第2話 好きな人から他の男との結婚を勧められました

私は自分では経験することが出来なかった恋愛ロマンスを、書籍やゲームで妄想することを唯一の楽しみにしていた。ラノベや乙女ゲームで自分の願望を満たそうとしていたといっても過言ではない。


そしてお約束のように、私は死後乙女ゲームの世界に転生した。


ええ、もちろん悪役令嬢として。


私が転生した『シンフォニア』という乙女ゲームは魔法と音楽を融合させた世界観で、ヒロインであるミシェルはバイオリン演奏で攻略キャラの心を掴み、愛を育んでいく。


悪役令嬢である公爵令嬢ミラ・スチュワートは、魔法や勉学の才能はあるものの音楽に関しては絶望的で、ゲームの中でヒロインのミシェルに嫉妬して彼女のバイオリンを破壊するなど、なかなか悪質な嫌がらせを繰り広げていた。


悪役令嬢ミラは菫色の瞳にアッシュブロンド。所謂美少女と呼んでもいいが、色気のなさ、艶気のなさは前世から引き継いでいるような気がする。


これは『私』という体育会系の要素が入ってしまったからなのだろうか?


ラノベでは前世の記憶を持って転生した悪役令嬢は、人間関係を改善したり、逃げ出したり、色々やって自分に降りかかる婚約破棄・断罪・処刑・災難を乗り越えようとする。うん。


私はそれらを一切諦めた。


流れに乗り、そのまま王太子の婚約者となった。


王太子のケントはいい奴だった。


私は前世のノリそのままに彼の親友となったのだ。


今世でも料理が得意だった私は、彼に手料理を振舞ったりもした。


男の胃袋を掴め!なんていう言葉は女の子らしい女の子にだけ当てはまるもので、私は一度でも胃袋で男を捕まえられたことはなかった。


ただ、幼馴染としても親友としてもケントは信頼できるいい奴だった。


たまにケントが何かを躊躇いながら言おうとしていたことがあった。


「なぁ、お前、俺が魔法学院に入ったら、運命の出会いがあるから、そしたら喜んで婚約破棄するって言ってただろ?それは本心か?」


「うん。その通りよ。私は大丈夫だから遠慮なく言ってね」


本当の本当は密かに心の奥底でケントに対する恋心は育ってしまっていたけれど、それは絶対に表に出してはいけない。


「……そっか。俺はさ、別にお前とこのまま結婚してもいいかな、って思ってんだけどな。お前といると気が楽だし。何でも話せるし」


「え、いいよ。無理しないで。ケントはもっとお似合いの素敵なお嬢さんと出会うからさ」


「そうか?まぁ、お前にその気がないんだったら仕方ないな。でも、俺にとってお前は一番大切な親友だ。お前が困るような事態にはさせないから安心しろ」


なんて会話もあった。


私の母親は幼い頃に亡くなり、父親は公爵だったが守銭奴というか権勢欲が強く、私とは生まれた時からそりが合わなかった。私が王太子の婚約者になったからそれなりの扱いをしてくれるけど、利用価値が無くなったらあっという間に捨てられるであろうことは容易に想像できる。


そして魔法学院に入学し、ケントにはヒロインであるミシェルとの出会いがあった。


ケントは卒業と同時にミシェルと結婚することを発表したものの、約束通り私を捨てるようなことはしなかった。


ケントは色々と裏で根回しをしていたようだ。結構政治センスはあるのよね。


卒業後すぐにケントは国王に即位し、ヒロインが正妃になり、私が側妃ということで話は落ち着いた。そして、私の生活全般を面倒見てもらえることになった。


父親は正妃になれなかった私を鬼のように責め立てたから、私は実家にも帰れない状況だった。そんな中、ケントは私に王宮で居心地の良い一室を与えてくれて、何不自由のない生活を約束してくれたのだ。


ケントとヒロインの結婚式は華やかに行われた。


まったく胸が痛まないといったら嘘になるが、それでもケントの幸せそうな笑顔を見て、本当に良かったと胸を撫でおろしていたんだ。


結婚後、私は側妃として控えていたが、ケントが私に指一本触れることはなかった。


それがミシェルとの約束だったということも聞いていたし、そんな約束がなくてもきっとケントは私に触れようとはしなかったと思う。ケントはある程度の年齢に達した頃から、私の手にすら触れようとしなくなった。それが何を意味するのかくらい、私にも分かる。


