺っていました。盗み見しているとどうやらもう一人誰かがいるみたいでその人に人影は身振り手振りで何か話している様子でした。残念ながらもう一人については姿を視認したわけではないのでいたというのは私の憶測になります」


「ちょっと待ってくれ、どうして一人は見れてもう一人は見えなかったんだ」


「どうしてって、ここの旧展望台って真ん中に屋根がついてるじゃないですか。だから私が見たのは屋根の死角にならない柵の辺りまで出てきていた人物だけ。けれど屋根の下にもう一人誰かいたと、そしてその誰かこそが高柳麻衣子だと今なら確信を持って言えます。その後も話し合いが上手くいかないのか身振り手振りは続き、途中で携帯を操作したのか小さな光が見えたくらいで変化はほとんどありませんでした。流星群の時刻も迫っていたので目を離そうとしたとき、急に柵の上に人影がよじ登り始めたんです。危ないと心の中で叫びながら目が離せず双眼鏡を覗いていると柵の上に立った人影は数秒の躊躇いもなく飛び降りました。驚愕と衝撃のあまり双眼鏡が手から滑り落ちてしまい目を見開いたまま口を大きく開け立っていることしか出来なかった。固まった状態から意識を取り戻すと首から紐でさげていたおかげで地面に落下せず胸元で揺れていた双眼鏡を掴み取り慌てて覗き込んだんです。ですが展望台の上にはもう誰の姿もなく一瞬の出来事で夢なのか現実なのか当時の私は混乱状態に陥り流星群のことも忘れ旧展望台を眺めていました。

 当時は携帯電話を持っていなかったためその場で通報することができず、辺りを見渡しても人がいない状況でした。どうしようと一人悩み、責任感からかそれとも怖いもの見たさからか帰るでも通報しに行くでもなく無鉄砲にも旧展望台に向かうことにしたんです。そして私は見てしまったんです、十メートルはある旧展望台から飛び降り地面に横たわる人影の正体を。目も当てられない無残な姿のお姉ちゃんでした。お姉ちゃんの死に直面した瞬間、心の奥底までが絶望に染まりその場で膝から崩れ落ち泣き叫び涙が枯れる頃に残されていたのは膨大な憎しみだけ。私は誓いました、必ずお姉ちゃんをこんな目に遭わせた人物に復讐すると。そのためにはお姉ちゃんの交友関係や日常に関する情報が必要でした。だけど高校生になってしまう先輩たちに接触することは中学生の私には困難で真実に辿り着けないと思ったんです。だから私も高校生になる必要があり無力な東山薫を捨て東山葵として生きることにしました。犯人以外は東山葵の死を知らないからこそ出来たことであり、お姉ちゃんの死を妹の失踪に書き換え私は高校に潜入したんです」






 


 


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