第22話 リアム ~ 失いたくない

*またリアム視点です



「ミラはいい奴だろう?」


俺を自分の執務室に連れてきたケントはグラスに飲み物を注ぎながら、何気なく話し出した。


「ああ、素晴らしい女性だ。彼女を伴侶に出来るなんて幸運は絶対に手放したくないと思う」


牽制の意味も込めて、俺は強く言った。


「……まぁ、そうだな。俺はバカだったと後悔しているよ」


ケントは苦笑いしながら、グラスを俺に渡した。


どういう意味だ?


後悔してる?ミラを手放したことをか?


今更何を言っているんだ、と腹立ちがおさえられない。


「昔、リアムが学院に講義に来た日にミラが階段から落ちたのを知っているか?」


突然話が変わって戸惑ったが「ああ」と頷く。


「あの日、リアムはミラと仲睦まじそうに話をしていたそうだな? それに嫉妬した女子生徒がミラを階段から突き落としたんだ」


意外なことを言われて、俺は絶句した。


「……知らなかった。俺のせいで……申し訳ないことをした」


ケントは深く溜息をついた。


「お前もミラの父親がどんな奴か知っているだろう? あのクズは突き落とした女生徒の家族に、娘に怪我をさせたと法外な損害賠償を請求した。家族が支払いを拒否したら、今度は王宮に殺人未遂で訴え出た。女子生徒は子爵家の令嬢だったんだが、結局その子爵家は爵位を剥奪されて一家揃って王都から追い出された。まぁ、そもそも高位貴族の子女に意図的に怪我をさせるのは重罪ではあるんだが……」


……全然知らなかった。


「お前もミラの性格を知っているだろう? 彼女はそのことを自分のせいだと、自分を責めて責めて責めぬいて……精神的に参ってしまった。俺以外は誰も事情を知らないが、学校にも来られなくなってしまったんだ。それで俺は魔法を使ってその日の彼女の記憶の一部を消去して、改ざんした。彼女は階段から落ちたことは単なる事故だと信じている。だから……彼女には言わないで欲しいんだが」


ああ、ミラが初めて会った日のことを覚えていなかったのはそのせいだったのか……。


「もちろん、彼女には何も話すつもりはないから安心してくれ」


ケントは頷いた。


「……彼女はそういうトラブルに巻き込まれやすい。というかリアム、お前はそういうトラブルを引き起こしやすいということを自覚して欲しい。異常にモテるっていうことを認識した方がいい」


俺は何と返事をしていいか分からなかったので、黙っていた。ケントが話を続ける。


「スチュワート公爵はいずれ廃爵させるつもりだ。ただ、曲がりなりにも公爵だ。後ろ暗いことをやっているのは分かっているが、余程の確たる証拠がないと爵位を剥奪するのは難しい。時間がかかるがそれについては手を打っている。その時に、いくら絶縁したと言ってもミラに累が及ぶ可能性がある。そう見えないかもしれないが、彼女はとても繊細で傷つきやすい。だから……」


「それくらい俺も分かっている。彼女のことは俺が守るからケントが心配する必要はない」


俺はそう言いながら、ケントがミラを思いやる気持ちに嫉妬を覚えていた。ミラのことなら何でも分かっているというようなケントの態度は、俺にとって不愉快なものでしかなかった。


「俺は子供の頃からずっと彼女を見守ってきた。特にスチュワート公爵のせいで彼女は悲惨な目に遭っていたからな。今回彼女が絶縁できて良かった」


確かにケントはあの父親からミラを守ってきたのだろう。


「俺が王太子だったせいで、やっかまれたり嫌がらせを受けたりもした。それでも俺は彼女を守り切った……つもりだ。常に先手を打って彼女が傷つかないように努力してきた。俺以上にあいつを守る覚悟がある奴じゃないと、あいつを渡せない。だったら俺が自分で彼女を守りたい」


しかし、ケントの言い分を聞いて俺の腸(はらわた)は煮えくり返った。


彼女はずっとケントが好きだったんだ。そんな彼女を捨てたのはお前じゃないかと詰りたくなる。


「俺にはその覚悟があると思う。少なくとも俺は彼女を側室になんてする気はないからな」


俺の言葉にケントの顔が強張った。


「だったら、領内の政策のために彼女の金を当てにしたりすんな!」


ケントの言葉に俺はギクリとするのを止められなかった。


「……俺は……ミラの金など当てには」


「していないと言えるか? 戦後の復興事業についての報告書を見たぞ。出資者はミラになっていた」


「それは確かにその通りだ。彼女は俺を信頼して宝石や金貨を全て預けてくれた」


「ほらみろ! 結局彼女の金目当てか?!」


「宝石は元々使うつもりはなかった。そのまま彼女に返却するつもりだ。金貨は、今は有難く使わせてもらうが、いずれ全て返すつもりでいた。金目当てなんかではないと嘘偽りなく言える。しかし、ミラの言葉に甘えてしまったことは事実だ。……それは悪かったと思っている」


