第6話 ついに辺境伯に会えました


朝食後、私は旦那様の執務室の扉をノックした。


「なんだ!?」


「旦那様。ミラです。あの、どうか今日は私とお会いになってください。会ってくださるまでここで待ちます」


「俺は君には会わないと言っている。帰ってくれ!」


「いいえ、旦那様が出てくるまでここで待たせていただきます!」


「勝手にしろ!」


私はそのままドアの前に立ち、ひたすら待ち続けた。


二時間くらい経った頃だろうか?


ドアノブが回る音がして、ドアが僅かに開いた。


「そこに誰かいるのか!?」


ドアを完全に開ける前に気配で私がいることが分かったらしい。


「私です。ミラです。ずっとお待ち申し上げておりました」


「……ずっと……今まで? 立ちっぱなしで……?」


「はい」


そう言うとゆっくりとドアが開き、車いすに乗った大柄な男性が姿を現した。シャツの上からでも分かる引き締まった体つきを見て、普段から相当鍛えている人なんだろうと思った。そんな人が歩けなくなってしまったら余計に辛いだろうな。


顔は片手で隠すように出てきた辺境伯は小さな声で呟く。


「君には……君にだけは、見られたくなかった。こんな醜い……情けない姿……」


「どうしてですか? 国や人々を守るために勇敢に戦った証拠です。誇ることこそすれ、恥じることなんて何もありません。私も心より敬意を表します」


辺境伯はビクッとして、何かを堪えているように俯いた。顔はまだ隠したままだ。


「どうか、私にお顔を見せては頂けませんか?」


「君はっ! 何故ここに来た? 君と……ケントはっ!?」


嗚咽するように声が震えている。


私はゆっくりと落ち着いた声で答えた。


「私は何かお手伝いできることがあるかもしれないとここに参りました。そして、旦那様さえ嫌でなければ……私のような者で良ければ、婚姻して頂きたいと思って参りました」


辺境伯は大きく深呼吸を繰り返していたが、おずおずと手を顔から外す。


私は彼の顔を見て息をのんだ。


黒い長髪に茶色の瞳。ヘイゼルと言ってもいい明るい茶色の瞳は少し緑がかっている。こんなに端整な容貌の男性を私は見たことがない。ケントも美形だったけど、金髪碧眼のキラキラした王子様的な美しさだ。リアムは顔立ちそのものが完璧と言っていいくらい整っていた。


しかも、この人の美貌にはどこか翳があり、それが艶っぽさというか色っぽさを醸し出している。それはもしかしたら、右目の上から頬にかけて大きな傷があるせいかもしれなかった。ただ、その傷が彼の美貌を損なうことはないと思う。完璧な美貌に粗野な傷が加わることで、一種の凄絶な野性味が加わり、それが大人の色香を増しているようにも感じた。


野性的な美貌と対照的に、傷のない左目は静かで聡明な知性を示している。その瞳が不安気に揺れる。


私は少しかがみ込んで、車いすのリアムの傷のある頬に手を添えた。一瞬ビクッと震えたが、リアムは私を止めようとはしなかった。


私はそっと傷の上を指で撫でた。


「痛みますか?」


「いや、痛みはもうない……ただ、醜いだけだ。貴女にも不快な思いをさせて申し訳ない。ケントには断りの返事を書いたはずなんだが……何か行き違いがあったのだろう。こんな遠隔地まで足を運ばせて申し訳なかった」


弁解口調で言うリアムの傷に私は唇を寄せた。


「旦那様。心からの感謝と敬意を捧げます。国を守って下さって、ありがとうございました。人々の命と生活が守られたのは辺境伯領の皆さまの勇敢な行動のおかげです。どうか、この傷を誇ってくださいまし。私は心から尊いと感じています」


