第19話 それぞれの想い その2

*護衛騎士 テッド*


「おはよう。テッド。ミラに会いに来たんだが」


朝からリアム様に声を掛けられて、俺は慌てて扉の前から退いた。ミラ様の部屋まで直々にやってくるなんて初めてのことだ。何か緊急の用件があるんだろうか。体に緊張が走る。


俺は辺境伯城で麗しのミラ様の専属護衛をしている。みんなから羨ましがられる最高のポジションだ。


今朝もミラ様の部屋の前で警備をしているところに、突然前触れもなくリアム様が現れた。


ミラ様と血が繋がっているなんて到底信じられない極悪スチュワート公爵が去ってからまだ間もない。何か問題が発生したのだろうかと不安を覚える。


しかし、リアム様の顔には暗い影も緊張感も見当たらない。むしろ逆だ。


「ありがとう」


リアム様の笑顔はいつもよりも十割増しくらいに浮かれている……調子に乗っている気がする。


デレデレというか、顔にしまりがないというか……これまでの主君にはあり得ない表情に気がついて、俺は内心動揺した。


リアム様は咳払いをして、深呼吸を一つしてからドアをノックした。


「え、あー、ミラはいるかな? 良かったら朝食を一緒にどうかと思って……その、迎えにきたんだが……」


え!? わざわざご自分でミラ様を誘いに?


その後の二人の甘くて胸やけがしそうなやり取りを聞き、俺はようやく何が起こっているかを理解した。


そっか……。ついにリアム様のお気持ちがミラ様に通じたんだな。良かった。


俺は初めてミラ様が城にやって来た日を思い出した。


狩人を引き連れて颯爽と山に行き、護衛を振り切る勢いで馬を駆る姿に、まさに狩りの女神が光臨したのか、とすら思った。


その後、厨房でナイフを渡されてジャガイモ剥きを命じられたっけ。


ふっと頬が緩む。


あの日から城の雰囲気がガラッと変わった。戦には勝ったもののリアム様は傷を負い、歩けなくなってしまった。多くの難民もいるし、領地全体が戦のために疲弊していた。城全体を覆っていた沈痛な雰囲気を、ミラ様は笑顔一つで吹き飛ばしたんだ。


でも、お二人がご結婚されると、ミラ様に横恋慕していた騎士達は泣くだろうな。


手の届かない方と分かってはいても、やはり抑えられない思慕の念というものはある。しばらく同僚たちのやけ酒パーティが続くかもしれない。


俺もミラ様に憧れる気持ちが全くなかった、と言ったら嘘になる。魅力的な方だし、何より気さくで身分の壁を全然感じさせない。


ただ、護衛対象としての意識が強かったので、憧れ以上の存在にはならなかった。


お二人が手をつないで部屋から離れて行くのを微笑ましく思いながら、礼をして見送っていると、同じようにエマが二人の後ろ姿を見送っているのに気がついた。


ミラ様の専属侍女エマは、若手ながら侍女の鏡と言われるくらい完璧だ。いつも温和な笑顔を浮かべながら、万事においてそつがない。


でも、笑顔も完璧すぎてちょっと作り物みたいなんだよな。


美人なんだけどなぁ……


そんな風に思いながら頭をあげると、エマの顔がニタニタと崩れていた。


いつもの端整な笑顔ではない。緩み切ったニヤけた笑顔だ。


俺は見てはいけないものを見てしまったと、思わずハッと目を逸らした。


そのまま立ち去ろうとしたところ、後ろからガシっと肩を掴まれた。すごい力だ。


「……テッド?」


優しい声が余計に恐ろしい。


「今……何か見た?」


「イイエ。ナニモ……ナニモミテイマセン」


エマはデスマスクを張り付けたような笑顔で俺を見つめる。背後にゴゴゴゴゴゴという擬音語が見えるようだった。俺は背中に冷や汗が流れるのを感じた。


「もし、何か見たのだったら……」


「いいえ! 何も! 何も見ていません! 見ていたとしても誰にも言いません! 騎士として剣に誓います!」


慌てて叫ぶとエマがホッと息を吐いた。


「……ごめんなさい。ミラ様とリアム様のご婚約が決まって、つい嬉しくて……。誰も見ていないと思ってたから油断しちゃった」


軽く舌を出すエマの頬はピンク色に紅潮している。彼女の恥ずかしそうな笑顔に、俺の心臓は瞬時に打ち抜かれた。


いつものアルカイックスマイルではない年相応の女の子の笑顔を見せるエマを、俺は突然生身の女性として意識し始めた。


「どうしたの? 顔が赤いわよ」


そう聞かれても、俺はしばらく悶絶して何も言えなかった。


油断してたのは俺だったわ……と内心呟いた。



*料理長 エリオット*


厨房の朝は早い。


城で働く人間全員に朝食を提供しなくてはならないので、厨房は戦争状態になる。


シフト明けの騎士達や使用人も多い。


「徹夜明けの疲れが取れるようなちょっと甘いものをつけるようにしたらどう?」


そう提案したのはミラだ。


(あの子はもう~)


人への気遣いが半端ないミラは、しょっちゅう厨房に入り浸って、思いがけないメニューやアイデアを提案している。彼女が厨房に来るとパッと花が咲いたように華やかになるので、彼女が来るのを心待ちにしている者も多い。


