第30話 挿話 ~ リタの物語 その3

ある日、パウロから話があると呼び出された。


パウロを飛び越して出世してしまった訳だが、他の奴らと違ってパウロの私に対する態度は以前とまったく変わらない。


控えめな笑みを浮かべながらいつでもそこに居てくれるパウロは、私にとって大きな心の支えだ。


パウロは短く刈り込んだ薄茶の髪色の頭をガリガリと掻きながら、言葉を選んでいるようだった。


「リタ。俺は辺境伯軍を離れる」


突然言われて、私はポカンと空いた口がふさがらなかった。


「え!? え!? なんで? どうして?」


「王太子殿下から密命を受けた。お前には事情を説明していいと許可をもらったんだが、絶対に他言するな? いいな?」


パウロの顔が緊張に強張っていて、私も事の重大さに気がついた。黙って頷くとパウロが話し出した。


「……スチュワート公爵って知ってるか?」


「ああ。なんか評判悪い公爵だよな? 噂は聞いたことあるよ」


「そうだ。しかも、最近は子供の人身売買に手を出しているらしいんだ」


「は!? 子供!? 胸糞わりぃな」


「そうだ。これまでも色んな悪事に関わってきたが、公爵という地位と金の力で揉み消してきたらしい。だが、王太子殿下はスチュワート公爵がこの国にとって害悪にしかならないと判断した。いずれ取り潰さないといけないと言っていた。そのためには公爵を逮捕して、爵位を剥奪するってことになるが……」


「そんなこと出来るのか? いくら王太子でも……公爵って最高位の貴族だろう?」


「ああ。だから、絶対に誤魔化すことが出来ない確実な証拠が必要なんだ。そのために俺は密偵として人身売買の組織に潜入することにした」


「はぁ!? ……だって、あんたは密偵なんてやったことないだろう? それに、そんな危険なことをさせるなんて……」


私は猛烈に腹が立った。


そんな危険なことをパウロにさせようとしているケントと、そんなことを引き受けようとしているパウロに。


「リタ。俺が志願したんだよ。王太子殿下は将来素晴らしい国王になる。あの方の治政の助けになりたいんだ。確かに俺は密偵なんてやったことがない。でも、訓練も受けられる。それに王太子殿下はこう言ったんだ」



『密偵の仕事は解釈することじゃない。事実を偏見なくそのまま俺に伝えることだ。事実を解釈するのは俺の仕事だからな。偏見がなく臨機応変な対応ができるお前は密偵に向いていると思うよ』



そりゃそうかもしれないけど……。それでも、私は心配でたまらなかった。


それに……ここで私が安心して働けるのはパウロがいるからだ。


どんなに嫌なことがあってもパウロに愚痴ってしまえば笑いにできた。


彼が私の安全のために配慮してくれているのを感じて、とても心強かった。


パウロがいなくなったら……もし、万が一のことが起こってしまったら……。


恐ろしい考えに眩暈がする。激しい恐怖に胸が突き刺すように痛んだ。


「嫌だ! 嫌だよ! 行かないで。パウロが居なくなったらあたし……あたし、どうしていいか分からない……」


私らしくもなく狼狽えながら訴えると、パウロの顔が赤くなった。


「リタ! ……その、俺もリタと一緒にいたいよ。でも、これは俺にとってもチャンスなんだ。俺も多少は出世して、ちゃんとお前と……釣り合うようになりたいし」


パウロの言葉に私は固まった。


「え!? 何の話?」


「お前はさ、幼い頃からずっと苦労してきただろう? 一人で全部背負って生きてきたから、それが当たり前だと思ってる。そりゃ、お前は頭も運動神経もいいし、強いから一人でも生きていけるのは分かってるけど……ここにさ、お前の荷物を一緒に背負いたいっていう男がいるんだよ」


真面目なパウロの顔を見て、言われた情報を脳みそが理解した瞬間に、顔がカーっと熱くなった。


「……な、な、ななにを言ってるの?」


パウロの緑色の瞳が柔らかく細められた。彼の優しい微笑みを見ると、胸がちょっと締めつけられるように苦しくなる。でも、決して不快じゃない。


「俺はさ、お前が好きだってことだよ」


パウロの言葉を聞いた瞬間に、目から涙が溢れて私は号泣してしまった。


どうしてだろう?