リアムは私の言葉を信じられないという表情で聞いていたが、突然顔が真っ赤になった。気のせいか目も潤んで赤くなっている。


「……っ、君はっ、いつもそうなんだ……いつも……そうやって俺を振り回して……でも、俺の欲しい言葉を……くれる」


ん……? どういう意味だろうと思っていたら、不意に彼の腕が伸びてきて、ギュッと抱きしめられた。というか、腰に手を回して私のお腹に顔を埋めている。


彼の瞳から涙が溢れているのが感じられたので、私はそのまま彼の頭をそっと撫で続けた。少しウェイブのある柔らかい髪に指を通すと気持ちが良くて止まらなくなった。大型犬を撫でているみたい。可愛いな。


その時廊下の向こう側から足音が聞こえて、リアムは慌てて私から離れると袖で涙を拭おうとした。そっとハンカチを渡すと「ありがとう」と素直に受け取って、涙を拭く。


「旦那様! 良かった。出ていらしたのですね。ミラ様がずっとそこでお待ちに……」


「分かっている。何故立ったままで……。せめて椅子くらい用意するような機転が利かなかったのか?」


不機嫌そうに言うリアムは少し照れているのかもしれないと感じて、クスッと笑ってしまった。


リアムは私の顔を見て固まっている。なんだろう……?


「いや、ミラ様の笑顔は誠に蕾がほころぶように愛らしいですね。つい見惚れてしまいました!」


オリバーが元気よく言うと、リアムは恥ずかしそうに顔を背けた。


「ところで、私は以前に旦那様にお会いしたことありましたっけ?」


「旦那様じゃない。名前で呼んでくれ。それと……君に全く覚えられていないということがショックだな。俺は魔法学院の卒業生として君のクラスで講義をしたことがあるんだが……」


苦笑いしながらそう言われて、私はぼんやりと、一年生の時にやたらと顔の良い卒業生が遠隔地での領地経営について講義しに来たのを思い出した。女生徒が大騒ぎしていたような気がする。実は私はその頃に階段から落ちて頭を打つ怪我を負った。そのせいで忘れてしまったのかもしれない。


「……あの、私はその……リアム様がいらした頃に階段から落ちて怪我を負いまして……そのせいでその頃の記憶が曖昧なのかもしれません」


「ああ、知っている。心配で見舞いにも行ったんだが、ケントと二人の時間を邪魔したくなくて結局君には会わなかった。年寄りが若者に不必要に近づくものじゃないからね」


「年寄りって!? リアム様がいらした時は女生徒がみんな色めき立つほど人気者だったんですよ」


「俺はもう三十歳だ。君は……?」


「二十歳になりました」


「ほら。十歳も違う。君にとって俺はおじさんだろう」


そう言いながらリアムは肩を落とした。悄然としている彼の姿を見て、私は首を横に振った。


「リアム様はお若いですよ。それにとってもカッコいいです!」


「社交辞令でも嬉しいよ」


リアムは顔だけじゃなくて首や耳まで赤くなっている。


照れているのかもしれない。年上の人にこんなこと言っちゃいけないんだろうけど……可愛い。


「君とケントはとても仲が良かっただろう? 君たちが親しげに笑い合っているのを見たことがある。卒業したらすぐに君たちは結婚するものだと思っていたのに、何故か彼は別な女性と結婚して、君は側妃なんていう立場に……。そのせいでケントともしばらく疎遠になったんだ」


「ケントと仲が良かったんですね」


「ああ、ケントは学生時代に熱心に辺境伯領を訪れていた。卒業と同時に即位することが決まっていたからな。国防や遠隔地での人々の生活について熱心に学んでいた。きっと素晴らしい国王になるだろうと思っていたんだ。彼となら幸せになるだろうと思ったから俺は……」


