第6話 夢と現実
「ずっと気になってたことなんだけどセミみたいに端っこにくっついて階段を下りてたのはなんで。ふざけてるのかと思って笑いを堪えるのに大変だったんだから」
二人して一頻り笑い合い心拍数が落ち着きを取り戻しつつあると不意な疑問が飛んできた。僕自身も堂々と恐れを知らぬ姿勢で階段を一歩一歩踏んでいた東山さんにどんな目で見られていたのか気にかかっていたことではあるが、まさかの蝉と言われようとは。
深夜こっそり抜け出していた当時は見つからないことに全神経を注いでいたため自分の姿など気にしたことがなかった。作戦実行中は冗談などではなくこれが最適解と真剣に慎重に歩を進めていたが、言われてみてもし東山さんが蝉のように手すりにしがみついて先導し始めたと考えたら笑わない自信がない。階段攻略における必勝法を共有しなかったことが笑ってはいけないという別の戦いを生じさせていたとは実に申し訳ない。
「そんな裏技があったんだね。ごめんね私の家階段がないから知らなかったや」
幼き日の滝野瀬少年が編み出した秘技について裏話も添えて説明するとなんとか理解を示してくれた。しかし理解したからといって姿形が美化されるわけではないようで、再び東山さんは笑い出してしまった。指摘されて自覚しただけでも逃げ出したいくらいなのに、今後も思い出すたび笑われることを思うと溶けて消えてしまいたくなる。
「悪気とかは一切なくてただこんなに笑うのは久しぶりでつい。でもこれで最後にするって約束するよ」
僕の内心を察してか気を使わせてしまったらしい。宣言とともに小指を突き出され僕も同じように手の形を作ると小指を結んだ。ゆびきりで互いに誓いを結んだわけだけれども良く良く考えて見ると、東山さんの眩しくて華やかな笑顔の源になれたと思えば鼻が高く誇るべきことのように思えてきた。
「それじゃこれから何しよっか」
高らかに手を打ち鳴らされ次なる話題へと進路変更されたわけだけれども、回答を持ち合わせていなかった。誘い出すべく連絡をしていたがやりたいことや行きたい場所が決まっていたわけではなく合流してから決めるつもりでいた。
行き当たりばったりにもほどがあるが時間がなかったのだから仕方がなく過去の自分から無理難題だらけのバトンを受け取った今の自分としては何かしら案を出さなければいけない。望みがあるとすれば東山さん自ら自宅へと出向いてくれており、彼女には何かしらの今後の計画があるのではないかということである。ぜひともその案にすがりたく、今の僕は全てに首を縦に振る機械人形になることも厭わない覚悟を決め東山さんに助け舟を求めた。
「ごめん、私も特にやりたいことがあったわけじゃないんだ」
恥も外聞もかなぐり切り捨て子犬のような視線を送ってみたが唯一の希望はあっさりと砕け散ってしまった。どうやら彼女も無計画の行き当たりばったり系らしい。こんなことで親近感を覚えてもあまり喜ばしいものではなく、むしろ自身の成長を促されている気がした。
これからの予定を立てるにあたり幸いにもまた頭を悩ませなければいけないということはなかった。都会か田舎かに分類するならお世辞にも都会とは呼べない僕たちの地元ではそもそもの選択肢が限られているのだ。普段なら嘆きたくなる選択肢の少なさも、ときにはいいように作用するらしい。
バスや電車といった公共交通機関を利用すれば選択肢の拡大を図れるのだが、お昼過ぎということもあり移動にかける時間は極力省きたい。話し合った結果の目的地は屋内である無難なゲームセンターに決定した。復縁後であるなしに関係なく初デートがゲームセンターというのはとても褒められたものではないかもしれないがそこは高校生という身分であることを盾に許してほしい。
田舎を甘く見ていたことは否めないが選択肢が限られているのは僕たちだけでなく地元民であれば誰もが等しく同等であり夏休み突入も加味してかゲームセンター は中高生で溢れかえっていた。空調が効いているはずなのに凄まじい熱気を感じるのは気のせいだろうか。ゲームセンターの入り口で立ち止まり思わず顔を見合わせると互いの表情だけで意思疎通がとれ、予定変更することを余儀なくされた。
