第23話 好きな人とすれ違ってしまいました

*ミラ視点に戻ります


レセプション会場から滞在している部屋まで一人で戻ると、エマが驚いた顔で扉を開けてくれた。


私はどうやって歩いてきたのかも覚えていないくらい動揺が激しかった。心臓がバクバクして、呼吸が異常に速くなっている。過呼吸になるかもしれないと不安になった。


「あの、ごめんね。体調が悪くて……ちょっと部屋で休みたいの。えっと、リアム様に私は部屋で休んでいると伝言をお願いできるかしら?」


エマに言うと彼女は心配そうに頷いた。


「まずミラ様の体調の方が優先です」


そう言いながら楽な服装への着替えを手伝ってくれる。甲斐甲斐しく世話をしてくれるエマはとても頼もしい。


エマは私がベッドで休んだのを確認した後、誰かにリアムへの伝言を頼んだようだった。


私はどっと疲れが出たが、さっきのパトリシアの言葉が何度も何度も繰り返し思い出されて、気持ちが休まることはなかった。


ベッドで毛布の下に潜り込んで、もしリアムが彼女とよりを戻したいと言った場合に私はどうすべきかを考え続けた。


ダメだ……どうシミュレーションしても、諦めきれない。


パトリシアとリアムが二人で並んでいるところを想像するだけで息苦しくなり、胸に真っ黒いタールのような感情がどろりと広がる。


パトリシアの自信に満ちた顔を思い出した。



私は彼女が嫌いだ。



そう思った自分にびっくりした。これまでよく知らない人に対してこんな嫌悪感を持ったことはない。


私はただ……


リアムに近づかないで欲しい。


……だって、私にはリアムしかいない。


私から彼をとらないで!


切実にそう願った時、私はこのどろりとした感情が嫉妬だということに気がついた。


自分はやきもちを焼かない性質(たち)だなんて言ってたくせに……。


私はこの激しい嫉妬の感情をどう扱ってよいか分からなかった。


リアムに振られてしまったら、私はどうしたらいい?


心のすべてを明け渡してしまった私にはもう逃げ場がなかった。


絶望感に打ちひしがれて独りで悶々としていると、バタンと扉が開く音がした。


エマかしら?


ベッドで身を起こすと、ゼエゼエと息を切らしたリアムが立っていた。


「リアム様……? どうされました? 大丈夫ですか?」


驚いて尋ねる。


「それはこっちの台詞だ! 体調が悪いと聞いて……。独りにしてすまなかった。大丈夫か?」


必死の表情を浮かべるリアム。


「だ、大丈夫です。ちょっと色々と頭が混乱してしまって……。休めば大丈夫です」

「そうか……それは良かった」


リアムはベッドに腰かけた。そのまま私の頭を撫でようとするリアムの腕から微かに香水の匂いがした。


それがパトリシアのつけていた香水と同じだと気づいた時、全身から血の気が引いた。


頭に触れるリアムの手を思わず振り払ってしまった。


「あ……」


自分のしたことが信じられなくて、顔が青褪めるのが自分でも分かった。


リアムも顔面蒼白で言葉を失っている。


「……す、すまない。レセプション会場で何かあったかい?」


私から距離を取るように立ち上がったリアムから質問されて、私は答えに迷ってしまった。


パトリシアに会ったことを言ってもいいのだろうか?


リアムからパトリシアの香水が匂うのは何故なのか聞いてもいいのだろうか?


パトリシアはリアムと結婚してもいい、と言っていましたよ。


そう言った時に、万が一リアムの顔に一瞬でも喜びの表情が浮かんでしまったら?


パトリシアへの未練や愛情が見えてしまったら?


私は耐えられるか?


……ムリ


耐えられないと判断した私は、結局当たり障りのないことを口にするしかなかった。


「素敵な式典でしたね。私も久しぶりにケントと話ができて嬉しかったです」


何故かリアムの顔色が土気色に変わり、体がぐらりとよろめいた。


「……そう……か。それは良かった……な」


リアムの様子がおかしいので、私も立ち上がって彼に近づいた。


「リアム様、大丈夫ですか? お顔の色が優れない……」


彼に触れようとしたら、ふぃっと体ごと避けられてしまった。


さけられた?


……気のせいだと必死で自分に言い聞かせている間に、リアムの口から衝撃的な言葉が発せられた。


「ミラ。俺が公爵になったおかげで、追加の予算が国からおりるそうだ。だから、君から借りていた復興事業の資金……君の宝石や金貨はそっくりそのままお返しするよ。今まで本当にありがとう」


それを聞いて、私は自分の手足が震えだすのを止めることが出来なかった。


いやだ……瞳の表面に涙の膜が生じた。


もう私は領地に必要ないってこと?


お金は返すから出て行けってこと?


それはやっぱりパトリシアと結婚するためなの?


