第18話 それぞれの想い その1

*オリバーとハンナ*


家令のオリバーが、朝いつものように部屋に伺うと主君は既に身支度を整えていた。


「おはよう。オリバー」


それ自体は珍しいことではない。珍しいのは、主君が妙に浮かれているように見えることだ。


「リアム様。何か良いことでもおありでしたか?」


何気なく尋ねると、主君がビクッと肩を揺らし赤面した。


「あ、ああ、その……ミラと結婚することになったから。えっと、正式な婚約の手続きはテオに任せようと思うんだが……」


照れくさそうにボソボソと話す主君を見て、オリバーの胸は喜びに膨れ上がる。


ついに! ついに! 我が主君が最愛の女性と結婚することができるのか!


幼い頃から大人のような苦労をしてきた主君に、いつか幸せな結婚をしてもらいたいとずっと望んでいた。


我々のために多くの我慢をして生きてきたリアムが、初めて心の底から欲した女性と結婚できるなんて!


しかも、お相手は城で絶大な人気を誇る素晴らしいご令嬢だ!


「お、おめでとうございます! 早速みんなに知らせて参ります……」


目頭が熱くなるのを抑えられず、オリバーは急いで部屋を後にした。主君の前で号泣なんていう醜態を晒す訳にはいかない。


「オリバー、大丈夫? 何かあったの?」


廊下に出ると、侍女頭のハンナが心配そうに声を掛けてきた。


「あ、ああ、ハンナ。ついにリアム様とミラ様の婚約が決まったよ」


そう言った瞬間にハンナの目から滝のように涙が溢れ出し、彼女が抱きついてきた。思わずオリバーも彼女を抱きしめてしまった。


「よ、よかった……ミラ様……ようやく……」


泣きながらしがみついてくる彼女の気持ちは良く分かる。我々はずっとお二人の婚姻を念願していた。


最近のスチュワート公爵の騒動は頭が痛いものだったが、あれを切っ掛けに関係が深まったのであれば、まさに『災い転じて福となす』出来事だったのかもしれない。


「あっ、申し訳ありません。つい……」


ハンナが慌ててオリバーから離れた。


「いや、気持ちは良く分かるよ」


優しく微笑むとハンナが恥ずかしそうに赤面した。


オリバーとハンナは生涯独身で人生をウィンザー辺境伯領のために捧げてきた。前辺境伯が亡くなった後は幼い主君を盛り立てるため、二人で協力しながら必死で頑張ってきたと言っても過言ではない。いわば戦友というべきハンナの思いがけない可愛い一面が見えたような気がして、心臓がトクンと音を立てた。


「これから正式な御婚約、結婚式と忙しくなるぞ!」


勢いよく宣言するとハンナが嬉しそうに頷いた。


「楽しみで堪りません! 夢のようですわ!」


そう言いながらガッツポーズを作るハンナ。新しい女主人の仕草が既に使用人にも浸透しているようで、思わず声をあげて笑ってしまった。こんな風に笑える日が来るなんて思わなかった。


主君が選んだあの方のおかげだ。あの方はこの城に明るい笑顔と温かいぬくもりを運んできてくれた。


武者震いのような喜びが腹の奥から湧き上がってくる。


神よ。感謝します。素晴らしい女主人を与えて下さって、ありがとうございます。



*エマ*


今日は朝から上の空でいらっしゃるのよね。


ミラ様のしなやかな髪の毛を梳りながら考えた。


私の大切な主(あるじ)は、スチュワート公爵が滞在中は目の下のクマが消えず常に不安そうなご様子だった。あのケダモノが城から去ったので、気が抜けてしまわれたのかしら?


スチュワート公爵はミラ様と血がつながっているとは信じられないほど最低の人物で、滞在初日から部屋にお茶を届けた侍女に襲いかかった。幸い、オリバーが悲鳴に気がついて事なきを得たが、その噂は瞬く間に城中に広まった。


それを聞いたリアム様は、すぐに女性の使用人をスチュワート公爵に近づけないように手配した。


ミラ様にはとても言えない。繊細で優しいこの方はまた自分を責めて傷ついてしまうことだろう。


だから、公爵が城から出ていってくれて心から安堵したし、ミラ様もようやくいつものような溌剌とした姿を見せてくださるのではないかと期待していたが……少し様子が違うのだ。


普段は生き生きとした笑顔で常にクルクルと動き回っている働き者のミラ様が、今朝はお茶を飲みながら溜息をついたり、突然真っ赤になって「いや……そんな……」などと独り言を言っている。