拳にぐっと力を籠めてリアムは何かを言いかけると、ふと力を緩めて優しく微笑んだ。


「俺が君との結婚を望んでいたのは知っていたかい?」


「え!? えっと、つい最近聞きました……けど」


急に私の心拍が上がる。


「俺はケントが他の女性との婚姻を発表した時から、ずっと君と結婚させて欲しいと嘆願していたんだ。」


「え!? どうしてですか? 講義で学院にいらした時に何かありました……?」


「それも忘れてしまったんだな。まぁいいよ。そのうちに話してあげる」


苦笑するリアムも格好いい。


それにしても私は何か大切なことを忘れてしまったんだろうか。もどかしい気持ちで一杯になった。


「申し訳ありません……」


しゅんとして頭を下げる。


リアムは私の手を握った。


「俺はずっと君との結婚を望んでいた。ケントは……全くあいつは、なんだかんだと言い訳して君を手放そうとしなかったが」


小声で呟くと彼は顔を上げて私の目を真っ直ぐに見つめた。


「でも、それは俺がこんな傷を負う前の話だ。今の俺では君を幸せにすることは出来ない。ケントは君が戻ったら喜んで迎えてくれるだろうし、そうでなくても引く手あまただろう。だから、今からでも王都に戻って……」


そう言いかけるリアムを私は遮った。


「リアム様。リアム様は私がここにいるとお嫌ですか? ご迷惑ですか? 多少なりとも役に立ちませんか?」


リアムは戸惑った表情で私を見た。


「いや……もちろん、君がいてくれるとこの城も華やぐ。この領地には戦の傷跡がまだあちこちにある。君は辺境伯領の希望になるだろう。君がとても思いやりのある優しい女性だということは城中に知れ渡っている。君はこの城で大変な人気者だという自覚はあるかい? まぁ……ちょっと……人気者過ぎる気もするけど。それに君に頼んだ仕事も完璧だ。王妃教育を長年受けてきただけのことはある。領地経営の知識も含めて、君の才能は財産だよ」


リアムの言葉に私の頬が熱くなった。素直にうれしい。


「そんな風に言って頂けると来た甲斐がありました。私はもう王宮には戻れませんし、ここを追い出されたら修道院に入るしかありません。もし、リアム様が他の女性と結婚されたいなら、私は厨房の下働きでもさせて頂こうかと思っていたんです」


「……は!? 何の話だ。何故王宮に戻れないなどと……」


リアムの顔が一瞬にして怒りの表情に変わった。整った顔立ちの人が怒ると迫力がある。


「いえ、あの、ケントはいつでも戻って来ていいと言ってくれたんです。でも、最近……ケントのお荷物になってきたような気がして……。私は妻としての役目を果たせないので」


大雑把な説明だったが、リアムの顔が苛立たしそうに歪んだ。


「なんでケントは君を正妃にしなかったのか!? 君は稀有な女性だ。俺だったら君以外の誰とも結婚したくない」


そう言ったリアムは、熱烈な告白のような自分の言葉を改めて考えたのだろう。再び顔が真っ赤になった。


私の顔も熱い。こんな風に言ってもらったことは前世含めて、生まれて初めてだ。


「あの、私は女らしくありませんし、負けず嫌いだし……こんな私で宜しいんですか?」


消え入るような声で尋ねると、リアムは嬉しそうに私の手を握った。


「君は……本当に俺のような……俺でいいのか?」


私も彼の手をギュッと握って、頷いた。


「その……もっとリアム様のことを知りたいです。だから……その……お友達からということでいかがでしょう?」


私の心にはまだケントの面影が残っている。形だけの妻ならともかく、リアムが求めているのは心情的なものも含まれていると感じたので、彼に対して誠実でありたかった。


「俺も君のことをもっと知りたい。……友達以上に発展する可能性はあるんだよな?」


ざっくばらんな口調の悪戯っぽい表情を見ると、リアムの元々の表情はこんな感じなんだな、とわかる。


「はい!」


笑顔で元気よく答えると、リアムが少年のような笑顔を返してくれた。


その笑顔に心臓がトクンと跳ねたことは、今は内緒にしておこう。

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