彼女の立派なところは料理だけではなく、仕込み、片付け、洗い物もしっかりと参加するところだ。料理の過程で一番面倒な部分も嫌な顔一つせずにやってくれる。何なら業務終了後の掃除や消毒にも参加することがある。


リアム様は彼女を特別なお客様として扱っているし、あたしたちも彼女を未来の女主人と見做しているので、そんなことまでする必要ないと言うのだけれど彼女は聞かない。


「いいの! みんなと一緒にすると楽しいから。やらせて頂戴!」


そう言いながら屈託のない笑顔を見せるのだ。


当然、厨房で彼女の人気は絶大だ。単なる憧れを超えて密かに彼女を慕っている料理人もいる……と思う。


(あたしの見るところ、少なくとも三人はいるわね)


考えごとをしながらも、フライパンを振るい忙しく指示を出す。


「はい! 任せて下さい!」


若い料理人から元気な声が返ってきた。


(活気あふれる厨房になったのもミラのおかげね)


その日の朝食作りの業務が終わり、今度は自分たちが朝食を取る番だ。厨房のテーブルで雑談をしながら、一仕事終えたことへの達成感を覚えていた。


その時、軽いトントンという音がした。みんながそちらに顔を向ける。


オリバーが戸口に立っていた。が、いつもと違うのはその顔に満面の笑みを浮かべていることだ。


(なに? オリバー、恋でもした?)


思わずそう言いたくなるくらい幸せそうな表情を浮かべている。


「皆さん、お食事中、大変申し訳ありません。リアム様とミラ様のご婚約が正式に決まりました。急で申し訳ないのですが、今夜の夕食はそのお祝いも兼ねて少し豪華にして頂けないでしょうか?」


「な、なんですって~!?」


オリバーの発言にその場が騒然となった。


あたしはパンパンと大きく手を叩いた。


「みんな、静かにしなさい! オリバー、大丈夫よ。張り切ってご馳走を用意するわ!」


胸の中にじわじわと喜びが染みてきた。誰がどう見てもお似合いの二人なのに、なかなか婚約の話が進まなくて、焦れている使用人が多かった。あたしやオリバーもその一人だ。


「エリオット、ありがとう。助かるよ。昼食は簡単なものにしてもらっていいから」


オリバーと目を合わせて固い握手を交わすと、お互いの気持ちが分かり過ぎるくらいに伝わった。オリバーの目が潤む。


「それでは他の者達にも伝えないといけないから、私はこれで」


オリバーが去った後、テーブルを振り返ると約三分の二の野郎どもが顔面蒼白になっていた。


(あららら……あたしの予想よりもミラに横恋慕していた男は多かったわけね)


真剣に凹んでいる若い男の子もいる。


(仕方ないんだけど。身分差を感じさせない距離感の近さは長所なんだけど、こうやって本気で惚れちゃう男が出てきちゃうのよ。もう、罪な子ね!)


「あんたたち、食事が終わったら休憩して頂戴。昼食は軽めにするから長めの休憩を取っていいわ。でも、午後から気合入れて夕食作るわよ! ミラの幸せのためよ! いいわね!」


檄を飛ばすと、ちょっと気持ちが復活したようだ。みんなの顔に少し笑顔が戻った。


(そうよ! これはお祝い事なのよ。これからがあたしたちの腕の見せ所。今日は時間がなくて残念だけど、結婚式の時は見てなさいよ。あんたがアッと驚くようなご馳走を作ってやるからね!)


永遠のライバルであるミラのために。


(この勝負、負けられないわ)


胸に喜びという名の闘志がみなぎった。



*リアム*


ミラと手をつないで歩きながら、俺は地面がフワフワした綿菓子で出来ているんじゃないかと思った。


それくらい、地に足がついていない。


これは現実なんだろうか? さりげなく太ももをつねってみると、確かに痛い。


じゃあ、やっぱり、俺の隣にいるミラは本物のミラで、昨夜俺のことを『愛してる』って言ってくれたミラなんだ……よな?



俺は長期戦を覚悟していた。何年かかってもミラを口説き落としたいと思っていたから、突然の彼女からの告白に話がうますぎるというか、半信半疑な気持ちがあった。


夕べのミラは言葉で言い尽くせないくらい可愛かった。


「リアム様が騎士達に取り囲まれた時、もしリアム様に何かあったら……万が一死んでしまったらどうしようって……。とても怖くて、私はリアム様がいないと生きていけないって咄嗟に思ったんです」


「おやすみ」と言った後、別れ際にそんな可愛いことを言うミラを思い出して、ベッドの中で身悶えしてしまった。


朝、目覚めた時に真っ先に考えたのが『あれは夢じゃなかったのか?』ということで、それを確かめたくてわざわざミラの部屋まで迎えにいったんだ。


彼女の反応を見て、じわじわと夢じゃないという実感が湧いてくる。


顔を合わせる誰もが冷やかすような顔つきになるのが照れくさいが、みんな笑顔で城全体が祝福ムードに溢れる幸せな一日になった。


夕食も豪華なもので俺たちの婚約を祝ってくれているのが感じられた。ミラも料理長の気合が感じられる素晴らしいご馳走だと感動していた。


しかし、しかしだな……。


『祝! 初恋成就! リアム様おめでとう!』


という垂れ幕は……出来たら……止めてほしかった……。

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