第3話

 天界にいる神々は歴史に名を残している人が多い。名前を聞けば『あなたがあのっ‼︎ 』と彼らの軌跡きせきを簡単に思い浮かべることが出来る神々ばかりだ。佐久夜はどうして、自分がそんな人たちの一員になれたのかが分からなかった。 

人は亡くなれば三途の川を渡り、まずは地獄にいる閻魔大王から裁きを受けるらしい。

 佐久夜が閻魔大王の存在についてあやふやな理由は、彼からの裁きを受けてはいないからだ。 

 初めは佐久夜も人の流れに任せて、最後尾と書かれた木の札を持っている書物でみたままの赤い顔をしている鬼の列に並んだ。 

 前の列のざわつきを見れば骨じゃないかしらと思うお婆さんが人々の衣服をはぎ取っていく。なんの為なのかが分からない、特注なのだろうか、脱がせた服を大きな測りの上に置いた。

「前はさぁ。木の枝のしなり具合で亡者の罪をはかってたんだけど、時代遅れだって、ばあさんが秤を閻魔大王に買わせたらしいよ」

「へぇ。私たちからすれば、どっちでもいいのにねぇ」 

 亡者たちがやりとりする光景をぼんやりと眺めていた佐久夜の鼻が桜の香りを掠めた。

 桜の花の化身のような可愛らしい少女に肩を叩かれる。睫毛はふんわりと長く、さくらんぼを思わせる唇に同性であっても見惚れてしまう。周りの人々も佐久夜と同じ心境なのか、可憐な少女から目を離せないでいた。

「あなた。磐長佐久夜さんで間違いなくて?」

 柔らかな声音に問われ、挙動不審になりつつも佐久夜は頷く。

「えっと、はい」

 少女は『画面でみてたとおりだわ』と花が咲くように笑うと柔らかな手を繋いできた。どこに行くのかを聞く暇もなく、少女の可愛らしさに惑わされたまま、佐久夜はついて行くしかなかった。

「あ、あの。私、あちらに並ばなくてもいいんですか」

「あなたは私と姉さまの推薦枠だから」

「推薦枠?」

「お気に入りってことになるのかしら。悪いようにはしないわ」

 別の船着場に行くと、少女は渡守に駄賃を渡す。連れて行かれた場所はひとつの街のような場所だった。

 彼女は迷わずに街の中で一番高くそびえ立っていた建物に入ると、受付と書かれた場所まで佐久夜を連れていく。

 この少女の存在は尊いのだろうか。

 受付に座っていたふたりは少女を見るなり立ち上がると床に屈んで、頭を下げようとしたが、少女は手を上げて止める。

「これは木花咲耶姫このはなさくやひめさま。本日はどうなされましたか?」

「この子、私たちの推薦枠なの。ほら、近頃、上級神ばかりがいて、下級神が足りないってお話しがあったでしょう?」 

受付の女性は巻物を広げ、何人か書かれてあるなかで佐久夜の名前を確認したようだ。

「あっ、磐長姫さまからも推薦があった子ですね。分かりました。あとはこちらで手続きをしておきます」

「じゃあね、佐久夜さん。頑張って」

「は、はい?」 

 軽やかな足取りで彼女は行ってしまうが、残された佐久夜はどうすればいいのかが分からない。受付の女性は咳払いをすると佐久夜の視線を向けさせる。

「磐長佐久夜さん。これからあなたは輪廻の輪には入らず、天界の神の一員となります」

「……神⁇ さきほどの神さまは、木花咲耶姫さまなんですよね。『古事記』にも出てくるような有名な方が、どうして私なんかを推薦したんでしょう」 

 女性は眼鏡をあげると、何本かある巻物を同時に広げた。

「あなたの名前が自分と似ているということで、まず注目していたようですね。その後、あなたの人生をみて、人ごととは思えないと、あの大の女嫌いで有名な磐長姫さままでもが珍しく同情をし、天界にあげたいと思ったとのことです」

「は、はぁ」

「まぁ、富くじにでも当たったと思えばいいんじゃないですか。此方が天界の書類になります。必要な箇所に拇印を押して、また持ってきてください。天照大御神さまからのご挨拶のお時間が決まれば、放送がありますので、それまで自由にしてくださって大丈夫です」   

