第4話

「人の噂も七十五日って言うけどさ。神には関係ないのかな。相変わらず佐久夜のことが羨ましいって、話題になってるね」

 昼休み。天界に昇ったばかりの下級神だけが休憩出来る一室は、担当の教育係の先輩のことや、自分が今後、どこの部署の配属になるのかの話で賑わしい。 

 休憩時間くらい上級神に気を遣わないようにという上の配慮というよりも、この騒がしさを見越して、隔離をされているといった方がいいかもしれない。

「ここ、座っていいよね? もちろん、大丈夫だよ。はいっ、ありがとうってね」 

 石上は一人芝居を演じながらも、佐久夜の確認もとらずに、目の前に腰掛ける。 

 配られたお弁当の竹皮を開けながらも美味しそうに、握り飯を食べていく石上を佐久夜は羨ましく思う。

 人界では『神饌しんせん』といって、神に献上する食事を祀っているが、実際、神になれば食べ物は趣向品とされ食べなくても困ることはない。 

 しかし、人だったときの名残りなのか。下級神だと食事をしない方が稀だ。

「どうしたの? 佐久夜。食べないなら、ぼくが食べちゃうぞ。おにぎりの中身は、佐久夜の好きな梅なのに」

「……食欲がなくて」

「珍しい! 霧島先輩との研修で胸がいっぱいで?」 

 違うと分かっていながらもケラケラと笑ってくる石上に普段のように言い返す気力もなく、冷たい机に頬を当てている佐久夜に大分、参っているねと呟く。

 同情をしたのか、石上はスーツポケットの中から小さな箱を取り出すと、項垂れている佐久夜の手にひとつを握らせる。

「せめて、これだけでも食べなよ」 

 そのまま身動きすらしない佐久夜に、仕方ないなぁと言うと石上は白い包装紙を開く。

「はい。あーん」 

 口を開いた瞬間、キャラメルを入れられた佐久夜は甘い味を想像していたが、体を起こすと自分の口をおさえた。前髪で覆っているため、佐久夜がどんな顔を浮かべているかが、石上には見えないのが救いだ。『まずい』としか表現が出来ない味が口全体に広がって、涙目になる。

「な、な、なにこれ」 

 口直しのため、石上が持ってきたオレンジジュースを、佐久夜は早く、味が変わるようにと勢いよく、飲んでいく。

「日本一まずいって噂のキャラメル。わざとまずいって思われるように作ったんだって。ぼくは美味しいと思うんだけどね。それで、霧島先輩にいじめられでもしたの?」 

 石上の質問に佐久夜が首を振ると、自分から聞いていて、そんなわけがないと思っていたのか、『だよね』と石上は頷く。

「それなら」

「佐久夜さんはいますか?」

 周囲の視線を集めながらも、仕方がなく、佐久夜は手を上げる。石上に背を叩かれて、しぶしぶ、佐久夜は霧島の元へと向かった。

「休憩時間中に申し訳ありません。佐久夜さんにお願いがありまして」

「お、お願い、ですか?」 

 霧島からお願いごとをされるのは珍しい。

 どんな用件かと思った佐久夜に、彼は他の下級神たちには聞こえないように声を潜める。

「実は下級神の女神のひとりが更衣室に閉じこもってしまいまして。よろしければ、一緒に更衣室に行ってくれますか?」

「霧島先輩だけじゃ、駄目なんですか?」 

佐久夜の問いかけに霧島は困った顔をすると微笑んだ。

「女子更衣室なんです」 

ほかの男神とは違い、霧島なら女子更衣室にいても、おかしな噂が立つことはないと思うという言葉が、佐久夜は喉元まで出そうになる。

「僕としても噂になるのは」

佐久夜の思考を読んだのか、霧島は苦笑する。

佐久夜は霧島の美貌を苦手に思っているが、他の神たちからも際立つ容貌で彼も嫌なことがあったのかもしれないと思えば少しだけ、同情をした。

「分かりました」

霧島は佐久夜の言葉にあきらかに安堵をすると、此方ですと佐久夜を案内する。 

「どうやら、教育係の神にしかられたようで、籠城してしまったんですよね」

 石上の噂話では、教育係として武神に教わる下級神が消極的な性格だったら大変だという。理想論や根性論で仕事をこなしていく成果主義な為、消極的な神だと萎縮をしてしまいあわないらしい。

