夢と現実
「ずっと気になってたことなんだけどセミみたいに端っこにくっついて階段を下りてたのはなんで。最初ふざけてるのかと思って後ろで笑いを堪えるの大変だったんだから」
二人して一頻り笑い合い心拍数が落ち着きを取り戻しつつあると不意な疑問が飛んできた。僕自身も堂々と恐れを知らぬ姿勢で階段を一歩一歩踏んでいた東山さんにどんな目で見られていたのか気にかかっていたことではあるが、まさかの蝉呼ばわりされるとは思いもしなかった。これは新たな黒歴史の誕生かと肩を落とす。深夜こっそり抜け出していた当時は見つからないことに全神経を注いでいたため自分の姿など気にしたことがなかった。作戦実行中は冗談などではなくこれが最適解と真剣に慎重に歩を進めていたが、言われてみるともし何も知らされていない状態である僕の目の前で東山さんがいきなり蝉のように手すりにしがみついて先導し始めたら笑わない自信がない。階段攻略における必勝法を事前に共有しなかったことで後に続く東山さんに笑ってはいけないという別の戦いを生じさせていたことについては実に申し訳なく感じつつ、幼き日の悪知恵を語った。
「そんな裏技があったんだね。それなのに蝉とか言っちゃってごめん。私の家には階段がないから知らなかったや。でもやっぱりあの姿は今思い出しても……」
幼き日の滝野瀬少年が編み出した秘技について裏話も添えて説明するとなんとか理解を示してくれた。しかし理解したからといって姿形が美化されるわけではないようで、再び東山さんは笑い出してしまった。指摘されて自覚しただけでも逃げ出したいくらいなのに、今後も思い出すたび笑われることを思うとアイスのように溶けて消えてしまいたくなる。
「悪気とかは一切なくてただこんなに面白い出来事があったのは久しぶりでつい。あのとき写真を撮っておけばって後悔してるくらいなんだから」
「そんな黒歴史確定の姿が盗撮されていたら東山さんの携帯を破壊してるところだったよ。出来ることなら記憶からも消したいくらい」
「滝野瀬くんにはこの何万円もする携帯を人の物であっても証拠隠滅のためなら壊す覚悟があると。怖い怖い、でも安心してあの状況じゃ盗撮なんて出来なかったから。蝉になった滝野瀬くんの姿が保管されているのは私の脳内だけ。もちろん誰かに言いふらしたりなんかしないからこれだけは約束するよ」
宣言とともに小指を突き出され本当に信じていいんだよなと若干不安に思いつつも僕も同じように手の形を作ると小指と小指を結んだ。ゆびきりで互いに誓いを結んだわけだけれどもよくよく考えて見ると、東山さんの眩しくて華やかな笑顔の源になれたと思えば鼻が高く誇るべきことのように思えてきた。
「結局何にも決まっていないまま家を飛び出しちゃたね。これから何しよっか」
高らかに手を打ち鳴らされ次なる話題へと進路変更されたわけだけれども、生憎だが回答を持ち合わせていなかった。誘い出すべく連絡をしていたがやりたいことや行きたい場所が決まっていたわけではなく合流してから決めるつもりでいた。行き当たりばったりにもほどがあるが噂の期限もあり時間がなかったのだから仕方がなく過去の自分から無理難題だらけのバトンを受け取った今の自分としては何かしら案を出さなければいけない。望みがあるとすれば東山さんは自ら滝野瀬家を訪れてくれており、彼女には何かしらの今後の計画があるのではないかということである。ぜひともその案にすがりたく、今の僕は全てに首を縦に振る機械人形になることも厭わない覚悟を決め東山さんに助け舟を求めた。
「ごめん、押しかけておいてなんだけど私も特にやりたいことがあったわけじゃないんだ」
数分前に醜態を晒した今の自分にこれ以上の恥など存在せず捨てられた子犬のような視線を送ってみたが唯一の希望は取り付く島もなく砕け散ってしまった。どうやら高校生になった東山さんも無計画の行き当たりばったり系らしい。誇らしくもないところに親近感を覚えてもあまり喜ばしいものではなく、反面教師として自身の成長を促されている気がした。
一からの計画立てではあったがこれからの予定を立てるにあたり幸いにもまた頭を悩ませなければいけないということはなかった。都会か田舎かに分類するのであればお世辞にも都会とは呼べない僕たちの地元ではそもそもの選択肢が限られている。普段なら普段なら行くところが無いと嘆きたくなる選択肢の少なさも、ときにはいいように作用することもあるらしい。バスや電車といった公共交通機関を利用すれば選択肢の拡大を図れるのだが、お昼過ぎということもあり移動にかける時間は極力省きたいかった。話し合った結果の目的地はとりあえず夏の猛暑を避けられる屋内であるゲームセンターに決定した。復縁後であるなしに関係なく初デートがゲームセンターというのはとても褒められたものではないかもしれないがそこは高校生という身分であることを盾に許してほしい。
「行く場所は決まったし早速行こう。ずっと喉が乾いて仕方が無かったんだから」
目的地であるゲームセンターまでは徒歩十分圏内であり、道中暑さに負けて自販機でジュースを買い二人で歩いて向かった。昨日まで抱いていたどう接したらいいのかなどの不安は勝手に消えさり中学生の頃のように会話をしていたら気がついた時には目的地にたどり着いていた。
