第7話 謝罪と失言
今度は僕が東山さんの手を引いて有ヶ丘まで連れて行くなどという度胸はなかった。僕の背後についてくる形で一列になって道中会話らしい会話もほとんどないまま十分ほど歩いて目的地へと到着した。
山とまではいかないが小高い丘の頂上まで道幅の狭い坂道を登りきった僕たちは無人の開けた空間に立っている。見渡して目につくものは広大な広間に落下防止のため張り巡らされた柵と二人掛けの長椅子が二つだけと実に殺風景だ。
半日歩いてさらにここまでの道程で体力が限界に達していた僕がベンチに座り込むのに対して、東山さんの体力は底を突いていないらしくベンチよりさらに奥の柵の方へと走りだした。勢いのまま身を乗り出さんとする彼女は景観に釘付けの様子である。有ヶ丘に初めて訪れたときの僕と同じような反応を示す姿を眺めながら、僕も久しぶりに景色を拝もうと小休止もそこそこに立ち上がった。
「みてみて私たちの町が小さな模型みたいだよ」
柵に手を乗せ上半身を乗り出す東山さんの隣に並び立つと嬉々とした表情でこちらを振り向いた。あまりの勢いに気圧されそうになりながらも柵にかけられた片足が勢い余って柵の向こう側へ飛び出さないか気が気でしょうがない。
興奮冷めやらぬところまずは両足をしっかり地につけてもらってから改めて視線を柵の向こう側に広がる景色に向けた。数ヶ月経っても変わらぬ眺めに中学生のとき二人で語らった日々が次から次へと掘り起こされる。小さな模型という捉え方は斬新で面白い見方だが、日常的に僕たちが生活している家や学校が片手で掴めそうなほど小さく納得の表現だ。田舎だとか遊ぶ場所が少ないだとか文句ばかりつけてきた町だがこうして俯瞰してみると行ったことのない場所はまだまだあるんだなと思い知らされる。
「連れてきてくれてありがとう。本当にいい眺めだね」
酔いしれるようにうっとりした目の東山さんだが感謝を伝えなければいけないのは僕の方だ。手を取り引っ張ってくれなければ僕は今もあの公園のベンチで一人空を見上げていたことだろうから。それに有ヶ丘を僕に教えてくれたのは東山さん君自身なんだと、なんで忘れてしまったんだと心は叫んでいるが声にはならなかった。
「僕も久しぶりに来れてまた東山さんと一緒にこの景色が見られるなんて思ってもみなかったから嬉しいよ」
言葉にしてしまった以上はもうどうしようもないが我ながら照れ臭いことを言ったなと頬が紅潮する。なんとか夕焼けに当てられ頬の赤みを隠してくれないかと願っていると東山さんからは一言「私も同じだよ」と笑みとともに短く返ってきた。彼女の頬も若干赤く染まっているように見えたがすぐに視線を逸らされ横顔は髪に隠されてしまった。全て夕焼けが見せる一種の演出なのだろうと思うことにするとしよう。
母親に見つからないように家からの脱出を試み窮地に陥ったとき、公園で打ちひしがれていたときもそうだったことだが東山さんの微笑みには何事も許してしまえそうなお茶目さと負の感情の淀みを取り払い包み込んでくれる包容力が備わっている。だからというわけではないが春休みの失恋以降ずっと吐きどころを求めていた感情が自然とこぼれ落ちていた。
「実はずっと謝りたかったんだ中学校のときのこと」
二人いい雰囲気であり場所もタイミングも今ではなくもっと別の話題があっただろうが口を出た言葉を引っ込めることはもうできない。
付き合っていた頃の思い出は楽しいものばかりではなく失敗や後悔の念が混じっているものだ。そうでなければ別れを告げらることもなく僕たちは春休み以降も恋人関係でいられたのだろう。気がついたときにはすでに東山さんは手の届くところからはいなくなっており機会がなくずっと謝りたかったことがある。それは彼女が別れを切り出すきっかけになったかもしれないから。心当たりがないのか数度瞬きを繰り返してから首を傾げる東山さんだが今この時だけは何も言わず最後まで聞いてほしいと自分勝手なわがままを押し通させてもらう。
