第26話 予想外にざまぁになってしまいました

甘い朝を迎えつつ、忙しくその日の支度をしているとトントンとノックの音が聞こえた。


エマが扉を開けると、エヴァンズ侯爵からの使者だという若い男性が立っていた。


「エヴァンズ侯爵はウィンザー公爵閣下との面会を希望されています」

「目的は?」


少し苛立った様子のリアムはぶっきらぼうに訊ねた。


「私には分かりかねますが、陞爵(しょうしゃく)のお祝いとご挨拶を兼ねてということではないかと拝察いたします」


確かに今日は多くの貴族がリアムとの面会を希望している。でも……私は聞き覚えのあるエヴァンズという名前に嫌な予感がした。


「分かった。今日の夕方に時間を取るように調整すると伝えてくれ」


リアムは少し考えた後、そう返事をして使者を帰した。


「リアム、エヴァンズ侯爵ってもしかして……」


「ああ、パトリシアの父親だ。単なる挨拶で終わらないかもしれないが……ミラも一緒に来てくれるか?」


私は首肯した。


今日予定されている貴族たちの面会にも私は同席するように頼まれている。


というより、王都に居る間は常に自分から離れないようにとリアムから強く要望されている。ただ、エヴァンズ侯爵との面会ではパトリシアの話もするのだろうかと少し不安を覚えた。


**


リアムは朝食の後、突然厨房に向かった。


『なんだろう?』と思いつつも、絶対に離れてはいけないと言われているので、私は黙ってリアムのエスコートに身を委ねていた。


「……俺の考えすぎかもしれないけど、念のためね」


苦笑いしながらリアムは私の頭に軽くキスをした。


厨房では料理長が私の相手をしている間に、リアムは若い男性の料理人と何か話をしていた。


「私はミラ様と二度もお茶が楽しめて役得ですな」


笑顔を見せる料理長と、ウィンザー公爵領の料理長エリオットの話で盛り上がった。料理長はエリオットのことを知っているらしい。料理人の世界ってやっぱり狭いのね。


いつか休暇が取れたらウィンザー公爵領に遊びに来てもらうことを約束して、私たちは厨房を後にした。


「誰と話していたの?」

「ああ、彼は以前エヴァンズ侯爵家の料理人をしていたんだ」


リアムは、それ以上は説明しようとはしなかった。


その後、驚くことにリアムは、国王ケントの首席補佐官であるチャールズの元に向かった。私が昔ケントの仕事の手伝いをしていた時に大変お世話になった人だ。


「ミラ様! お久しぶりです! お元気そうで。ますます美しくなられましたな」


そういうチャールズももう四十歳を超えているのに若々しいイケメンである。


「チャールズも元気そうで良かったわ。奥様やお子さんたちもお変わりない?」


「ええ、おかげさまで。ミラ様が王都を去られて寂しがっていますよ」


チャールズのご家族の話をしているだけなのに、リアムの眉間に皺ができた。私が口をつぐむとリアムはすまなそうに私の頭を撫でた。


「ミラ、ごめん。ちょっと時間がないんだ」


そして、リアムはチャールズに向き合った。


「チャールズ。急なことですまない。今朝手紙に書いた通りなんだが……」

「リアム様。大丈夫です。問題ありません」


恭しく礼をするチャールズに別れを告げ、私たちは急ぎ足で貴族たちとの面会会場へ向かった。


「今朝チャールズに手紙なんて書く暇あったの?」

「ああ、俺の支度は時間がかからないからね。君が支度している間に書いたんだよ」


あくまで、リアムは何をしているのか私に教えるつもりはないらしい。


気になるけど、その後は貴族たちとの面会が連続していて、私は問いただすタイミングを失ってしまった。


貴族たちとの面会は気の張るものであった。みんな、新しく公爵になったリアムと付き合うと利があるのではないかと探っているようで、どこかしら卑しく見えてしまう。そんな風に考えたらいけないのだろうけど……。


