第29話 挿話 ~ リタの物語 その2

私は一兵卒として、リアム・ウィンザー辺境伯の顔を遠くから見たことがある。完璧な造形の顔貌に凛々しい立ち姿。多くの名前だけの総司令官の貴族と違い、彼は兵士と一緒になって最前線で戦うのが常で、その圧倒的な強さに戦鬼と呼ばれることもあった。


私とパウロが総司令官室に入ると、そこには辺境伯以外に十代半ばくらいの少年もいた。金髪碧眼のキラキラした美少年だ。


私の隣に立っていたパウロは顔面蒼白になり、ガタガタと震え始めた。


「……お、王太子殿下……拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」


そう言いながら慌てて跪く。


え!? 王太子?! この子が?


私は跪くのも忘れて口をポカンと開けたまま少年を凝視していた。


王太子は私の非礼にも気を悪くした様子はない。パウロに無礼講だから気にするなと言うと、私たちに椅子に座るように指示した。


私は高貴な人々の前に座り香りの良いお茶を出されて、自分は今生きているのだろうかと疑問に思った。それくらい現実感がなかった。


「わざわざ来てくれてありがとう。それから、君たちのおかげで今回の戦で被害を最小限にすることが出来た。心から感謝する」


リアムの言葉にパウロが恐縮する。


「いえ、実際に敵襲の場所を予想したのは俺じゃなくて、前にも申し上げたようにこのリタですが……」


王太子は長い足を組みながらパウロに返答した。


「知っている。だが、一兵卒のしかも女の意見を聞き入れて上司に知らせたのはお前の手柄だ。恐らくお前以外の者だったら完全に無視していただろう。俺が欲しいのは偏見に囚われず適切な状況判断が出来る人間だ。俺のために働くことに興味があるか?」


私とパウロは顔を見合わせて絶句した。


「ケント、お前はせっかちすぎる。いきなりそんなことを言われて、すぐに答えられるはずないだろう。パウロ。それについては後でゆっくり話そう。それよりも、リタ、と言ったな」


「はい」


リアムから声を掛けられて、私は身構えた。


「今回は君に助けられた。君が敵襲の場所を予想してくれたおかげで、被害を最小限に抑えられた。心から感謝する」


まさか辺境伯であるリアム自身が私に頭を下げるとは思わなくて、私は狼狽した。


「え、え、いえ、あの、どういたしまして……?」

「なんで疑問文なんだよ!」


隣のパウロがぷっと噴き出すと、リアムも微笑んだ。


「仲が良さそうだな。ところで、リタ、君が各地で描いてきた風景画は持ってきたか?」

「はい」


私は事前にパウロから言われていたので、これまで描いた絵を全て持ってきた。


リアムと王太子は私の絵を見ながら目を輝かせる。


「すごいな。これを合わせれば地形や水系だけでなく、具体的に交通や集落の概要も分かる」


リアムの言葉に王太子も頷いた。


「どの絵が地図上のどこに相当するのかは分かるよな?」


王太子に尋ねられ、私は黙って頷いた。


「国としてここまで詳細な地勢図はこれまでなかった。貴重な資料になるな」

「あ、あの……それは私が描いた絵です。あなた方に差し上げるとは一度も言っていませんが」


パウロが隣で慌てているのが分かったが、絵は私の唯一の財産と言ってもいい。ただで渡すと思ったら大間違いだ。


「これらの絵は大変貴重なものだ。今回の活躍もある。絵を提供してくれたら対価を支払うのは当然だ。褒美として何か望むものはあるかい?」


穏やかな笑みを浮かべるリアムの言葉に私は飛びついた。


「軍の中でもっと女性を登用して下さい! 女だからって差別するような軍を変えて下さい! 私が一番下っ端で、しかも女だからってどれだけ惨めな扱いを受けてきたかご存知ですか?! 他にも女性兵士がいますが、みんな酷い目に遭っています! 襲われた人だっています。『女のくせに』って言われる悔しさが分かりますか?! 」


「お、おい……リタ……そんないきなり……」


おろおろするパウロ。考え込むリアム。そして、王太子は何故か爆笑した。


「面白い! 俺の良く知ってる奴を思い出させるな。リアム。これは思わぬ拾い物かもしれんぞ!」


「そうだな。リタ。現在、俺の副官は参謀、諜報、用兵、兵站、通信という担当別に五人いるんだ。各地の状況や地勢に詳しい情報担当の副官を新たに任命しようと思っているんだが……。リタ、興味あるか?」


リアムの言葉に私は絶句した。


「ふ……ふくかん?」


なに!? どういうこと? 副官?