しかし、側妃としての私の立場を慮ってくれたのか、ケントは頻繁に私の部屋を訪れた。


大抵は酒を持ってきて、仕事の愚痴だとか人間関係のぼやきを私にぶちまけることが目的だった。


王宮の厨房はフリーパスだった私は、リクエストを受けてケントのためにおつまみを作ることも多かった。そのまま二人で朝まで飲み明かすこともあったし、そのせいでミシェル王妃に叱られたなんて後でしゅんとしながらやってくることもあった。


そんなこんなで二年ほど経過した。


その頃、国王のケントは外交的に難しい判断を迫られていた。


隣国が国境近くに軍を配備しているという噂がある。軍事演習も頻繁に行われているという。


内政干渉だと言われてしまうので口出しは出来ない。こちらから手出しすれば相手が攻撃する絶好の口実を与えてしまう。


攻撃された時に備えてこちらも軍を配備したらどうかとケントは提案したらしいが、軍事参謀にそれは悪手だと退けられた。相手が危機感を募らせ、本当に戦争が始まってしまうかもしれない。外交手段で解決するのがベストだと進言されたそうだ。


国の防衛をどうするか、非常に微妙な判断だ。いきなり隣国が攻めてきたら、国境沿いの町の人々は殺されてしまうだろう。


そして、ある日最悪の事態が起こった。突然隣国が大きな軍勢を率いて我が国に攻め込んできたのだ。ついに戦の端緒が切られ、国境沿いの辺境伯領で大きな戦闘が始まってしまった。


ケントは慌てて国軍を率いて防衛のために辺境伯領に向かったが、国軍が到着する頃には既に敵国は追い払われ、戦の勝負がついていた。


国からの援軍が遅れたのにも関わらず、被害は領内のみでそれ以上は広がらなかったという。辺境伯軍があっという間に敵の攻撃を鎮圧したおかげだと聞いて、胸を撫でおろした。


「随分優秀な方なのね。辺境伯って」


「ああ、俺は何度も辺境伯領を視察しているが、リアムはとにかく強いし統率力も抜群だ。文武両道な上に大変な美形でさ。腹が立つくらいスゲー完璧な奴だったよ」


確か辺境伯はリアム・ウィンザーという名前だったと記憶している。ケントはどこか後ろめたそうに話を続けた。


「今回の戦争の最大の功労者はリアムだ。だが、戦闘で顔に大きな傷を負ってしまってな……。それに足を負傷して歩けなくなってしまった。もっと早くに援軍が到着していれば……。国のために大きな犠牲を払わせてしまった。それにあいつの希望をもっと早くに叶えてやれば良かったと悔やまれる」


何故か言い辛そうなケント。歯切れの悪い彼は珍しい。


「彼の希望って?」


「リアムはさ、お前と結婚したいと言っていたんだ。側妃にして惨めな思いをさせるんだったら自分と結婚させて欲しいと。お前は興味あるか? リアムは戦争で一番の功労者だ。戦で功をあげた将軍に、褒章として後宮の妃を下賜する習慣は昔からあるからな。個人的には好きじゃない風習だけどさ」


「え!? そうなの? なんで私なんか……? 何か力仕事が出来る奥方が欲しいのかしら?」


ケントはぶほっと噴き出した。


「お前はさ……そういうところがいいんだけど。もっと自信持てよ。お前はいい女だよ」


私の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら少年のような笑顔を見せる。


そういうところだよ! もう……期待だけ持たせて。そして、結局他の男と結婚しろっていうんだもんね。


はぁあ……。悲しい。


「辺境伯ってどんな方?」


「ああ、リアムは両親を早くに亡くした。兄弟や近い親戚もいない。仕える者達が優秀だったおかげでもあるが、十歳の時からずっと一人で辺境伯領を立派に守って来た。国境に近い辺境伯領は国防の面でも領地経営が難しいし、気候も厳しい山の中だ。そんな中で、立派に自分を律して様々な新しい政策に取り組んできた。英明な領主だと言っていいだろうな」


それを聞いて私は辺境伯に興味を持った。ケントがこれだけ手放しで人を褒めるのは珍しい。子供の頃から、ケントの人を見る目が正しいことは分かっている。


「それに……ミシェルは元々嫉妬深かったんだが、最近酷くなってきてな。私よりミラの方が好きなんだろうと詰められたりして……。俺がお前に会いに来るのもいい顔をしないんだ。指一本触れていないと説明しているんだが……」


