第15話 最低最悪の父親がやってきました
私は辺境伯領での生活を心から満喫していた。
リアムの仕事の手伝いや復興事業はとてもやりがいがあったし、山に狩りに行き、山菜を摘み、料理する。そんなライフスタイルは前世から私が理想とするものだった。
ところが一通の手紙が辺境伯領に届いた時から心の安寧は奪われてしまった。
それは生物学上の父親であるスチュワート公爵からの手紙だった。
私は何年も前に公爵家から縁を切られたと思っていたので、手紙の中で私を『娘』と表現している自称父親に驚いた。
どうやら自称父親は辺境伯城までわざわざやって来るらしい。二日後に辺境伯城に到着するから準備をしておけという、こちらの都合をまるで考えない勝手極まりない通達だ。別に来なくていいのに。絶対にろくでもない用件に決まっている。ますます憂鬱になり、気が滅入った。
リアムは私の心の変化に敏感なので、とても心配してくれている。身内の恥を晒すのは気が引けるが、あの自称父親がここに来た時に迷惑を掛けることは必定なので、今の内に事情を明かしておいた方が良いだろう。
スチュワート公爵という人は、傲岸不遜で権勢欲が強く娘を政争の道具としか思っていない。倫理観が低く、強欲で頭も性格も女癖も悪いという要注意人物だ。
私が正妃になれなかった時に親子の縁を切られ、それっきり何の連絡もなかったのに、何故突然遠路はるばる辺境伯領までやって来るのか? まともな理由は考えられず、リアムたちに迷惑を掛けてしまう可能性が高いと説明した。
リアムは私の説明を聞いてもそれほど驚いた様子を見せなかった。もしかしたら、ケントから話を聞いていたのかもしれないし、スチュワート公爵の悪評を知っていたからかもしれない。
彼はまったく動じることなく言った。
「スチュワート公爵が何を言ってきても、俺は君を守るから安心して」
優しい笑顔で言ってくれる。自称父親とは雲泥の差だ。
私の大切な人たちが傷つけられてしまったらどうしよう?
絶望感に襲われて私は頭を抱えた。
*****
そして、無駄に派手派手しい馬車が辺境伯城に到着し、自称父親は予想通り様々な揉め事を引き起こしたのであった。
「なんだこのボロい城は!? こんなみすぼらしい城にスチュワート公爵家の娘が嫁ぐだと?!」
礼を尽くして出迎えたリアムに対する第一声がこれだった。
私は早くも眩暈がした。この人は全然変わらない。
「お父さま。お久しぶりでございます。そのような文句を言うのでしたら、ご老体に鞭打ってわざわざ来る必要ありませんでしたのに。私は実家に比べて大変居心地の良いこの城が大好きですわ」
私の嫌味を自称父親は鼻で嗤う。
「はっ。確かにお前のような親不孝者には相応しい城だな。相変わらず可愛げのない口の聞き方だ。そんなんだから王太子殿下にも捨てられて、こんな辺境の地に追いやられるんだ。儂が迎えにきてやったのを有難く思え」
「……今何と仰いました? 迎えにきた?」
自分の額に怒りの青筋が浮かぶのを感じた。
リアムが慌てて仲裁に入る。
「公爵閣下。閣下を当地にお迎えすることが出来、心より光栄に存じます。辺境の地で十分なおもてなしが出来ないかもしれませんが、長旅でお疲れでしょう。お部屋を用意しましたので、良かったらまずは休んで旅の疲れを取って下さい」
大人なリアムは丁重に挨拶した。
自称父親はリアムの対応に満足気な顔で、家令のオリバーに案内されていった。リアムはスチュワート公爵の護衛騎士達にも労いの言葉を掛けて、部屋に案内するよう侍従に指示を出している。
リアムの紳士的な態度と対照的な自称父親の非礼に、私はやりきれない気持ちになった。イライラして腹の虫がおさまらない。大好きな辺境伯城をバカにされて、リアムたちに気を使わせて。あの男はわざわざ何しにここまで来たんだ!?
「リアム様。大変申し訳ありません。本当に礼儀知らずで……」
私が頭を下げると、リアムは鷹揚に答えた。
「大丈夫。ミラの父君だからね。精一杯歓迎させて頂くよ」
しかし、私は心配でならない。
「いえいえいえ、歓迎なんてしなくていいんです。なんなら追い出したって構わないというか、出て行って欲しいと心から願っていますので……」
必死に言い募ると、リアムは困ったように微笑んだ。
あ、困らせちゃったかな……と不安になる。
「ミラ。俺たちのことは何も心配しなくていい。君の気持ちが一番大切なんだ。スチュワート公爵がいい気分になって、何も問題を起こさずに帰ってくれたらそれが一番良い解決法で、君の心にも負担が少ないだろう? 大丈夫だから俺に任せて……」
そういって私の頭をポンポンと優しく撫でるリアムの顔はとても甘い。彼は甘やかすのがとても上手だ。でも、私は甘やかされることに罪悪感を覚えてしまう。それにあの自称父親が揉め事を起こさずに退去するなんてあり得るのだろうか?