さらに娘をアピールする貴族も多かった。


「我が家の十七歳になる娘が、以前ウィンザー公爵閣下の姿をお見かけして、ずっと憧れております。いつか、自邸にお招きして是非ご紹介申し上げたいと……」

「……側室でも構わないと娘は申しておりまして……」


また、はっきりとそうは言わなくても雰囲気で察することができる。みんな自分の娘をリアムと結婚、もしくは側室にさせたいんだろうな。この世界では複数の奥さんを持つことが貴族の常識でもあるので理解はできるが、納得はできない。


リアムは私一人と宣言してくれているが、そちらの方が珍しいんだと思う。……嬉しいけど。へへ。


現にリアムは娘さんの話が出ると、私の方をうっとりと見つめて手を握る。


「私はミラ以外の女性は視界に入りませんし、まったく! これっぽっちも! 興味ありませんね」


そう断言してくれるリアムは頼もしい。


あまりにあからさまな態度に、貴族たちは見込みがないと諦めたようだ。


そして、最後の面会にやってきたのがエヴァンズ侯爵だった。


驚くことにパトリシアも同席している。


彼女の姿にドキッとしたが、リアムが『大丈夫だ』というように私の頬をそっと指で撫でた後ギュッと手を握ってくれて、気持ちが落ち着いた。


大丈夫。リアムが隣に居てくれれば大丈夫だ。


エヴァンズ侯爵は一見にこやかに見えるが、押しの強そうな印象だった。どこか私たちのことを下に見ているような雰囲気さえ漂っている。


「もう五~六年ぶりになるかな? 久しぶりだね。偉くなったもんだ」


ちゃんとした挨拶もなくエヴァンズ侯爵は話し出した。


「そうですね。ご無沙汰しております」


既にリアムから微かな怒りのオーラを感じて、私は嫌でも緊張した。


「以前、君はパトリシアと結婚したがっていたと思うんだが……」


陞爵への祝意もなにもなく、いきなりパトリシアの話を持ち出す侯爵。パトリシアは隣でしおらしく俯いている。


「お嬢さんが私との結婚を嫌がって結婚には至りませんでしたが、そうなってくれて本当に良かったと思っています。真に愛することが出来る女性とその後知り合うことができましたからね」


それを聞いたエヴァンズ侯爵の顔が怒りで紅潮した。


「なんだその言い草は!? 男なら、ちゃんと責任を取れ!」


「なんの責任ですか? 私との結婚を断ったのはパトリシアですよ?」


リアムの言葉にパトリシアが瞳を潤ませる。


「……申し訳ありません。あの時のわたくしはまだ若くて……。愚かだったと思います。わたくしはミラ様が側室であっても構いませんので……どうかわたくしをご領地にお連れ下さい」


それを聞いたリアムの顔が完全な無表情になった。


あ、やば。本気で怒ってる。


その場で気づいたのは私だけだった。


「そうだな。そちらのお嬢さんは、スチュワート公爵家から絶縁されたのだろう? 仮にも公爵家の夫人が平民なんて恰好がつかない。分をわきまえて、君が側室になればいい。パトリシアは素晴らしい完璧な公爵夫人になるだろう」


「やだ、もうお父さまったら」


一方的な会話を私は半ば呆れながら聞いていたが、隣にいるリアムから発せられる殺意はどんどん増大していき、私は戦慄を覚えた。


「……ふざけるな」


静かなモノトーンで発したリアムの台詞を、親子は聞き取れなかったようだ。


「は!?」


間の抜けた声を出す侯爵の目を正面から見据えて、リアムは語りだした。


「天地がひっくり返っても、俺はミラ以外の女性に興味を持つことはない。ミラ以外は誰もいらない。現在だけじゃない。未来も、例え、来世で生まれ変わったとしても俺は絶対にミラを見つける。見つけてみせる。どんな体に入っていたとしてもミラはミラだ。絶対に見つけてみせるし、彼女を愛するのを止められるはずがない。あなたのお嬢さんなんてまるで眼中にありません」