パウロも呆気に取られている。


「ああ、副官だ。エライ立場だぞ。お前が軍を変えればいい。……ただ、いきなり副官にすると反発もあるだろう。申し訳ないが、もう一つ協力してもらえるか? 先日の侵略は食い止めたが、まだ敵国にゲリラ部隊が隠れているらしい。ゲリラが領内の町を襲う計画を立てていると諜報から報告があった。民間人を巻き込みたくない。そいつらがどこに隠れているかを予想して欲しいんだ。明日、作戦会議を行うので、そこに出席してもらえるか? 諜報から幾つか候補はあがってきている。その中で一番敵が潜んでいる可能性の高い場所を予想してもらえると有難い」


どういうつもりでリアムがそんなことを言っているのかは分からない。でも、ニンジンを鼻先にぶら下げられて逃げるつもりは毛頭ない。


作戦会議か……。


なるほど。試験のようなものだね。


私はきっと不敵な笑顔を浮かべていたと思う。


*****


翌日、作戦会議が行われる部屋に足を踏み入れた途端に周囲から強い敵意を感じた。


私にとっては上官の上官の上官といった、雲の上だった軍の上層部が一堂に会している。


私を見て睨みつける者。鼻でせせら笑う者。完全に無視する者。


歓迎されていないことは一目瞭然だったが、これくらいは覚悟していた。


パウロは部屋の隅で、心配そうに私を見守っている。


彼の誠実そうな緑色の瞳が自分は味方だと言ってくれている。


それだけで、私の心は強くなれる。


内心の緊張を腹の中にグッと飲み込んだ。


そこにリアムとケントが入ってきた。


全員が起立し敬礼をする。部屋の中の緊張感が高まった。


「さて、今日は敵のゲリラ勢力の潜伏地について話し合いたい。諜報から幾つか候補地が挙がっている。敵の先手を打つためにも正確な場所の特定が重要になる。今日はリタに来てもらった。彼女は先日の敵襲の場所を正確に言い当てた。今回も協力をお願いしたい」


リアムはそう言って、私に頭を下げた。


総司令官が一番下っ端の一兵卒に頭を下げたことで、部屋の空気が不穏にざわついた。


「分かったよ。予想してやるから情報をちょうだい」


敢えてぞんざいな口調で言うと、何名かの上官たちが立ち上がって拳を握りしめた。


……バカだな、私。


自分の悪い癖だと分かってる。こんな時くらい丁寧で上品な言い方をすれば、不必要な軋轢を避けられるのに……。自分の天邪鬼な性格が嫌になるが、私は自分を内心バカにするこいつらの前で弱みを見せたくなかった。


「お前! 仮にも軍に所属するのだったら、総司令官への敬意を払え! なんだその口のきき方は!? 女のくせに生意気だ! 大体作戦会議に出てくるなんて厚かましい! 分をわきまえろ!」


怒鳴りつけられても、私は怖くない。慣れてるし。


平然としている私に更に殺意が湧いたのだろう。視線で殺せるなら殺してやりたいというくらいの勢いで睨みつけられた。


「おい、俺は『女のくせに』っていう言葉が大嫌いなんだがな」


ケントが突然口を挟んだ。部屋の緊張感が急激に高まる。


そいつが慌てふためいて弁明した。


「……えっ、いや、その、王太子殿下に対して言ったわけではなく……」


ケントが苦笑する。


「当り前だ。俺は女じゃないからな」

「……いいよ。大丈夫。そんなこと言われ慣れてるからさ。この軍で女に対する扱いはこんなもんだよ。他にも女性兵士はいるけど、多かれ少なかれ毎日こんな風に恫喝されてるんだ」


