第22話 薫と智也(上)

「滝野瀬君がどうしてここにいるの。それに顔色が優れないみたいだけど大丈夫」


 尾行していたことも忘れ茂みから飛び出すと東山さんに見つかるだけでなく心配までされてしまう始末だった。見るからに大丈夫そうじゃないくせして口では平気平気と意味もなく強がる。徐々に心臓の鼓動も呼吸も正常にゆっくりと安定し始め、会話くらいならなんとか続けられそうなほどには落ち着きを取り戻す。


「それならいいんだけど。じゃあ私は行くところがあるから」


 展望台の階段を全て下り僕の少し前で一度は立ち止まった東山さんだったが話す時間は与えてくれないようで再び歩き出しこのまま帰るつもりらしい。ここまでなに一つ上手くいっていないが目の前には東山さんがいて結果的に絶好の場面にたどり着いたのだ。ここで帰してしまったら哲希や麻衣子に顔向けできないだけでなく、自分自身すらも許せなくなってしまう。であるならばやるべきことは一つしかないと片膝立ちになり地面を手で押し返すと勢いよく立ち上がり、真横を通過しようとしていた東山さんの前に回り込むと両手を目一杯に広げて行かせないと立ち塞がった。


「僕がここにいるのはずっと後をつけてきたからなんだ、ごめん。軽蔑されても仕方がないと思っている。それでも僕はこれ以上復讐に身を焦がす君を見過ごせない。なにがあったのか全て話して欲しい、君は一体誰でなにをしようとしているのか」


 包み隠すことなく僕がこの展望台にたどり着いた経緯から心の中で思っていたことまで全てさらけ出す。僕はもう目の前の人物が東山葵ではないと確信に似た何かを感じ取っていた。

 

「復讐とか誰なんだとかさっきから様子が変だよ滝野瀬君。早く帰って休んだほうが良いんじゃない」


「君は東山葵じゃない、彼女の名前を語る偽物だ。僕だって彼女の痛みを理解できなかったことを悔いているし、嫌がらせをした奴らを許せない。でも君のやり方は間違ってる。今ならまだ引き返せるかもしれない、だからお願いだ全てを話してくれないかな薫ちゃん」


 麻衣子の話を聞いてからというもの徐々に東山葵の存在がぼやけ始めていた。中学生の頃の彼女は今でも脳裏に焼き付いているのに夏休みの彼女は記憶から薄れ疑念ばかりが浮かび上がる。君は一体誰なんだと心が叫んでいた。正体に確信はなかったが東山薫以外に思い当たる人物が想定できず、鎌をかけるようで癪だが、全て見抜かれていると思い込ませるため強くはっきりと妹の名前を口にした。


「は、はは、ははは、はははは。やっぱり滝野瀬さんと祭りなんか、いや会ってしまったこと自体が間違いだったんだ。でも仕方がないじゃないですかお姉ちゃんに彼氏がいたなんて私知らなかったんですから」


 高笑いが響き渡った後、俯く彼女の自問自答するようま呟きが聞こえてきた。風が吹けば掻き消えてしまいそうなそれは自身が東山薫であることを認めていた。


「いつから気付いていたんですか東山葵じゃないって。それに怒ってますよね、私はお姉ちゃんのフリをして滝野瀬さんの傷を抉っていたようなものなんですから」


 麻衣子から聞いた話を僕はそのまま薫ちゃんに伝えた。別人説を聞いてこれまでの違和感だった点と点が線で結ばれていくように真実が見えてきたのだと。心の片隅に東山葵がいないことを拒絶する自分もいたが、今日この時をもって全ては現実となった。復縁してからの夏休みの思い出も感情も何もかもが全て幻で嘘になってしまったわけだが、不思議と怒りは湧いてこない。特に花火大会の日は本当に付き合っていた頃に戻れたようで幸福感に満ち溢れていて感謝したいくらいだ。


