第25話
系統からの目覚まし代わりの音楽に、佐久夜は起こされた。
どこかで聞いたことのある音色は、天界での始業の合図だ。柔らかい布団に二度寝をしたくなるが、まだ仕事中のことを思い出して、未練が残りつつも体を起こす。
前の世界とは時間が違うのか、時差ぼけのように頭が働いていないことを感じる。
目の奥が痛い気がして、目元に手を当てると、いつのまにか傍にいた系統から暢気な声が聞こえる。
『あっ。佐久夜、起きた? おはよう』
「……おはよう」
『なに? 寝不足?』
「うーん。頭が動いていない気がする」
寝起きの為なのか。石上の声が頭に響いて、佐久夜は頭を押さえる。
『ほらっ、しっかりして! もう始業時間だからね。とりあえず、この世界を回ってみようよ。あっ、朝ごはんを食べてからね』
「……石上は私のお母さんなの?」
『こんなに大きな子を持った覚えはありません!』
佐久夜が着替えをすることに気を遣ってか、石上は先に居間に行っているねと伝える。
姫子の服を借りるような気持ちで、佐久夜は箪笥に丁寧にしまわれている袴や着物の中から普段使い用の着物に手早く、着替えると石上が待っている居間へと行く。
自分のことは気にしなくてもいいと事前に告げていたため、卓の上には佐久夜の分だけ朝食が置かれていた。
「石上は食べたの?」
『うん。だから、気にしないで、食べてね』
「ありがとう」
いつもよりも短い時間で、佐久夜は朝食を急いで食べる。
若い女中のひとりに出掛けることを告げて、佐久夜は早く、玄関から出てしまう。
『ずいぶん急いで、かきこんでたね』
「慣れていない女中しかいないときが、好機なの。ひとり歩きするなんて話したら誰かしら、家の者をつけられるだろうし」
『ぼくの姿は見えないんだもんね。じゃあ、相引きといこうか』
「相引きって」
佐久夜と系統の中の石上は一緒に歩くが、どこか故郷に帰ってきたような懐かしさを覚える。
自分たちの世界に似た世界だということで、店舗など違うところもあるものの、朧げだった過去の記憶を白黒の写真で表すとしたら、写真に色づいていくような感覚だ。
『佐久夜。なんか、ぼく、気持ち悪い』
「確か、石上も同じ時代だったよね」
『うん。小世界は各神々が好きに作れるとは聞いてはいたけど。ここまで忠実に再現出来るんだ』
佐久夜の周りを回っている系統を通して、石上は『うわ〜』だの『マジか』だのうるさいので、いっそのこと、彼自身をミュートしたくなる。
系統にミュート機能はなかったかと、系統を観察していた佐久夜に聞き慣れた声がする。
「佐久夜?」
一瞬、霧島に声を掛けられたと思ったが、そこにいたのは尊だった。彼は嬉しそうな顔をすると、此方に近づいてくる。
「ご令嬢がひとりで外出か?」
「え、ええ。まぁ」
系統を見ると、今まで好き勝手に喋っていた石上は沈黙を続けている。
「俺も退屈していたところだ。良ければ、一緒しよう」
『嫌だ』と言いたい気持ちが先に立ったが、石上も系統越しに『行け』と文字で表してくる。佐久夜は仕方がなく頷くと、尊が自分に手を差し出してきた。
それには気づかないふりをして、佐久夜は尊の後ろを歩く。
「どこに行こうと思っていたんだ?」
「久しぶりなので、散歩だけの気持ちだったんです」
「牛鍋を食べに行くには時間も早いしな。甘味処だとあんみつもあるが、せっかくだし、銀座にあんぱんでも食べに行くか?」
この世界の佐久夜は食い意地が張っていると思われているのだろうか。尊は佐久夜に食べることばかりを提案してくる。あんぱんには胡麻や芥子も使われているが、桜の花の塩漬けが載せられているあんぱんもあるらしい。
そんなあんぱんに興味を持ったが、尊との食べ歩きや店に入り、彼の顔を見ながら食事をする気にはなれない。
「浅草十二階はどうですか?」
過去、凌雲閣には一度は行ってはみたいと思いつつ、行く機会は持てなかった。
関東大地震のあとに爆破解体されたと聞き、二度と見ることが出来ないのかと残念に思っていたが、どうせならこの機会に行ってみたい。
銀座なら乗り合い馬車を使わなくては行けないが、凌雲閣なら歩いて行ける距離だ。
「じゃあ、歩くか」
尊と距離をとりながらも歩くが、一応、気にはしているのか、彼は何度か佐久夜を気にしてか、後ろを振り返る。そのたびに居心地の悪い気持ちになるが、佐久夜はどうしても彼だけは打ち解ける気にはなれない。
浅草は凌雲閣のほかにも、活動写真やパノラマ館。季節の花々を楽しめる花屋敷がある。
「他にも行きたい場所があるのか?」
物珍しさに目を惹かれていたことに気づかれてしまったのだろう。佐久夜は尊の言葉に大丈夫だと答える。
自分の巾着の中から、8銭を支払おうとしたものの、先に尊がふたり分の金額を支払ってしまう。
「お前は売店に興味はあるのか?」
「どちらかというと、浅草十二階から見える景色が気になっていたので」
「じゃあ、階段でのぼるか。それとも、エレベーターで行くか?」
「階段がいいです」
凌雲閣には日本で初めて出来たエレベーターがあり、一分で10階まで昇れる速さだったという、内部には姿見があるとの話に絶叫マシンを佐久夜はつい、想像してしまっていた。
未来に事故を起こして運転停止になっている、エレベーターに乗るのは怖かった為、階段を登っていくが、佐久夜はすぐに息切れをしてしまう。
息をぜいぜいと吐いている佐久夜を見かねてか、尊が佐久夜に手を差し伸ばしてくれる。
佐久夜は悩んだ結果、彼の服が伸びることも構わず、上着の裾を持った。
そんな佐久夜の振る舞いに、苦笑は隠さないまま、尊は息切れする様子もなく、8階まで上がっていった。
凌雲閣の頂上まで登ると風が少し、吹いただけで、落ちてしまいそうで怖い。
本当は早く、尊の服の裾を離したかったが、なにかしらの支えが欲しいために佐久夜は彼を頼るしかない。
「謝りたかったんだ」
「……えっ」
「俺がお前に色々と言ったせいで、佐久夜を傷つけていたことに、お前がいなくなってから気づいた」
彼の発言に驚いて自然と力を込めてしまった為、掴んでいる服が皺になったことが分かる。前世の彼だったら激怒していただろうが尊は気にしていない様子だった。
「謝らないでください。過去のことですし」
「俺にやり直す機会をくれないか?」
「……機会、ですか?」
「ああ。今度こそ、間違えない」
尊の言葉を不思議に思う。
彼は誰なのだろう、そんなことを考えたのが分かったように、彼は微笑んだ。
「今日は風が強いな。そろそろ、降りるか」
「……はい」
尊は掴んでいる服の裾から佐久夜の手を離させると、佐久夜の手をゆるく握った。
「嫌じゃなければ、こっちの方が安定するからな」
すぐに佐久夜から顔を逸らした尊の耳が紅く染まっていることを不思議に思う。
「ありがとうございます」
佐久夜はお礼を言いつつすぐに離れてしまいそうな手を見て、自分たちの距離感のように感じた。
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