入店すら憚られるとは想定外だったが、保険はしっかり掛けてあるからご安心を。僕たちが足を運んだゲームセンターはショッピングモールの中に併設されているため辺りを見渡せば専門店が軒を並べているのだ。地元という概念よりもさらに小さなショッピングモールだというのに目の前には数多の選択肢が広がっている。目に映るのは無数の専門店だけではなく、通路に出来上がった人の波は嫌でも視界に捉えてしまう。保険はあらかじめ用意していても必ず役に立つわけではないらしく、専門店への立ち入りも断念し店内を通路から眺め人並みに流されながら出口へと足を運んだ。
人の密集度だけを比べれば都会にも引けを足らないのではないかと思えてしまうほどにどこもかしこも満員で僕たちは無駄足を踏む結果となってしまった。ゲームセンターやカラオケなどの娯楽施設ならまだしも図書館ですら満員御礼とは夏休み効果は絶大である。
至る場所をたらい回しに歩いている間に空はまだまだ明るくとも時刻は夕暮れ時を迎えてしまっていた。今日が復縁三日目であり噂通りなら東山さんとの交際関係は今日で解消されてしまうというのにだ。思い浮かぶ場所は全て巡っておりこのまま解散ということも視野に入るが、それだけは何がなんでも回避しなけれないけない事案である。結局たどり着いた先が元いた公園のベンチでお昼と同じように腰掛ける僕は夏休みの課題に割く思考力を余すことなく使い果たす覚悟で長考に入った。
藁にもすがる思いで捻り出した場所は中学生のときに二人でよく行ったことのある懐かしい地元民でも知る人の少ない秘密の穴場だった。どうして今まで候補に上がってこなかったことが不思議なくらいだ。
「有ヶ丘ってどこ」
これ以上ない提案であり嬉々とした反応が返ってくるかに思われたが、東山さんの表情は優れないものだった。体育館裏で告白したあの日から薄々感じていたことではあったが、有ヶ丘を忘れてしまっているということが今までにないくらい強く胸を締め付けた。何よりあの場所を教えてくれたのは他の誰でもない東山葵だったというのに。だからこそ忘れられてしまった事実が東山さんとの別れを決心させてくれた。この三日間ずっと過去の恋愛を思い出してはまたあの日のようにあの日の続きを夢見ていたけれど夢は完全に覚めたのだ。
「思い出した思い出したよ滝野瀬くん。そんな暗い顔しないでください」
僕は感情を隠すことが下手くそだと知った。そのせいでまたしても気を遣わせてしまったことには申し訳なさしかないが、今だけはその気遣いが棘となり余計に痛みを伴わせている。
夢から覚めてしまったからにはもう有ヶ丘に行く気は無くなってしまっていたし、早く一人になりたかった。それでも否定の言葉を吐くことはできず、せめてもの意思表示として沈黙した姿勢を貫く。顔を上げれば目の前に立つ東山さんは微笑みを浮かべてくれているだろうか。それとも心配させ困らせてしまっているだろうか。
甘い夢から覚め打ちひしがれる姿に冷めてくれたらどれだけ良かったことか。今ここで恋人関係の終わりを告げられてもそれは自然なことで受け入れやすい。だというのに東山さんが次にとった行動は感傷に浸る僕の腕を掴むというものだった。掴まれた腕からは温もりが伝わってくる。だが現状を理解することが不可能であり東山さんの思考を読み解くため顔をあげようとするより早く掴まれた腕が力一杯引っ張られ争うこともできずに腰が浮く。
「ほら早くしないと日が暮れちゃうよ」
力なくなされるがままの僕の体は東山さんが実は怪力娘だと錯覚させるほどに簡単に連行された。彼女は満面の笑みを浮かべながら楽しそうに軽やかな足運びで僕を導いてくれる。もう夢は終わったはずなのに目の前に広がる光景は過去の思い出を再現するかのような願っていた夢見ていた瞬間の一幕だった。魅せられてしまった心は再び夢の世界へと浸かり始める。別れを受け入れる覚悟ができていたというのにこれでは決心が揺らいでしまう。東山さんはズルすぎる。
公園から出たタイミングで僕は足を止めた。このままずっと手を掴まてどこまでもどこへでも行ってしまいたかったが僅かながらの理性がそうはさせなかった。
「引っ張り出してくれてありがとう東山さん。でも道案内は僕がするよ」
東山さんが向かう先は有ヶ丘とは正反対の方向だった。
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