リアムはスチュワート公爵を賓客とする晩餐会まで準備してくれた。突然の訪問だったのに本当に申し訳ない。
私は不安を覚えながら晩餐会への支度をしたが、心なしかエマも口数が少なくなっている。自称父親が、人を人とも思わないような態度で使用人たちに接していることは簡単に想像できた。
その晩餐会でも自称父親は自慢話か辺境伯領をバカにする発言しかしなかった。
「せっかくの男前も傷のせいで台無しですな! こんな醜男に嫁ぐのに同意するのはうちの娘くらいでしょう。はっはっ」
醜悪に嗤う自称父親は、周囲の雰囲気が氷のように冷たくなってきていることに全く気がついていない。
リアムは温和な表情を崩さずに返答した。
「そうですね。ミラは素晴らしい女性なので、こんな私と結婚してもらえたら大変有難いと思っています」
「まぁ、そうでしょうなぁ! 後継ぎの問題もあるから、必死で嫁探しをしないと。まぁ、条件によってはうちの娘を差し上げますよ!」
こんな男と血がつながっている自分を呪いたくなる。穏やかな笑みを浮かべて話を聞いているリアムに土下座して謝罪したくなる衝動をグッと抑えた。
それでも私と料理長が一生懸命考えた晩餐会のメニューは好評で、招待されていた地元の名士やご夫人方からも沢山賞賛の声を頂いた。ワインもケントが以前送ってくれた王家直営のワイナリーのもので、さすがの自称父親も文句のつけようがなかったらしい。
顰蹙を買ったものの、何とか大きな騒ぎを起こさずに晩餐会を終えることが出来て、私は胸を撫で下ろした。
*****
その後も自称父親はズルズルと辺境伯城に滞在を続けた。賓客として大切にもてなされて調子に乗っているんだと思う。
エマに自称父親の様子を聞いてみると、あまり答えたくなさそうだ。その態度に答えが表れている。
「エマ……ごめんね。他のみんなにもどうか謝っておいて……」
そう伝えると、エマは驚いたように私の手を握りしめた。
「ミラ様! どうか謝らないで下さい。ミラ様が悪い訳じゃありません! みんなもそれは良く分かっておりますから……」
「本当にごめんなさい。昔からそうなの。あの人のせいで友達も離れていったわ。私にとって辺境伯城のみんなは家族のように大切だから、迷惑を掛けてしまうのが本当に申し訳なくて……」
情けないが、思わず目から涙がポロリとこぼれた。それを見て、エマが私を抱きしめてくれる。
「ミラ様、大丈夫です。ミラ様とお父上は全く別人で、あの方がされることとミラ様は関係ありません。心配される必要はないですよ」
エマの優しくなだめるような口調に堪らなくなって、私は号泣してしまった。
「わ、わたし……みんなから嫌われちゃったらどうしようって怖くて……」
「大丈夫です。私たちはみんなミラ様が大好きですよ。私もミラ様にお仕えできることが何よりの喜びです」
「本当に? 私のこと、嫌いにならない? 私、ここに居てもいい?」
泣きながらエマにしがみつくと、彼女はそっと私の頭を撫でてくれた。
「私もミラ様が大好きです。ミラ様が居なくなったら寂しいです。ずっとここに居て下さい」
「ほんと? ありがとう……私もみんなが大好きなの。お願い。嫌いにならないで……」
私が泣き止むまでエマはそのまま私を抱きしめてくれた。
私はいつも寂しかった。私は一人っ子で幼い頃に母を亡くし、私を育ててくれたのは乳母だった。そして、年老いた乳母が亡くなってから、私は自分の居場所を見失ってしまった。
あの自称父親は常に諍いを起こすので周囲からどんどん人が離れていく。それだけではない。稀に私に友人ができても、スチュワート公爵家と関わり合いたくないとすぐに引き離されてしまう。
そんな私とずっと一緒にいてくれたのがケントだ。彼だけは私を厭わずに、自称父親から守ってくれた。私との婚約もスチュワート公爵家からねじ込まれたようなものだったのに、ケントは誠実に私に接してくれた。感謝してもしきれない。
ケントとミシェルの結婚が発表された時に、自称父親は私を罵倒し、実家に戻ってきたら娼館に売ってやると脅された。ケントは、あの父親ならやりかねないし、売られなくてもヒヒジジイのところに嫁に出されるかもしれないと心配して私を側室にしてくれたんだ。
ケントは私を守ってくれていたと思う。でも、彼のところにも私の居場所はなかった。当然だよね。せっかく最愛の女性と結婚したのに、私は邪魔者でしかない。
だから、辺境伯領でみんなが私自身を見て受け入れてくれたことが、とても嬉しかった。リアムがくれた私の居場所は何よりも大切なものになった。
だから、ずっとここに居られたらと願っていたのに……。またあの自称父親のせいで居場所を失うかもしれないと思うと不安で胸が苦しくなる。
エマに慰めてもらって少し落ち着いたが、それでも私の不安は消えなかった。リアムはどう思っているんだろうと心配で気持ちが落ち着かない。
というのも、自称父親がやたらとリアムにつきまとっているからだ。しかも、たまに聞こえる会話はリアムや辺境伯城の人々に対して失礼な内容ばかりで、私は頭を抱えた。
自称父親と喧嘩をして、せっかくのリアムたちの心遣いを無駄にしたくはない。でも、大切な人達を悪しざまに言われて平気ではいられない。私は毎日重い心を抱えていた。
そんなある日、城内を歩いているとリアムの執務室方面から怒鳴り散らす自称父親の声が微かに聞こえてきた。
私は慌ててドレスの裾を持ち上げて駆け出した。あの男がいる時はこの城でワンピを着ることさえできない。絶対にバカにして文句を言うだろうから。古臭くて口うるさい。最悪だ。
重いドレスに舌打ちしながら私は全力疾走した。
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