僕が東山葵と付き合い始めたのは中学三年生の二学期からであり、春休みの数日の間までお付き合いは続いた。三年生のクラス替えで初めて同じクラスになり同じ班であったことをきっかけにだんだんと会話が増え親交を深め交際にまで発展していった。気が合うところが多かった僕たちに時間はそれほど必要なかった。
僕の人生において東山葵が初めてできた彼女であり歴史的瞬間だ。高校生になった現在の彼女とは違い性格も控えめで物静かな感じだったので学内では適度な距離で交際関係を悟られないようにしていた。校内では周りの目を気にして目立った青春らしいことは出来なかったが一緒に登下校するだけで幸せで満たされていた。そんな順風満帆のように思えた交際関係に陰りが見え始めたのが三学期になり中学校生活も残りわずかとなった雪が降り頻る時期のことだ。
僕に変化が訪れたわけではなく主に東山さんの日常に変化が起きた。身の回りのものがなくなったり、あからさまに無視されたり、男子生徒に揶揄われたりと急に周りの様子や環境に異変が生じ始めた。
情けない話ではあるが僕が異変に気がついたのが三学期に入ってからで、厳密にいつからというのははわからない。僕のことを気遣ってか彼女は話を聞こうとしても大丈夫だからと口を割ってはくれなかった。中学三年生の冬は受験勉強に追われる身であり自分のことで精一杯だったのは事実であり、そのせいで僕も彼女の言葉を鵜呑みにした。その行いが別れ話を切り出される原因になってしまったのだと思っておりずっと後悔していたことなのだ。だからずっと心の奥底で溜まり続ける感情を今になって懺悔するかのように溢したのだろう。
「私も心配かけないように一人で抱え込んじゃってたからお互い様だよ」
最後まで何も口を挟まず聞いてくれた東山さんはやはりというべきか微笑を浮かべていた。当時の彼女の心境を察すれば責められこそすれあっさり受け止められることは想像しておらず戸惑いが残る。罵倒されることを望んでいるわけではなかったが、どんな非難轟々も受け止める覚悟は決めていた。だというのに高校生になってもいまだ拭えなかった心緒をこうも簡単に受け入れられるのは過去は割り切っているからだろうか。それともこうしてまた復縁できたのだから全て水に流そうということなのか。乙女心とは実に難しく女々しくはないらしい。
「これからは何があっても必ず力になるよ。薫ちゃんのことも僕にできることがあれば何でも手伝うから」
このときだけは噂のことも忘れ明日以降の僕たちがどのよな関係になっているかもわからぬまま誓いの言葉を口にしていた。誓いのみを口にするだけでよかったものを触れていいのか定かではない東山さんの妹である薫ちゃんの名前まで出してしまうとは愚かにもほどがある。
東山薫は春休みに行方不明になっており今もなお見つかっていない捜索対象者である。初めてそのニュースが舞い込んできたときは耳を疑い信じられなかった。直接会ったことはないが何度か妹の話は姉である東山葵から聞いたことがあり、春休みに一緒に捜索を手伝いたかったがそのときにはもう僕たちの関係は途切れてしまっていた。今日に至るまで警察でも見つけられていない妹の捜索に僕なんかが手伝えることなどあるはずもないのに気休めにもならないことを口走ってしまったのだ。
それに妹の失踪が東山葵の高校生になってからの人格の急変に影響を与えているというのが哲希との総意である。誰彼構わずお付き合いを繰り返す行為は寂しさを紛らわすためであり、明るく振舞う姿も一種の現実逃避のように見ていて感じられた。
東山さんができるだけ目をそらしてきたであろうことについて僕は口走ってしまったのだ。彼女の顔を直視することができなかった。