 挨拶が来るまでは自由にしてもいいと言われてもと、辺りを見渡せば似たような困った顔をした相手を見つける。 

「きみも天照大御神さまからのご挨拶待ち?」 

 顔を見合わせたことがきっかけで、彼も佐久夜を天界の新人だと判断したらしい。互いに知り合って間もない相手のために会話は自然と前世のことになる。 

 石上だと名前を教えてくれた彼は話せば呑気そうに見えるが、天界にあがってくるまえは侯爵家の侍従として主人に仕えていたらしい。

「侍従って?」

「うーん、わがままな主人のお世話役かな。ぼくの一族が仕えてた家ってさ。ご先祖を遡れば武家だったらしいんだけど、時代として西洋の文化が入った結果、これまでの功績で侯爵家になったんだよね」

「石上さんって実は偉いひと?」

「いやいやっ。だめだめな侍従だった。ぼくはぼっちゃんとは乳兄弟ちきょうだいの間柄だったんだけどさ。ぼっちゃん、ぼくの阿呆な主人がさぁ、ある家のお嬢さまを許嫁で迎えるはずだったのに。こんなぶさいくな女とは結婚なんか出来るかって騒いじゃって、軍部のお偉いさんも出てくるわのてんやわんやでさぁ」

 石上は困ったように、頬を掻く。

「どうやら、ぼっちゃんはその家の妹と結婚したかったみたいなんだよね。でも、残念ながら、妹さんは後妻のお子さんでね。ぼくが彼女はその家の直系じゃないからって諌めたら剣で斬られちゃって。ぼくの儚い人生は終わったんだ。本当はそのお嬢さまに暴言を吐いた時点で謝らせるべきだった。そのあとは三途の川の婆に銭をふんだくられたり、道に迷って散々だった上に天界でも働けだって? いわゆる、ただ働きじゃないか」

