第2話

「そうだわ、佐久夜。あなた、人事課に行ってちょうだい」

「人事課、ですか?」

「そう。部長が直々に頼みたいことがあるらしいのよ」

「……頼み。私に、ですか⁇」

「そう、佐久夜にね」 

 目の前の女神は佐久夜の頬を軽く撫でつつ、笑う。 

 まだ、神になってから間もない下級神の自分になんの頼みがあるというのか。 

いやな予感を感じつつも、頭を下げて財務課をあとにすると、同期である石上直人いしがみなおとが両手一杯の巻物を持ちながらも歩いてくる。 

 彼が器用に避けているのは、刀や剣だ。廊下の壁に突き刺さっていることにゾッとする。佐久夜は神になったとはいえ、石上のように武器を避ける能力など持ち合わせてはいない。  

 現在、この廊下はなにも考えずに歩いていると、刀や剣に刺さる可能性がある魔の廊下と化していた。死にはしないが刃物に刺されば、痛さは感じる。

 佐久夜には刀が飛んできても銀色の残像しか見えないので、なるべく、この廊下を通らないように注意している。

「どうしたの? 佐久夜。浮かない顔だねぇ」

「……前髪で顔なんて見えないでしょうが」 

 佐久夜はこうして自分の顔が隠れているからこそ、石上とも普通に話せる。前髪を隠していなければ、親しい相手を前にしても挙動不審になってしまう。

「だって、きみの纏ってる空気が暗いし。顔をみなくても、なにかあったのかなってのは分かるよ」

 半分、巻物を持ってあげれば『明日は天界でも雨が見られるのかな』そんな失礼なことまで言われて、巻物をまた彼の方へと戻した。 

 石上が多くの巻物を手に持っているところをみると雑用の最中だったようだ。

「冗談じゃない。それで、どうしてなめくじみたいにジメジメしてたのさ。塩でもまく?」

「……いっそ、溶けてしまいたい。人事課の部長からの呼び出しなの」

「ええ〜っ。きみ、また、なんかやらかしたの?」 

石上が大袈裟に驚いたふりをするのが腹立つ。

佐久夜の仕事のやらかし話が好きな石上の楽しそうに弾む声を聞いて頬が膨らんでいく。

「失礼ね! 最近はなにも失敗してないわよ!……多分」

「失敗ねぇ」

 人界がもたらしたパソコンに馴染めず、巻物で仕事をしている神たちは多い。

 彼同様、巻物を持ち運ぶ仕事をしているときに急な雨が降り、中身が読めなくなったことに怒られたり、作成したはずのデーターが帰った途端、抹消されたらしく、直属の教育係の先輩に遅くまで残業をさせていたと知ったときには血の気が引いた。

 普段、不運だと嘆いている石上さえ、佐久夜の不幸っぷりにお祓いでもした方がいいんじゃない? と勧められたくらいだ。

「てっきり、ぼくはまた霧島きりしま先輩関係じゃないかって」 

 その名前が出たことに、佐久夜が慌てて、彼の口を巻物で塞ぐ。

 神になってから、天界の中だけは仲がいいもの同士が人界の携帯電話のメールのように、相手の神の連絡先を知っていれば、離れていても頭の中に声が伝わるという便利な連絡の方法があるが石上の文句ががんがんと響き、仕方がなく、口から取り除いた。

「ちょっと、その名前を言わないでよ。どこから出てくるか分からないじゃない‼︎」 

 佐久夜が辺りをキョロキョロと見渡して、彼がいないことに安心した息を吐いたことに、石上は呆れている。

「名前を言ったら出るって、そんな妖怪みたいな扱いをして、霧島先輩を慕っている神君たちに知られたら、きみ吊しあげられちゃうぞ」

「……みんな、霧島先輩の顔の良さに騙されているのよ」

「あんなにお世話になっているのにね。霧島先輩が佐久夜ばっかり構うもんだから、皆から羨ましいと思われてるのにさ」

「えぇ〜。そんなに羨ましいなら、石上にのしつけたいんだけど。お歳暮で送ろうか?」

「お気持ちだけ受け取っておきます。そもそも、なんでそんなに霧島先輩に構われてるのさ」

「う〜ん。構われる理由かぁ」 

 佐久夜が悩んでいると、石上が大きく口を開きながらも、持っていた巻き物を全て、床に落としてしまっている。『さくっ、さくっ』とお菓子を食べるときの音だけを発するだけの人形のような状態になってしまった石上に、なにをやっているんだ、と巻物を拾おうとしたとき、向こう側から歩いて来たのか。

 佐久夜の前に屈んだ親切な神が自分に巻物を手渡してくれた。

「あり……」 

 お礼を言おうとした言葉が途中で途切れ、口からはひっと悲鳴が上がりそうになる。

「こんにちは、佐久夜さん」 

 佐久夜は巻き物を受け取ると、霧島から距離を取ろうとするが、巻き物ごと手首を掴まれてしまっている為、出来ない。

「悲しいです。佐久夜さんは私を石上さんに贈ってもいいと思っていたんですね」 

 切なそうな口調とは違い、霧島の目は楽しそうに輝いている。

 ほかの女神たちが同じことをされれば、霧島にいつまでもその手を握っていてほしいと願うところだろうが、佐久夜はその手を早く、離して貰いたくて仕方がない。 

石上は、と彼がいた方向をみるものの、彼は突然、現れた霧島の存在に巻き物を拾うこともせず、自分たちの様子を伺っている様子だ。 

 佐久夜があからさまに霧島と距離を取りたいと思っていることを察したのか、彼は手を離す。

 やりすぎたと思ったのか、霧島は佐久夜に謝った。

「すいません。佐久夜さんの言葉を少し、寂しく思ってしまいまして。佐久夜さんは石上さんと仲がいいんですね」 

 石上は何故か、霧島の言葉に背を正す。まさか、自分の方に話が回ってくるとは思っていなかったのだろう。

 自分の存在は消していたのにと、石上は愛想笑いを浮かべた。

「佐久夜とは同期なので、仲がいいんですよ」

「初めて会った下級神が石上だったんです」

「なるほど」

 霧島に聞かれて、佐久夜は初めて、石上と会った日。天界に昇った日のことを思い出した。


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