今までどんなに酷い目にあっても泣いたことなかったのに……。捕まって牢獄に入れられた時だって泣かなかった。


私が今まで泣いたのは一度だけ。


老画家との穏やかで温かい生活が唐突に終わった時、私は生まれて初めて誰かを想って泣いた。


今回の涙も……パウロを想っての涙だ。


「……泣くなよ。お前に泣かれるとどうしていいか分からなくなる」


そう言いながら、パウロは私を腕の中に囲い込んでギュッと抱きしめた。生まれて初めて感じる心地よい安心感に全てを委ねたくなってしまう。甘えたくなってしまう。


でも……


「私が好きなのに、なんで軍を辞めちゃうの?」


自分でも驚くほど甘えた声が出た。


パウロは私の片手を握り、もう片方の手を私の頬に添えた。


「リタ。俺はお前が好きだ。お前と結婚するためにも俺は手柄を立てたいんだ」


彼の新緑の瞳は真っ直ぐ私に向けられている。


「……お前は、俺のことが好きか?」


どことなく不安そうに尋ねるパウロに向かって私は叫んだ。


「当り前だろっ!」


彼の首に抱きつく。


パウロの顔が歓喜に輝いた。


「……リタ。嬉しいよ。俺はさ、この仕事を成功させて王太子殿下の後ろ盾が欲しいんだ」


「どうして……? そんなに出世欲、強かったっけ?」


パウロはしばらく躊躇った後、口を開いた。


「……リタ。お前、前科があるって言ってただろう?」

「うん」


そのことは隠していない。


「俺はそんなこと気にしない。俺は自分の目で見て、耳で聴いたことしか信用しないからな。お前は信頼できるいい奴だ。……惚れた弱みかもしれないけどさ」


そうだ。私が前科持ちだと分かるとあからさまに態度を変えた同僚は何人もいた。


「子供のお前が生き延びるためには仕方がなかったと分かってるし、お前を責められない。お前に対する愛情も変わらない。ただ……」


「ただ?」


「俺は次男だけど、一応男爵家の息子なんだ。平民との結婚は問題ないけど、やはり……前科があると、余程の後ろ盾がないと難しい……と思う。うちの両親は頭が固いんだ。王太子殿下なんて最高の後ろ盾だと思わないか?」


「え、じゃあ、私のせいで……?」


「違う! 違う! いいか? 俺はまずこの極秘任務をやってみたいと思った。それと、お前は既にリアム様の副官としてバリバリと活躍してる。俺もちょっとはお前に釣り合うようになりたい。そして、王太子殿下はこの任務が成功したら、リタの保証人になってやると言って下さった。これだけ条件が揃っていて、やらない選択肢はないだろう?」


出来るだけ頭を冷静にして考えると、確かにパウロの言う通りなのは分かる。


ただ、パウロに危険な目に遭って欲しくない、という私の強い個人的感情があるだけで……。


「お前はさ、結局優しいんだよ。自分以外の人間が傷つくのが耐えられないんだ」


私は俯いた。また涙がポロポロと溢れてきた。


「何年かかるか分からない。でも、待っててくれるか? 王太子殿下は、人を大切にする主君だと思う。みすみす死ぬようなところへは送らないと思うよ」


私の頭を撫でながら、困ったように宥めるパウロの声が心地よい。


心の中ではまだ『行かないで』と叫んでいたけど、パウロの声を聞いていたら、彼の気持ちはもう固まっているのだと納得した。


「いいか、絶対に待ってろよ。俺が危険な任務をしている間に、お前が他の男に惹かれでもしたら、俺は化けて出るからな!」


散々脅しをかけながら、パウロは新緑の瞳に笑みを浮かべて去って行った。


**


あれから……四年。いや、もう五年になる。その間、パウロからの連絡は一度もない。


でも、待つのを止められない。止める気もない。


だって、パウロは絶対に帰ってくるって約束してくれた。彼は今まで約束を破ったことがないもの。


パウロが去ってから、私はいっそう仕事に打ち込んだ。おかげで軍の中での発言力は増したし、リアムの信頼も厚くなったと誇らしい。


自分の能力や知識を活用して、戦争の時も人々を無事に避難させることが出来た。


ミラのおかげで復興事業も順調だし、仕事に大きなやりがいを感じている。


でも、堪らなくパウロが恋しくなる時がある。


ただただ会いたい……。


パウロの前でも女らしい服装をしたことはなかった。


ミラからワンピの試作品を見せてもらった時、真っ先にこう思った。


パウロはこういうの好きだろうか?


今までそんなこと考えたことなかったのに。


出来たら、彼の前では少しでも可愛い女でいたい。彼に、そう思ってもらいたい。


いつか、いつか、パウロが戻って来た時には、初めてのワンピを着た自分を見て欲しい。


そう思って、彼の瞳に合う薄緑色のワンピを購入した。


このワンピを着る機会は来る……のかな?


私は溜息をついて、冷たくなったお茶を口に含んだ。

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