「一応、お給与は貰えるみたいだけど。石上さんは人だったとき。神さまって信じてた?」

「いいや。まぁ、でも、信じてるやつもいるよな〜くらい」

「人が神に祈る、信仰力がお金になるって話だよね。どういう仕組みなんだろう。それを知ってたら、今ごろ、もっと真剣に神さまを拝んでたのに」

「いずれにしろ、お金にならない労働なんて悪だよ。佐久夜さん」

「あっ、佐久夜でいいよ。石上さんの方が歳上だよね?」

「じゃあ、ぼくも石上で。佐久夜は生前、どうしてたの?」

「私は石上みたいに偉くはなかったけど、お嬢さまづきの使用人として働いてたんだ」

「そうなんだ。他の人にも話を聞いてみたんだけどさぁ」 

 同期と言っていいのか分からないが同時期に天界に来た人たちの境遇を教えてもらえば、皆、それなりの功績を持った選ばれた人間だということが分かる。 

 自分を連れてきた神さまたちに気に入られてなければ、そのまま輪廻の輪に入っていただろう。

「私の人生に同情をしてくれたって話なんだけど。そんな同情されるような人生だったかなって、分からないんだ」

「すんなりと来られただけで、ぼくとしては羨ましいけど。おやっ」 

 石上と話していると下級神に選ばれた者たちは集まるようにという放送が流れる。彼と連れそって放送で言われた長い階段を佐久夜は上がった。

 石上は以前、凌雲閣のエレベーターで怖い思いをしたらしく、よっぽどのことがない限りは階段を使いたいらしい。 

 何人かの神たちが集まっているなか、御簾の横にいた女性が大きな声を張り上げた。

「皆の者! 静粛に‼︎ 初音はつねさまからのお言葉である‼︎」 

 鳴らされた本坪鈴ほんつぼすずの音に小さく飛び上がってしまったことをおかしそうに石上が小さく笑う。

 竹ひごで編まれている御簾が開かれると、そこには豪華な椅子に座った鶏が一羽いる。

 立派な赤い鶏冠とさかに目玉焼きの黄身を思い出す嘴は、佐久夜の勘違いではなく鶏だ。 

 隣にいた石上も自分が見ていたものが信じられないのだろう、口を開いたままだ。   

 初音の左右には鶏に付き従っている女神がニ神おり、後ろには黒い集団が列を並べていた。 

 集められた下級神たちは鶏にしかみえない神に揃って頭を下げた。佐久夜も周囲の様子を見て、慌てて、頭を下げる。

「皆、頭をあげよ。本来ならば、天照大御神さまがそなたたちを歓迎するべきじゃが、あいにく、ご多忙な方でのぉ。妾で許してたもれ」 

 豪華な椅子に座りながらも、古めかしい言葉で鶏が喋っている。

 現世にいた頃には喋る鶏なんて聞いたこともないため、この鳥も神の一柱なのだろう。

「ここにいる者たちは、皆、天に選ばれた神となる存在じゃ。そなたたちは数多くある世界の日本支部に仕えることとなる」 

 初音は左右にいた女神に指示すると、彼女たちはひとつの模型を持ってきた。天界と書かれた雲があり、その下にいくつかの円型がある。

「世界は各々の神が自由に作ったものじゃ。皆には、この日本支部で働いて貰うことになるが、そのことで、ほかの支部の者とあったとき、話が噛み合わぬときもあるじゃろう」 

 初音の言葉に、横にいた石上が手を上げる。

「それは、平行世界のようなものと考えていいでしょうか?」

「似たようなものと考えてくれればよい」

「平行世界?」 

 ぽつりと漏らした言葉が聞こえたらしく、阿吽のように立っていた初音の左右に控えている女神に睨みつけられる。

「ひぃっ」

「これこれ。新人を困らせるではない。……そうじゃのぅ。まず妾たちがいる天界という根があり、そこから何個かに分かれて創られた内の一つが、そなたたちの世界じゃ。世界自体は違えども、同じ根で結ばれているからこそ、互いに良くも悪くも影響しあう」 

 初音の言葉に佐久夜はじゃがいもみたいなものかと失礼なことを考える。種芋が天界、そこから生み出されたのが小世界と考えて頷いた。 

 その内のひとつのじゃがいも腐ってしまう前に対策をしなければ、ほかのじゃがいもにも影響が出てしまうということだろう。

「まず、天界のことを知って貰うため、そなたたちに教育係を設けることにした。今から配る紙に書いてある神の元に行くがよい」 

 和紙には達筆な筆の字で『霧島』と書かれている。紙を開いたと同時に横から黄色い悲鳴が上がった。

「羨ましい! 霧島さまよ‼︎」 

横目で教育係の名を確認されたのか。同期のひとりが、霧島の名前をみてうっとりと呟く。

「えっ、霧島さまもご担当だったの⁉︎」

「羨ましいわ。貴女。きっと、素敵な研修生活を送ることが出来ますわね」

「あ、あの。有名な方なのですか?」 

 霧島の名前に心当たりはないが、有名な神なのだろうか。

「まず、お顔が歌舞伎役者かしらって思うくらいに素敵ですの‼︎」

「それにとってもお優しいのよ」

「……は、はぁ」 

 いつまでも、霧島さまとやらの話が終わらないようなので、そこそこで切り上げると、黒い集団の中から顔がいいと思われる神を中心に佐久夜は探していく。集団のなかでひとり並外れて造形が整っている青年を見つけたことで、佐久夜は彼の名前を確認すると、彼がスーツにつけている名札には霧島と書かれていた。 

 彼の姿が一瞬、ぼやけて、無邪気な少年が重なって見えたことに佐久夜は目を擦った。

 どうして、彼のことを少年だなんて思ったのだろう。

 佐久夜が背伸びをしても、彼の胸辺りくらいの高さしかない。背の高さ以外にも彼の長い黒い髪を結いている、古びたレースのリボンが気になった。

「お久しぶりですね、磐長さん」

「えっと。お久しぶり、なんですか?」

「間違えました。初めまして、でしたっけ」

 同期たちの評判に淡い期待と緊張をしていた佐久夜だったが、彼の美しい微笑みをみた途端、なぜか、背筋に冷えた汗が伝った。 

 このひとは笑っていない。 

 佐久夜は他人の顔色を窺うことを、なにも持てない自分の武器として身につけていた。そんな佐久夜からみれば霧島は異様だ。 

 彼は佐久夜の顔をみて能面のような顔を見破られたことに、気づいたのだろう。少しだけ、彼の仮面が割れ、興味深そうに唇が釣り上げられたことに、飛び跳ねそうになる。

「これからよろしくお願いします。佐久夜さん」 

 いきなり、彼が友好的になったことに驚いた。

「名前で呼ばれるのは、お嫌でしたか?」 

 霧島の言葉に佐久夜は首を振る。こうして、教育係の霧島との研修生活が始まった。

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