私の言葉を聞いて、軍の上層部の男どもは気まずそうに居住まいを正した。


一部始終を見ていたリアムは顎に指を当てて呟いた。


「やはり、軍の上層部にも女性の視点は必要だな」

「いや! だからと言って、こんな生意気な女をわざわざ選ばなくても!」

「彼女のように率直に意見を言ってくれる女性は貴重な存在だな」


ケントの一言で大勢(たいせい)は決まったらしい。誰もが俯いて、私の存在に文句を言うものはいなくなった。


「それに、彼女には素晴らしい知識と情報がある。彼女の意見を聞いてみて欲しい。その上で判断してくれ」


リアムはそう言いながら、テーブルに資料を広げた。


私はゴクリと喉を鳴らした。


ゲリラに標的にされそうな場所は候補として三つあった。


私は地図を見ながら記憶の糸を辿る。


ゲリラは人目につかないように隠れる場所が必須だ。だから、出来るだけ木が密集した森に隠れて動きを悟られないようにするだろう。でも、こっちの領内に侵入しやすい場所を選ばないと意味がない。


一つの場所は確かに森の中だが、若い木が多かったような記憶がある。木の上部で葉が多く茂る樹冠もそれほど大きくなかった。さらに近くに高台があったはずだ。高台から見下ろすと動きや痕跡を見つけられる可能性がある。


これは……ないな。


そこを除外した後、私は残りの二つに集中した。


これら二つは条件的にゲリラが好んで隠れそうな要素が揃っている。


でも、こちらは違う。


一つを除外しようとする私に、ケントが声を掛けた。


「なんでそれは違うと思うんだ?」


「この森の中には湿地がある。しかも、一部は底なし沼になっていて危険だ。ゲリラは夜動くだろ? 底なし沼がある湿地帯を誰が真っ暗闇の中、移動したいと思う?」


「……底なし沼か。おい、お前知ってたか?」


尋ねられた諜報の担当官は焦った様子で答える。


「い、いえ。知りませんでした。ただ、周辺の住民によると、その森に入ると二度と出てこられないという噂で……」


「『その森に入ると出て来られない』……それは底なし沼だから、という可能性もあるよな?」


ケントの言葉に諜報担当はコクコクと頷いた。


大人顔負けの貫禄の王太子ケントは、あからさまに珍獣を見るような目で私を眺めている。


「分かった。リタ、その周辺の警備に重点を置く。念のため他の候補地にも警備は置くぞ。お前が間違っている可能性も捨てきれないからな」


指示を出すケントは、この部屋で一番若いにも関わらず、既に統率者としての威厳を備えていた。


「それは当然です。常に万が一のことを考えて作戦を立てて下さい。でないと苦しむのは民衆ですから」


私の台詞を聞いて、リアムがきょとんとした。


「お前は敬語が使えるんだな? ……そういえば昨日は俺たちに敬語で話してなかったか?」


ああ、私の言葉遣いの話か。


「当り前だろ。敬語くらい使えるよ。ただ、女で敬語を使うと舐められるんだ。敬語を使っただけで、すぐに下に見るような奴が多いんだよ。敬語が使えないわけじゃない。敢えて使わないんだ」


「なるほど。分かった。その話し方で構わない。何なら呼び捨てでもいいよ」


鷹揚に言うリアムはその辺の男より器がデカそうだ。


しかし、私の挙動を心配そうに見守っているパウロの顔色が良くない。私は多少反省した。


「いや、さすがにそれは……『リアム様』と呼ばせてもらうよ。言葉遣いは勘弁して。あたしの強がりみたいなもんだからさ」


すると、リアムもケントも何故か温かい眼差しで私に微笑んでくれた。なんか調子が狂う。


*****


結局、今回も私の予想が当たった。


深夜領内に侵入した敵のゲリラ部隊を、待ち構えていた辺境伯軍が全員取り押さえることが出来たのだ。


その後、私は本当に辺境伯軍でリアムの副官として取り立てられた。


もちろん、反発や嫌がらせは多くあった。「きっとリアム様と寝たからにちがいない」とか「女は体を使えていいな」なんていう陰口を叩かれることもあったが、それくらい想定内だ。


全く響かないぜ!


それよりも地勢に関する情報管理や、軍にいる女性が働きやすい環境を整えることを命じられて、忙しいながらもやりがいのある仕事に、毎日が楽しくなった。

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