田舎を甘く見ていたことは否めないが選択肢が限られているのは僕たちだけでなく地元民であれば誰もが等しく同じ悩みを抱えていることは当然のことだった。さらに夏休み突入も相俟ってかゲームセンターは小中高生で溢れかえっていたのだ。空調が効いているはずの屋内でありながら凄まじい熱気を感じるのは気のせいだろうか。ゲームセンターの入口で立ち止まり思わず顔を見合わせると互いの表情だけでこれはダメだと意思疎通がとれ、すぐさま予定変更することを余儀なくされた。
入店すら憚られるとは想定外だったが、保険をしっかり掛けてあったことが幸いした。僕たちが足を運んだゲームセンターはショッピングモールの中に併設されているため辺りを見渡せば専門店が軒を並べているのだ。地元という概念よりもさらに小さなショッピングモールだというのに目の前には数多の選択肢が広がっている。目に映るのは無数の専門店だけではなく、通路に出来上がった人の波も嫌でも視界に捉えてしまう。保険はあらかじめ用意していても必ず役に立つわけではないらしく、気になる専門店はいくつかあったがどこも人が多く立ち入りを断念した。店内を通路から眺めウィンドウショッピングしながら人並みに流され出口へと向かった。
人の密集度だけを比べれば都会にも引けを足らないのではないかと思えてしまうほどにどこに行っても人が満員で僕たちは無駄足を踏む結果となってしまった。ゲームセンターやカラオケなどの娯楽施設ならまだしもファストフード店ですら満員御礼とは夏休み効果は絶大である。
至る場所をたらい回しに歩いている間に空はまだまだ明るくとも時刻は夕暮れ時を迎えてしまっていた。今日が復縁三日目であり噂通りなら東山さんとの交際関係は今日で解消されてしまうというのにだ。思い浮かぶ場所は全て巡っておりこのまま解散ということにもなりかねない事態であり、それだけは何がなんでも回避しなけれないけない事案である。回り回って辿り着いた先が出発地点だった公園のベンチでお昼と同じように腰掛けると今後の夏休みの課題に割かれたであろう思考力を余すことなく使い果たす覚悟で長考に入った。
藁にも縋る思いで捻り出した場所は中学生のときに二人でよく行ったことのある懐かしい地元民でも知る人の少ない秘密の穴場だった。どうして今まで候補に上がってこなかったことが不思議なくらいだ。これが最後の機会かもしれないと特段明日へつながる策を思いついていたわけではないが、有ヶ丘で思い出の地で振られるのであれば悪くないと誘いを口にした。
「有ヶ丘ってどこだっけ。この辺にそんな場所あったかな」
これ以上ない提案でありきっと東山さんから嬉々とした反応が返ってくるものだとばかり思っていたが、予想に反して表情は優れないものだった。体育館裏で告白したあの日から薄々感じていた温度差ではあったが、有ヶ丘を忘れてしまっているということが今までにないくらい強く胸を締め付けた。あの隠れたスポットを僕に教えてくれたのは他の誰でもない東山葵だったというのに。だからこそ忘れられてしまった事実が僕の思い出に残る東山葵はもうこの世界にいないのだと自覚させてくれた。この三日間ずっと過去の恋愛を思い出してはまたあの日のようにと輝かしい思い出の日々の続きを夢見ていたけれど今日が目覚めの日になる。
「思い出した、思い出したよ滝野瀬くん。そんな暗い顔しないでください」
感情を隠すことが下手くそな僕は心の中の感情が表情にまで出ていたらしい。そのせいで気を遣わせて話を合わせてくれようとしているが今だけはその気遣いが棘となり余計に痛みを伴わせている。夢から覚めてしまったからにはもう有ヶ丘に行く気は無くなってしまっていたし、早く一人になりたかった。それでも否定の言葉を吐くことはできず、せめてもの意思表示として俯き沈黙した姿勢を貫く。反抗期の子供から可愛さを抜いた面倒くささしかない態度に対して目の前に立つ東山さんは微笑みを浮かべてくれているだろうか。それとも心配させ困らせてしまっているだろうか。最悪は軽蔑され帰ってしまうかもしれないが今はそれも悪くない。
甘い夢から覚め打ちひしがれる姿に冷めてくれたらどれだけ良かったことか。今ここで恋人関係の終わりを告げられてもそれは自然なことで受け入れやすい。だというのに東山さんが次にとった行動は感傷に浸る僕の手を掴むというものだった。掴まれた手からは東山さんの温もりが伝わってくる。現状を理解することがあまりにも不可能であり東山さんの思考を読み解くため顔をあげようとするより早く掴まれた腕が力一杯引っ張られ争うこともできずに腰が浮く。
「ほら早く行かないと日が暮れちゃうよ」
力なくなされるがままの僕の体は東山さんが実は怪力娘だと錯覚させるほどに簡単に連行された。彼女は満面の笑みを浮かべながら楽しそうに軽やかな足運びで僕を導いてくれる。もう夢は終わったはずなのに目の前に広がる光景は過去の思い出を再現するかのような待ち焦がれ夢見ていた瞬間の一幕だった。魅せられてしまった心は再び夢の世界へと浸かり沈んでいく。別れを受け入れる覚悟ができていたというのにこれではまた決心が揺らいでしまう。東山さんはズルすぎる。夢のような時間は永遠に続いて欲しかったが公園から出たタイミングで僕は足を止めた。このままずっと手を掴まれてどこまでもどこへでも二人で行ってしまいたかったが冷静な理性がそうはさせてくれなかった。
「引っ張り出してくれてありがとう東山さん。でも道案内は僕がするよ」
東山さんが向かう先は有ヶ丘とは正反対の方向であり、やはり彼女は何も思い出してなどいないのだった。
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