溜息をつきながら話すケントの様子を見て、私は二人の邪魔になってしまっているのかもしれないと罪悪感を覚えた。


私はこの王宮で厄介者になってきたんだと自覚した。悲しいけど、いつかそんな日が来るかもしれないとは思っていた。


それでも、ただ王宮から放り出すのではないところにケントの優しさを感じた。私なんかを嫁に貰う辺境伯にとっては気の毒だけど。


「ケントは私に辺境伯と結婚して欲しい?」


ケントは一瞬固まり真剣な表情になった。心なしか顔が強張っている。


「……お前を引き留める権利が俺にはないことは分かってる。もし、お前がまともな結婚をしたいと言うなら、辺境伯は良い男だ。勧められると思うよ」


「辺境伯は負傷して、領地経営でもお手伝いが必要なのでしょうか? 私は浅学の身ですが、一応お妃教育として、様々な勉強をしてまいりました。私の知識が役に立つと思いますか?」


私は敢えて貴族令嬢らしい口調で訊ねた。


ケントは目を瞬かせた。


「ああ、お前なら立派な辺境伯夫人になると思う。やってくれるか?」


少し寂しそうな顔をして彼は尋ねた。


色恋沙汰ではなく領地経営で人手が必要だというのであれば分かりやすい。


私はどうせ女として求められている訳ではないだろうが、厳しい環境の領地で私の知識や体力が活かせるのであれば、とてもやりがいがあることだろう。


ケントを残して去るのはちょっと心配だけどミシェルがいることだし、私がお節介を焼くことではない。


ケントは辺境伯の意向を聞いてみると言って帰って行った。



*****


次にケントがやって来た時、彼は複雑そうな顔をしていた。


何でも辺境伯は、顔に大きな傷を負い歩けなくなった役立たずの自分にミラ嬢はもったいないと言い出したらしい。


以前なら喜んでお迎えしただろうが、という話を聞いて、私は胸が痛くなった。


逆だよ! 国を守るための名誉の負傷は誇るべきもので恥じるべきものではない。


私は何故か猛烈に腹が立ってしまった。


しかも、私にはもう行き場所がない。ケントは遠慮せずずっと居ていいと言ってくれたけど、心情的に王宮にいるのは肩身が狭いし、実家にも帰れない。


「いっそのこと修道院にでも入ろうかな」

「いやそれは……いくらなんでも外聞が悪すぎるから止めてくれ」


ケントの顔が青ざめた。そして、困惑したように話を続ける。


「ただなぁ……。俺たちが何度もお前の話をしていたせいか、辺境伯領の家令や使用人はお前との婚姻に乗り気らしいんだよ」


書簡でやり取りしているらしいが、辺境伯直筆の書簡と一緒に家令たちからの書簡も入っており、そこには是非辺境伯領にミラ嬢をお迎えしたい旨が書かれていたそうだ。


辺境伯は三十歳になるが未婚らしく、兄弟もいない辺境伯に何かあったら困るという切実な願いらしい。


私は決意した。辺境伯に嫁ごう。彼が私を気に入らなかったら、他に側室を貰ってもらえばいい。追い出されたとしても、辺境伯領のようなあまり人目につかないところならきっと仕事があるんじゃないかと思う。例えば、農業とか料理人とか。そういう仕事に興味があったけど、公爵令嬢という肩書が邪魔をして働くことが出来なかった。辺境伯領なら知り合いもいないし、自由に働けるんじゃないかと思う。前世のように体力には自信がある。


「ケント、私、辺境伯領に行くわ」


そういうとケントは寂しそうに笑った。


「そうか……もし、嫌になったらいつでも帰ってこいよ」


ケントは勿体ないほどの支度をして送り出してくれた。何度も断ったのに、金貨や宝石など惜しみなく無理矢理持たされた。なんか、娘を嫁に出すお母さんみたいだった。


「本当に遠慮なく、嫌だったら帰って来いよ。俺はいつでも待ってるからさ」


ケントはそう言って、最後に力一杯私を抱きしめた。


ずっとずっとして欲しかったことが最後になって叶うなんて皮肉だな、と涙が出そうになったけど、そこはぐっとこらえて笑顔で手を振ると馬車に乗り込んだ。

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