「……な、なにを若造が……失礼な……」


「しかも、パトリシア嬢が嘘つきなことはご存知ですか? 彼女は昨日俺に嘘をつきました。俺とミラの仲を邪魔するためです」


リアムの言葉を、パトリシアはハンカチで涙を拭きながら否定した。


「……そんな! 嘘なんて! もしかしたら勘違いをしたことはあるかもしれませんが、意図的に嘘なんてついたことはありません!」


「『意図的に嘘をついたことはない』……本当か?」


リアムの発する激しい怒気にパトリシアは気づいてもいないようだ。


「ええ! もちろんですわ! わたくしを信じて下さいまし!」


「そ、そうだ。パトリシアは純真な淑女だ。貴様こそ、そこのスチュワート家の娘に誑かされているんだ! スチュワート家の悪名は知っているだろう」


エヴァンズ侯爵の台詞を聞いて、リアムがふふんと笑った。


「パトリシア嬢は、料理人に作らせた手料理を自分の手作りだと嘘をついて俺に渡していましたよ。俺だけじゃない。デービス侯爵やアボット伯爵の令息がたにもそう偽って渡していたようですね」


パトリシアが顔面蒼白になった。


「……な、な、なんで……?」


「パトリシア、それは本当か?」


「……いえ、いいえ。お父さま。わたくしはそんなことはしておりません! わたくしは潔白ですわ!」


堂々としらを切るパトリシアを見て、リアムは溜息をついた。


その時、面会の会場となっている部屋の扉を誰かがノックした。


「……完璧なタイミングだな。さすがだ」


リアムが独(ひと)り言(ご)ちた。


案内されて扉から入って来たのは、なんとチャールズと今朝厨房でリアムと話をしていた若い料理人だった。


パトリシアが料理人を見てたじろいだ。


「ちょうど良かった。ポール。君の話を聞かせてくれ」


リアムが料理人に向かって声を掛けると、彼は会釈をして話を始めた。


「私は以前エヴァンズ侯爵家で料理人をしておりました。その頃、パトリシア様より様々な料理やお菓子を作るよう指示されました。それらは自らの手料理として恋人にプレゼントする意図であったらしく、誰にも口外しないよう厳しく命じられました。ところが……なかなか成婚に至らず、徐々に私の料理が美味しくないせいではないかと責められることが増えました。最終的に、私が秘密を漏らすことを恐れたのでしょう。窃盗という身に覚えのない罪を着せられて、私はエヴァンズ侯爵家を追い出されました」


「なんだと!? お前はパトリシアの宝石を盗んだのだろう! 泥棒が! 盗人猛々しいとはこのことだ!」


憤るエヴァンズ侯爵の前にチャールズが進み出た。


「エヴァンズ侯爵閣下。私は国王直属の主席補佐官を務めております」


「知っている。それがなんだ?!」


「本日私は国王陛下の勅命を受けまして、この場に立っております。どうか、敬意を払って頂きますようお願い致します」


侯爵はしぶしぶと立ち上がるとチャールズに礼をした。


「その……首席補佐官が何の用だ?」


憮然とした侯爵が尋ねた。


「料理人のポールは現在王宮の厨房で料理人として働いております。それがどういう意味かお分かりですか?」


「どういうことだ?」


「王宮で働く使用人の身辺は王家の諜報が徹底的に調査します。過去に犯罪歴があった場合、雇用されることはありません。特に厨房は王族が直接口に入れるものを調理する場所です。ポールの窃盗の罪が真実であれば、決して雇用されることはなかったでしょう。私も諜報の調査報告書を読みましたが、ポールは明らかに冤罪だという結論でした」


「そ、そんなはずありませんわ! だって、わたくしの宝石がなくなって……その……ポールが盗んだに決まっています」


パトリシアの言葉にチャールズは顔色一つ変えずに答えた。


「報告書によると、パトリシア嬢の一方的な訴えのみで具体的な証拠はなかったそうですね。しかも、ポールが解雇された後、盗まれたと主張した宝石をあなたが身につけていたのを目撃した使用人もいました」