「……ミラ様、何かございましたか?」


恐る恐る尋ねてみると、ミラ様の顔がボッと真っ赤になった。


「……え、えと、あの、その、あのね……実は昨夜リアム様に告白しまして……えーと、正式に婚約したというか、結婚の約束をしたというか……」


その言葉を聞いて、私は持っていた櫛を取り落としてしまった。侍女として有り得べからざる失態に慌てて「大変申し訳ありません」と屈んで櫛を拾う。


「大丈夫よ。気にしないで」


優しい主人は笑顔で言ってくれるが、私は屈んだ隙に思わず滲んだ涙を拭った。仕える主人の前で泣いてしまってはいけない。


出来るだけ平静を装って立ち上がると、笑顔でお辞儀をする。


「ミラ様、おめでとうございます! ついにご婚約ですね! 心よりお祝い申し上げます!」


言葉では表しきれない喜びが全身を覆う。お二人の結婚は私たち使用人全員の悲願であったと言ってもいいくらいだ。


「うん。ありがとう! あの元自称父親のせいでみんなに迷惑を掛けてしまって……みんな、怒ってないかな? 私とリアム様の結婚を喜んでくれるかな?」


不安そうに尋ねるミラ様は幼い少女のようにいじらしい。


「ミラ様。誰も怒っている人はおりません。お二人のご結婚はこの城の人間全員が望んでいました。私もとても……とても嬉しいです。言葉にならないくらい嬉しいです……っ」


思わず涙声になってしまいそうだった。それを見てミラ様が私に抱きついた。


「……ありがとう。エマが居てくれて本当に良かった。ずっと私を支えてくれてありがとう」


愛らしい声が耳元で聞こえて、思わず一筋の涙が頬を伝って落ちてしまった。侍女失格だけど……喜びで我慢ができなかった。


ミラ様はハンカチで私の涙をそっと拭いてくれる。


「エマ、本当にありがとう。これからもずっと一緒に居てくれる?」


「もちろんです! 何があっても、どこまでもお供いたします!」


力を込めて宣言すると、ミラ様は晴れやかな笑顔を見せてくれた。


ああ、私が大好きなお日様のような笑顔だ。


その時、ノックの音が聞こえた。


ドアを開けるとリアム様が立っていた。真面目な顔で咳払いなさっているが、視線がうろうろと彷徨っている。


「え、あー、ミラはいるかな? 良かったら朝食を一緒にどうかと思って……その、迎えにきたんだが……」


わざわざ領主が直々に誘いに来るなんて……。リアム様はよっぽど嬉しかったんだろうな、と思うと、どうやっても顔がニマつくのを我慢できない。


ミラ様は完熟トマトのように真っ赤になり、直立不動で立ち上がった。


「は、はい。もちろんです。今すぐに参ります!」


そして謎の敬礼をする。


それを見た瞬間、私の妄想スイッチが入り、脳内で一人実況中継が始まった。


***


おぉっと、ここでミラがリアムに走り寄った!


しかし、二人とも照れてしまってお互いの顔を見ることができない!


なんという初々しさだ! まるで十代の恋人同士のようだ!


まずはリアムの先制攻撃!


「ミラ、今日も綺麗だ。夕べはよく眠れた?」


「は、はい。おかげさまで。リアム様は?」


「ああ、俺も良く眠れたよ。でも、目が覚めた時に……君が居たらいいのにって思った。目が覚めた時に一番に見たいのが君の顔だから」


甘い! 甘すぎる攻撃に砂糖を吐きそう! イケメンの直球にミラはダウン寸前だ!


「……あ、あの、リアム様。私はあまり恋愛経験がなくて、その……物足りなく感じられることもあるかもしれません。でも、精一杯リアム様のために尽くします。だから、色々と教えて下さいね」


ここでミラの逆襲! しかも、リアムの袖をちょんと摘まみ、上目遣いの攻撃だ。


リアムの顔は真っ赤だぁ! そして、両手で顔を隠しながらの一言!


「……参ったな。可愛すぎる」


これは、ダウン! ダウンだぁ~~~!


***


脳内は忙しいが、表面上は平然とミラ様とリアム様をお送りした私は、二人の甘酸っぱいやり取りに胸のときめきが止まらなかった。


二人は朝食のためにダイニングに向かったが、さりげなく手をつないでいる。


あぁ、なんて可愛いカップルなの! 私は内心身悶えした。


常に冷静で感情を露わにしなかったリアム様だが、ミラ様が来て以来、頻繁に素の表情を見せるようになった。


お似合いの二人だ。私はこの二人のために生涯を捧げよう。


そして、二人の甘酸っぱいやり取りを至近距離で観察させてもらうのだ!


私は緩んでしまいそうになる顔を慌てて引き締めた。

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