 ほか、マイペースで仕事をする神やスパルタ根性が苦手な神は、早々に教育係を変えているとのことだ。 

 今日も武神に泣かされた下級神のひとりが女子更衣室に閉じこもってしまった。それは日常のことなのだが、その下級神は霧島じゃないと此処から出ないと籠城してしまったため、霧島が仕事外にも関わらず、対応することになったらしい。

「霧島先輩も大変ですね」

「いえ。こうして、佐久夜さんと仕事外でお話する機会も持てましたし、役得かもしれませんね」 

 佐久夜は霧島の言葉に黙ってしまう。彼は気にした様子は見せず、女子更衣室の前に訪れた。霧島は更衣室を叩くと、下級神の名前を呼んだ。

「青森さん。出てきてください」  

 カチリと内側から鍵が開いた音がし、小さく開いた隙間から青森と呼ばれた下級神が此方を見ているのが分かった。

「……霧島先輩?」

「はい。あと、磐長さんにも付き添って貰っています」 

 彼女は佐久夜の姿を確認したのか、扉を閉めてしまった。

「先輩。私、いない方が」

「私は構いませんが。神事評価、どうしましょうか?」 

 霧島の言葉に佐久夜はグッと押し黙る。

 神事評価というのは教育係が研修中の下級神の態度を決めて、成績を決める制度のことだ。教育係の神の評価次第で今後の部署が決まるといっても過言ではない。

 皆、霧島のこういう一面を知らないから、憧れているとか素直に言えるんだと内心で霧島の愚痴を募らせていく佐久夜に、彼は笑みを深める。

「冗談です」 

 霧島と佐久夜のやりとりが聞こえていたのか、女子更衣室という天の岩戸から再度、青森が出てきてくれる。

「青森さん。やっと出てきてくれましたか」

「イチャイチャしないでください!」

「い、イチャイチャ?」

 きっと、更衣室の扉が厚いため、霧島との会話が聞こえなかったに違いない。

そうでもなければ、霧島との冷えたやりとりがそのように聞こえたのかが分からない。

「い、磐長さんは失敗をするふりして、霧島先輩の気を引いてるんですよね? そうすれば、構ってもらえるから」

「そうだったんですか? 佐久夜さん?」 

 霧島は分かっているはずなのに、佐久夜に嬉しそうに聞いてくる。

「ち、違います‼︎ 仕事が出来ないだけです。青森さんは霧島先輩に憧れているんですよね?」

「そ、そうよ。私の教育係は厳つくて怖いのに、磐長さんは素敵な先輩に優しくして貰えてずるい」 

 私はあなたが憧れている霧島先輩を苦手に思っているので、良ければ担当を変わって貰いましょうとでもいえば、この青森の性格だと逆上しそうだ。 

 霧島にどうしようかという目でみると、彼は笑みを深めていく。彼の微かな苛立ちを感じて、佐久夜まで背筋が寒くなってきた。

「青森さん。僕はあなたみたいに他人を顔で判断する者が一番、嫌いなんです。あなたのような神が目に入ることも不愉快ですから、二度と僕の目に映るところにはいないでくださいね」

『なにをするか分かりませんので』と青森の耳元で囁いた声は佐久夜まで聞こえ、思わず、両腕を擦ってしまう。 

 佐久夜に目配せをすると呆然と立ち尽くす青森を置いて、霧島は立ち去る。佐久夜も青森のことが気になりつつも、彼のあとに続いた。

「えっと、良かったんですか」

「ええ。これで少しは周囲の騒がしさも収まるといいんですが」 

 きっと、それは難しいだろうなと佐久夜でも思う。

「佐久夜さん。お付きあい頂き、ありがとうございました」 

 先程、あんなことがあったのに、霧島の態度は変わらない。改めて、佐久夜は霧島を怖い神だと思った。


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