「ミラ。俺は、君に甘えすぎていたと思う。今後は……」


今後は……何?


もう私は要らないの?


ひどい! 私をこんなに好きにさせておいて、結局私を捨てるんだ!


これ以上聞きたくない!


私は靴も履かずに部屋から飛び出した。


*****


「ミラ! 待ってくれ! ミラ!」


廊下に走り出た私の背後からリアムの必死な声が聞こえたが、私は立ち止まらなかった。


自慢じゃないが、脚力には自信がある。私はあっという間に走り去った。


人前に出ても大丈夫な部屋着を着ていて良かったと思いながら、これからどうしようと独り言ちた。


気づくと頬が濡れている。ああ、久しぶりに泣いたな。袖でゴシゴシと涙を拭いた。


胸が破れそうってこんな感覚なのかもしれない。


裸足でとぼとぼと歩きながら途方にくれていたが、ふと『そうだ! 厨房に行こう!』と思いついた。


王宮に居た頃は毎日のように顔を出していた。料理長はまだ変わっていないはずだし、知っている料理人もいるだろう。


そう思ったらちょっと元気が出た。


久しぶりに厨房の戸口からひょこっと顔を覗かせると、料理長がすぐに私に気がついた。


「ミラ様!? ここで何をなさっておいでですか?」


「いや~、久しぶりだから、みんなどうしてるかなって? ちょっと挨拶がてら?」


「……裸足でですか?」


料理長はいつも鋭い。


昔から私が厨房に顔を出すのは、嫌なことがあった時が多かった。そんな時、料理長は何も聞かないで黙って料理をさせてくれたり、お茶を出してくれたりしていた。


今回も料理長は黙って私に予備のサンダルを手渡すと、厨房の隅にある小さなテーブルに案内してくれた。


今日は大きなレセプションがあって厨房は大忙しだったと思うが、それが終わって今は片付けのスタッフが数人残っているだけだ。


「お忙しい日にすみません……」


頭を下げると料理長は笑顔で首を振る。


「いえいえ。私もお会いできて嬉しいですよ。レセプションが無事に終わって、ちょうど片付けをしているところだったので、気にしないで下さい」


そう言いながら熱いお茶を淹れてくれた。


料理長の淹れてくれるお茶はいつも美味しい。こうして黙って二人でお茶を飲む静謐な時間が好きだった。もし、まともな父親がいたら、きっとこんな感じだったろう。そんな風に想像を膨らませていた。


しばらく二人でお茶を味わった後、料理長が口を開いた。


「今日のレセプションで働いていた給仕はミラ様を拝見して、益々お綺麗になったと大騒ぎしていたんですよ。ウィンザー公爵も大変魅力的な方だとか。お幸せそうで良かったと厨房のみんなは喜んでいたんですが……」


そっか。そんな風に思ってくれてたんだ。まさかその直後に婚約破棄の危機に陥るなんて……。


私はボソボソとリアムの元婚約者のパトリシアに会ったことと、彼女に言われたことを料理長に伝えた。


料理長はポカンとした顔をして、きまり悪くなるくらいに私をまじまじと見つめている。


「ミラ様……正気ですか?」


「は?」


「私はパトリシア様もミラ様も存じておりますが、ウィンザー公爵閣下がパトリシア様を選ぶことはないと断言できますよ」


「はぁ……?」


「私の世界は厨房の中だけなので、非常に狭いです。しかし、料理人の世界はつながりが強く、色々な噂が耳に入ります。もちろん、口外はしません。しかし、そのような事情でしたら言わずにはいられません。パトリシア様は料理人に作らせた食事を自分の手料理と称して、歴代の恋人に渡していたんですよ! ウィンザー公爵も恐らく受け取っておられたでしょう!」


「へぇ……?」


「そんな許しがたい偽りに騙されるような方でしたら、そもそもミラ様のお相手には相応しくありません! しかし、彼女の欺瞞に気がつき別れを決断したのでしょう。それを! 今更ですよ! ミラ様という最高の女性を知った後で! 今更! 嘘つきの元婚約者とヨリを戻したいなんてあり得るはずがないでしょう!」


最後は吠えるように叫んだ料理長を見ながら『そうだった……この人はこういう人だった』と思い出す。


王宮の厨房に入り浸り過ぎて、料理長を始めここのスタッフは私の親衛隊のような気分になってしまったらしい。


普段温厚な料理長が、私のことになると感情を露わにしてくれるのが嬉しかった。料理長のおかげで、荒れていた気持ちが徐々に穏やかになっていく。


我に返って気恥ずかしくなったのか、料理長がコホンと咳払いをした。


「私だけでなく、国王陛下も恐らく同意して下さると思いますよ」


私の背後を見ながら言う。


「そうだな。俺も料理長に賛成だ」


慌てて振り返った私にニッと笑いかけたのは、サラサラの金髪をかき上げるケントだった。

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