それを聞いて、パトリシアの口がパクパクと動いた……が、声は出てこない。


「パトリシア! それは本当か?!」


エヴァンズ侯爵も狼狽している。


「使用人に濡れ衣を着せて、解雇するというのは違法であると国王陛下はお考えです。ですから、エヴァンズ侯爵家への徹底した内部調査を行います。あ、というより今現在、担当官がエヴァンズ侯爵邸で帳簿や内部資料の押収を行っている最中でしょうな」


チャールズは何でもないことのように告げた。


「な、内部調査!? 帳簿!? 押収!? 今!? 今? 今と言ったか!?」


パニックに陥るエヴァンズ侯爵。


「後ろ暗いところがなければ、問題ないでしょう。後ろ暗いところがある場合、事前に通告すると証拠隠滅されてしまう可能性があるのでね。今日は良いタイミングだったと国王陛下もお喜びでした」


笑顔で告げるチャールズを無視して、慌てふためいて帰り支度をする侯爵にパトリシアが縋りついた。


「お、お父さま!? お父さま!? わたくしをリアムと結婚させてくれるって……」


「う、うるさい! それどころじゃないんだ! そもそも、お前が訳の分からないことをするから……お前のせいだ!」


真っ赤な顔でパトリシアに向かって叫ぶと侯爵は部屋を飛び出していき、その後を泣きながらパトリシアが追う。


彼らを見送って、私はドッと疲労感に襲われた。


大きな嵐が去ったような気がする。大変な騒動だった。


チャールズと料理人のポールは忙しいらしく簡単に挨拶をした後、早々に部屋から出て行った。


リアムと二人きりになると、私たちはお互いの顔を見合わせて、はぁーーーっと深い溜息をついた。


「……びっくりした。リアム。エヴァンズ家で働いていた料理人が王宮にいるってどうして知っていたの?」


「ミラの話を聞いて、不思議に思ったんだ。王宮の料理長がパトリシアのことを知っていた。料理人同士のつながりが緊密だと言っても、主人の恥となるようなことを屋敷の外の人間にバラすはずがない。王宮の料理長の耳にまで入っていたということは、恐らくその料理人はエヴァンズ侯爵家を離れたんだろうと予想した。もしかしたら王宮の料理人になっているかもしれない、というのは単なる俺の直感だったんだけどな」


「当たって良かったよ」とリアムは悪戯っぽく笑いながら、私のこめかみに唇を落とした。


「……ごめんな。ミラに同席してもらうかどうか、本当は少し迷ったんだ。きっと嫌なことを言われるだろうし……」


ああ、平民がどうとかってことね。


「でも、ミラはきっと自分のいないところで何かが起こっていると不安に感じるかもしれないと思ったんだ。だから……」


心配そうに謝るリアムの背中に手を回して、私は彼の胸に顔を埋めた。


「うん! その通りよ。私に知らせないようにして片付けるよりも、一緒に巻き込んでもらった方が嬉しいし、安心できる。ありがとう」


リアムの体が安堵に緩んだようだった。


「良かった……ミラ、好きだ。もっと、語彙があればいいのに。自分の気持ちを表すのに言葉が足りない。……どうしようもなく愛してる」


耳元に直接注ぎ込まれる愛の言葉に、私も自分の気持ちを伝えるのに言葉では足りないと感じた。


私はリアムの頬に手を当てて、彼の唇に自分の唇を押しあてた。勢いあまって頭突きみたいになっちゃったけど。


驚いたように目を丸くしたリアムは、嬉しそうに破顔した。そして、何度も角度を変えて私の唇に軽い口づけを落とす。


「……さっきエヴァンズ侯爵に言ったのは本心だよ。俺は何があっても、たとえ生まれ変わったとしても、絶対にミラを見つけるから」


私はきっとこんな風に言ってもらえるのを夢見ていたんだ。心にあった全部の隙間が温かい愛情で満たされるのを感じて、私はかつてない幸福感に包まれた。

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