景色と感謝
方向音痴な東山さんに変わり今度は僕が有ヶ丘まで彼女の手を引いて連れて行くなどという度胸はなかったが案内役を引き受けた。隣にピタリとついてもらう形でい横並びになって高校生活一学期を終えての振り返り話をしながら数分ほど歩いて目的地を目指した。本当はどうして有ヶ丘のことを忘れてしまったのか聞きたかったが次から次へと話が振られ東山さんは付け入る隙を与えてくれず目的地へと到着し肝心なことは何一つ聞けないまま。願わくば中学時代の思い出話についても話したかったが東山さんの口から触れられることはなかった。
山とまではいかないが小高い丘の頂上まで道幅の狭い坂道を登りきった僕たちは二人しか存在しない無人の開けた大地に立っていた。辺りを見渡して目につくものは広大な広間の端に落下防止のため張り巡らされた柵と二人掛けの長椅子が点々としているだけであり実に殺風景だ。遊び場を求めてたらい回しに歩かされさらにここまでの道程で体力の残量が底をつき限界に達していた僕がベンチに座り込むのに対して、東山さんの体力はまだまだ余裕が残っているらしくベンチより少し奥の柵の方へと駆けて行った。走る勢いのまま柵から身を乗り出さんとする東山さんは柵の向こうに街を見下ろすように広がる景観に釘付けの様子だ。有ヶ丘に初めて訪れたときの僕と同じような反応を示す姿を眺めていると休んでいる場合ではないと久しぶりに景色を拝むため小休止もそこそこに立ち上がった。
「見てよ見てよ私たちの町が小さな模型みたいだよ滝野瀬くん。私こんな場所が近くにあったなんて全然知らなかったよ」
小さな手で柵を掴み上半身を乗り出す東山さんの隣に立つと嬉々とした表情で彼女は満面の笑みを浮かべながら振り向いた。あまりの勢いに背を逸らし気圧されなりながらも視線はすぐさま柵にかけられている片足に移り、勢い余って柵の向こう側へ飛び出してしまわないか気が気でしょうがない。
興奮冷めやらぬところ水をさすようで申し訳ないがまずは両足をしっかり地につけてもらうことが先決で心のハラハラを振り払いたい。東山さんが柵から降りてくれたのを確認し改めて視線を柵の向こう側に広がる景色に向けた。数ヶ月経っても変わらない眺めに中学生のとき二人で語らった日々が次から次へと頭の中を駆け巡る。小さな模型という捉え方は斬新で面白い見方だが、日常として僕たちが生活している家や学校が片手で掴めそうなほど小さく見え納得の表現だ。田舎だとか遊ぶ場所が少ないだとか文句ばかりつけてきた町だが視点を変えて俯瞰してみると行ったことのない場所がまだまだあるんだと思い知らされた気分だ。
「どこに行っても人がいっぱいでどうなるかと心配だったけど最後にこの場所に来れてこの景色を見られて本当に良かった。ありがとう滝野瀬君」
酔いしれるようにうっとりした目の東山さんは夕陽を眺めながら今日の総括のように感謝の言葉を加えて口にしてくれた。だがありがとうと伝えなければいけないのは僕の方であり手を取り引っ張ってくれなければ今もあの公園のベンチで一人空を見上げていたことだろうから。それにもう東山さんが有ヶ丘を忘れてしまっていることなどどうでもいいと思えるくらいには二人でまた有ヶ丘からの景色を眺められたことで心は満たされていた。
「僕も長いこと来ていなかったし、また一緒にこの景色を見ることができるなんて思ってもいなかったから嬉しいよ。今は僕の方が東山さんに感謝してる」
素直な気持ちを言葉にしてしまった後に我ながら照れ臭いことを口にしたなと自覚し顔が熱くなる。夕焼けに負けないほどに頬が赤く染まっていようが発言を撤回することは叶わず、せめて夕焼けが赤く染まった頬を誤魔化してくれるて東山さんに勘づかれないことを祈るばかりだ。
「私も同じ、滝野瀬君と一緒にこの時間を共有できたことがとても嬉しい」
もっと熱く輝いて頬の紅潮を隠してくれと心の中で夕日に訴えかけていると東山さんから追い討ちのように今日一番の言葉が返ってきた。素直に言葉を受け止めたいところだがどんなに浮かれていても心の片隅に東山葵を疑う自分がいることもまた確か。有ヶ丘を知らない事実がどうしても喉に刺さった小骨のように気がかりで東山さんの本音を表情から探ろうと今日一日ずっと直視できなかった素顔とこの時初めて対面した。西日に照らされていることもあってか笑みを浮かべる東山さんの頬もいつもより少し赤く染まっている。自分のことは夕日のせいにして、他人のことになると夕日は関係ないと単純な僕の疑念は一瞬にして消え去った。景色だけでなく心情も共有しているのだと思うと溢れ出る喜びが抑えきれず、幸福感に包まれ東山さんの顔をまじまじと見つめてしまう。
ずっとこのまま日が沈み星空が僕たちを照らしてくれるまで眺めていたいくらいだったが東山さんが顔を背けてしまい舞台の幕が下りるかのように髪に隠れてしまう。一秒でも長く見つめ合い時間を共有していたかっと残念でならず肩を落としながらも、鬱陶しく思われたくはないと押し引きの線引きだけは間違えないように今日のところはこの辺で留めておく。東山さんとの明日があるかどうかは定かではないが今の雰囲気から一転して振られる結末が数時間、数分後の未来に待ち受けているとは到底思えない。
母親と東山さんの鉢合わせを避けるため家からの脱出を試み窮地に陥ったとき、公園で打ちひしがれていたとき、そして先ほどまで向けられていた東山さんの微笑みには何事も許してしまえそうなお茶目さと負の感情の淀みを取り払い包み込んでくれる包容力が備わっている。浄化されるような微笑みに当てられたからというわけではないが春休みの失恋以降ずっと吐きどころを求めていたが機会がなく心の奥底に仕舞い込んでいた罪悪感が急に湧き上がり自然と口からこぼれ落ちた。
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