「それでもまずは謝らせてくだい。ずっと騙していたこともないもかも全部含めて、本当にごめんなさい」


 薫ちゃんは律儀にもこのままでは自分が許るせない、気が収まらないというように深く頭を下げた。後輩に謝罪をさせていると思うとどうしても後ろめたさが拭えず、本当に全然気にしていないからと慌てて止めに入る。


「先ほどの話なんですがお姉ちゃんが嫌がらせを受けていたのも、それが原因で飛び降りたのも事実です。でも真実はそこだけでそれ以外は全部嘘であり滝野瀬さんは騙されています。お姉ちゃんへの嫌がらせを裏で指揮していたのが高柳麻衣子であり、彼女こそが黒幕なんです」


 頑なに頭を上げようとしない薫ちゃんがやっと謝罪の姿勢を解いてくれたと思えば、続けて口を衝いて出た言葉により雷に打たれたかのような衝撃に突如として襲われた。麻衣子が黒幕などと薫ちゃんはなにをもってそう言うのだろうか。信じられるわけがなく反論したかったが、目の前に立つ薫ちゃんの瞳は真剣そのものであり真っ直ぐ刺すように僕は見つめられ気圧された。何より彼女の言葉から冗談や嘘で僕を騙そうなどという悪意がまるっきり感じられなかったのもまた事実である。


「少し長くなるかもしれませんが私が知る全てを今から滝野瀬さんにお教えしますので聞いてもらえないでしょうか」


 真に迫るものがある薫ちゃんの話を聞かない選択肢などあるはずがなかった。それに幼馴染の名を出されてこのまま引き下がるつもりは毛頭ない。


「違和感がないように敬語は使わないようにしていたんですけど皆さん年上って意識がどうしても抜けなくて疲れるんですよこれが意外と。なのでこのまま敬語で話させてもらいます」と苦労話を前置きに薫ちゃんは語り始めた。


「春休みのとある日、私は流星群を見るため展望台に来ていました。展望台と言っても私たちが今いるこの場所ではなく、少し離れたあそこに見える新しく作られた方の展望台です。流星群が流れる時刻まで暇を持て余していたので暗視双眼鏡で辺りを見渡していました。すると立ち入り禁止のはずのこの場所、旧展望台に人影があったんです。距離があるので顔まではっきりとは見えなかったんですけど気になって少し様子を伺っていました。するとどうやらもう一人誰かがいるみたいで人影は身振り手振りで何か話している様子でした。ですがもう一人については残念ながら姿は見えませんでした。どうしてって、ほらここの旧展望台って真ん中に屋根がついてるじゃないですか。だから私が見たのは屋根の死角にならない柵の辺りまで出てきていた人影だけなんです。

 その後は携帯を操作したのか小さな光が見えたくらいで変化はほとんどなく目を離そうとしたとき、急に柵の上に人影が立ったんです。そしてなんの躊躇いもなくその人影は飛び降りました。思わず双眼鏡を手放してしまい目を見開き口を大きく開けることしかできず、驚き固まった状態から意識を取り戻すと首から紐でさげていたおかげで落下せず胸元で揺れていた双眼鏡を手にとり慌てて覗き込みました。ですが展望台の上にはもう誰の姿もありませんでした。当時は携帯電話を持っていなかったためその場で通報することができず、辺りを見渡しても人がいない状況だったのでどうしようと一人悩み、責任感からかそれとも怖いもの見たさからか帰るでも通報しに行くでもなく旧展望台に向かうことにしたんです。そして私は見てしまったんです、目も当てられない無残な姿で地面に横たわるお姉ちゃんの姿を。一瞬にして心の奥底までが絶望に染まり私はその場で膝から崩れ落ち泣き叫びました。どれくらいそうしていたかわかりません。涙は枯れ、心は砕け、精神が崩壊した私に残されていたのは膨大な憎しみだけでした。私は誓いました、必ずお姉ちゃんをこんな目に遭わせた人物に復讐すると。そのために情報が必要でした。だけど高校生になってしまう先輩たちに接触することは中学生の私には困難で真実に辿り着けないと思ったんです。だから東山葵になる必要があり無力な東山薫を捨てました」






 


 


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