「その気持ちだけで十分だよ。私はこの町のどこかで元気に生きてくれていると信じてる。それにいつまでも待つって決めたの」
僕たちが日常を送る町並みを眺めながら東山さんは静かに呟く。返す言葉など持ち合わせておらず彼女の言葉は僕を突き放すように拒絶されているようにさえ感じた。
重たい雰囲気に押し潰されそうで、いっそのこと柵を乗り越え飛び出してしまいたい。
「滝野瀬くんは優しいね。いろいろと気にかけてくれてありがとう」
優しくなどなく自分のことしか考えていない評価とは真逆の人間である。だというのに嫌な顔一つ見せない東山さんから優しい言葉をかけてもらう資格などなく受け止めきる度量も器も持ち合わせていない。自責が心の中でこだまし今のお前は彼女の隣に立つ資格はないと強く訴えてくる。どうせ今日で交際関係も終わるのであればこのまま帰ってしまえ。逃げ出したって誰も何も言ってきやしないし家に帰ってから一通謝りの連絡を入れればいい。まだまだ夏休みは長いのだ、今日のことなど時間が忘れさて解決してくれる。ここらが潮時のようだ。最初から最後まで嫌というほど僕という人間はどうしようもないやつなのだと自覚させられた。
「そろそろ日が沈みそうだし帰ろうか」
話をぶった切っての敗走もいいところの帰宅宣言にはなってしまうがそもそも僕がこの場にいていい資格などとうになく一分一秒でも早く退場が望まれる。せめてもの償いに最後の見送りだけは責任を持ってやらせてもらおう。もう二度とみることは出来ないであろう有ヶ丘からの景色に背を向け歩き出す。
「今週末の夏祭り、よかったら一緒に行かない」
名残惜しさを胸に数歩進んだところで背後から幻聴だと耳を疑いたくなる声がかかった。東山さんの言葉は鎖となって足を縛り付け身動きが取れなくなる。真白になった頭の中で初めに引っ掛かったのは今週末という単語だった。今日ではなく今週末と彼女は確かに口にした。つまりそれは三日目以降の話であり、噂ではありえない世界線に足を踏み入れることになる。そもそも今日の僕の為体を見てなお彼女は誘うのだろうか。
誘いはもちろん嬉しいものだし東山さん本人が口にしたのだから幻聴でも夢でもなく断る理由などあるはずがなかった。それでも僕は断らなければいけない。公園で引っ張り出してもらった一度ならず二度までも意図こそよくわからないが彼女に甘えることは許されないのだ。
「去年二人で行った花火大会を思い出しちゃっただけで今のは忘れて、ごめん」
二人とは僕を指しているのではなく妹のことだろう。断るつもりだったのに心は揺れに揺れていた。簡単に忘れられるはずもなく、何より妹のことを想起させてしまったのは僕の発言が原因なのだ。ならばそれは僕が責任を取らなければいけないことだし、仮に行かない選択をして寂しさを埋めるために他の男子と祭りに行く東山さんを見たくなかった。
「妹の代わりにはなれないけど、少しでも気が紛れるのなら行こうよ花火大会。そうじゃない僕が東山さんと一緒に花火大会に行きたい。だからお願いします」
今更ながらにカッコつけても意味などなく、こちらから望む形で断りづらいだろうという思惑も含めて頭を下げ頼み込んだ。どっちつかずの心で問題から目を逸らすように先延ばしにしているに過ぎないがもう少しだけ東山さんと一緒にいられる時間がもらえるのであれば一緒にいたい。今更何も隠すことはなく僕はずっと別れてから未練を引きずってきたし、今もなお東山葵のことが好きだということを自覚する。もう迷いも疑念も何もない。
「そこまで頼み込まれちゃったら行かないわけにも行かないよね。楽しみにしてるよ」
東山葵の微笑みは最後まで眩しかった。
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