ケントは深く溜息をついた。


「あいつはそういう奴なんだ。いつも自分のことを後回しにして人の世話を焼くんだ。あいつは子供の頃から……誰かに必要とされたいと無意識に望んでいたんだと思う」


思い出を懐かしむようにケントの表情が柔らかくなった。この男がこんな顔をするなんて……。


彼女とケントの強い絆を感じて、ナイフで貫かれたように心が痛んだ。


「すまない……」


俺が言うと、ケントは深い溜息をついた。


「まったくだ。俺は、自分のために使って欲しいと彼女に宝石や金貨を渡したんだぞ」


「すまなかった。彼女に全て返却するよ」


俺は素直に頭を下げた。ケントはそれでも何故かイライラしているようだ。


「お前はっ!」


ケントはそう叫んで拳を握り締めると、それをダンっと壁を叩きつけた。その後、気持ちを落ち着かせるかのように何度も深呼吸を繰り返している。


「……今回の叙爵で、公爵としての品位を維持するための支度金が王都から支給される。それを復興事業に充ててくれ。ミラに渡した宝石は王家に代々伝わってきたものも含まれているから、売られたりしていないのであれば良かった。だが……俺はミラのことでは後悔ばかりなんだ」


いつもは自信満々で傲慢にも見える国王のケントが、辛そうに顔を歪めた。


「俺にはミラが必要なんだ。彼女のことを女性として愛している。失って初めて気づくというのが最悪なのも分かっている。彼女に戻って来て欲しい。だから、彼女に自分の気持ちを伝える機会をくれないか? 彼女にきっぱりと振られたら俺も諦められる」


しかし、その言葉の背後にミラは絶対に自分のところに戻ってくるという自信が見え隠れする。


ミラを失うかもしれない……。


俺は地面がぐらりと揺れるのを感じた。


**


その後のことはよく覚えていない。


王妃は喜ばないだろうとか、ミラをまた側妃にするのかとか、色々と脳裏をよぎったが、頭が混乱して冷静に考えることが出来なくなっていた。


気がつくと既に人もまばらになったレセプション会場に戻っていた。俺は懸命にミラの姿を探した。


彼女はどこだ?


その時背後から聞き覚えのある声がした。


「リアム?」


振り向くと嫣然と微笑むパトリシアが立っている。


「お久しぶりね? お元気そうで。今回はおめでとう」


馴れ馴れしく俺の腕に触れながらそう告げるパトリシアを見ても何の感慨も湧かない。俺はただただミラに会いたかった。


「ああ、ありがとう。君も元気そうで良かった。それではまた」


おざなりに会釈をして立ち去ろうとすると彼女が俺の腕にギュッとしがみついた。


驚いて彼女の顔を覗き込む。


「あ、あの……わたくし、あんなお別れをしてしまって、ずっと後悔していました。世間知らずだったわたくしは、領地でのことをつい大袈裟に捉えてしまって……。大人になった今ならちゃんと領地までご一緒する覚悟が出来ています。家族としてあなたを支えさせて下さいまし!」


必死で縋りついてくる。あまりに思いがけない言葉に絶句してしまった。


「……俺にはちゃんとした婚約者がいる。俺にとって最愛の女性だ。彼女以外と結婚する気はない」


変な誤解を生まないようにハッキリと告げると彼女の顔色が変わった。


「そうは言っても、ミラ様はまだ国王陛下に御心を残していらっしゃるようでしたわよ。先ほどもとても親しげに二人でお話しされていましたし、国王陛下の元に戻りたいと仰っていましたもの。お二人の睦まじさは誰の目にも明らかでしたわ」


パトリシアの言葉に俺は愕然とした。


「……ケントの元に戻りたいと……彼女がそう言ったのか?」


パトリシアの肩を掴んで尋ねるとその剣幕に恐れをなしたのか、彼女は視線を逸らした。


「確かそんなことを仰っていましたわ。わざわざ国王陛下のおさがりなど貰わなくても、わたくしの方がリアムには相応しいと思いますの」


「下品な言い方をするな! そんな言い方をされるべき方ではない。俺にとって……何にも代えがたい宝のような素晴らしい女性だ」


俺はミラに会って真意を訊きたかった。君は、やはりケントのところへ戻りたいのか?


まだ何か言おうとするパトリシアを置いて、俺はミラを探そうと走り出した。


その時、王宮の職員から呼びとめられた。


「リアム様、伝言がございます。ミラ様は体調を崩されて、お部屋でお休みになっているそうです」


それを聞いて、俺は部屋に向かって駆けだした。


体調が悪くなった?


大丈夫なのか?


無理をさせてしまったか?


俺の頭の中にはミラのことしか浮かばなかった。


ああ、こんなに君のことしか考えられない。


どうか……俺を、ケントではなく俺を選んでくれ。


ひたすら念じながら俺は走り続けた。

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