第14話

 アンネリーゼからお茶会に誘われた庭園は、風景画を佐久夜に思わせた。

 学園には庭師もいるのだろう。薔薇やチューリップなどの四季に合わせた数多くの花々が咲いている。花に囲まれて学園の生徒と思われる子息や子女たちが優雅にお茶を飲んでいた。 

 彼らの容貌は一様に整ってはいるが、それよりも佐久夜はどのテーブルをみても美味しそうな食べ物が並べられていることが気になってしまう。 

 佐久夜が生きていた時代は、西洋文化が取り入れられたばかりで、金平糖やカステラなどの菓子はあったが、西洋の菓子を口に出来るのは夢の話だった。 

 あるテーブルの男女が美味しそうにアイスクリームを食べる姿をみて、自分には水一杯だけを与え妹には迷うことなく、当時の言葉でいうアイスクリンを頼んだ男をふいに佐久夜は思い出してしまう。 

 前髪を無意識に触っていた佐久夜の意識を戻すように、霧島が声を掛けてくる。

『佐久夜さん。あちらを見てください』

「あ、あんな感じなんですね。周さまが見たら、寝こんでしまいそう」

『解釈違いだって、騒ぎそうですね』 

 小柄なリリアナの周りを守るよう、他の生徒たちよりも際立っている男性たちが取り囲んでいる。その中のひとり、カインに気づかれ、勢いよく、手を振られたことで佐久夜も仕方がなく手を振りかえした。

『佐久夜さんを脅したことといい、周さまが推している彼女と行動が逸れてることから、彼女の中に憑依者が入っていると推測が出たんですが』

「なにか気になるんですか?」

『仮に彼女が憑依者であるのなら、話に聞く憑依者たちとは行動が違う理由を考えまして。佐久夜さんに魂を出す方法を試して貰ったときの勇者さんを覚えてますか?』 

 藁人形に系統を試す為だけに魂を移され、霧島にどつかれた可哀想な元勇者だ。

「はい。あのあと、どうなったんですか?」

『彼は一度、神々のミスで命数よりも早く、亡くなり、天界での措置で希望の世界に行けたものの、転生ではなく憑依をしてしまった人です。天界で勇者だった記憶を消されたあとは、今度こそ、彼が望む世界へ転生しました。彼には元々、英雄願望があり、その行動通りに生きていた為、分かりやすかったんですが、リリアナさんをみてると、いつもの憑依者とは違う気がしまして』

「逆ハーレムを狙ってるんじゃないですか?」

『そんな単純なことだといいんですが。それよりも、佐久夜さん。そろそろ、時間じゃないですか』 

 いつまでもアンネリーゼのテーブルに行かないことで、霧島に急かされてしまう。

「アンネリーゼさま。私を呼び出したこと、忘れてたら嬉しいんですけど」

『情報収集だと思って頑張ってください』 

 ぼくもついてますから、と言われた佐久夜は仕方がなく、アンネリーゼが座っているテーブルへと向かった。

「こ、こんにちは。私、アンネリーゼさまに呼ばれたんですが」

「貴方ね‼︎ リリアナ2号‼︎ 殿下たちを追いまわしている留学生って‼︎」

「は、はい⁉︎」

「私のお客さまなのよ、ナタリーさま。どうぞ座ってちょうだい、サクヤさん」 

 佐久夜を見るなり立ち上がり抗議してきた、短く切り揃えられた黒髪をした女生徒を、アンネリーゼはやんわりと制する。佐久夜をみると、彼女のブルートパーズの瞳が面白そうに揺らいだ。

「イワナガサクヤさん、だったわね」

「はい。今日はお招き、ありがとうございます」 

 普段、アンネリーゼはテーブルに客を招くことはないのか、周囲の好奇な視線が痛い。 

 アンネリーゼの傍に座っているのは彼女の取り巻き、もといご学友たちだ。

 学園における派閥は国における政治と変わらないのだろう。彼女の傍には伯爵令嬢や辺境伯のご令嬢など身分の高い生徒しか座っていない。

「あ、あの。私にどんなご用なんでしょうか?」

「あなたのことを聞いて、私、一度、お会いしたかったの」 

 彼女は優しい微笑みを浮かべた。同じ微笑みでも霧島の浮かべる胡散臭い微笑みとは随分、違うなと佐久夜は心の中で失礼なことを思ってしまう。

『佐久夜さん。ぼくになにか?』 

 霧島はやはり他人の心が読めることに長けているのだろうか。

 系統の中からタイミングよく声を掛けてくる。

「ひ、ひぃ。いえ、霧島先輩の笑顔が腹黒いなんて、一度も思ったこともないです」 

他の女生徒に不審に思われてしまわないよう、佐久夜はそっと声をかける。

『佐久夜さんがぼくのことをどう思っているのかが、よく分かりました。そのことについては、また改めて、お話ししましょう』 

 アンネリーゼは佐久夜のことをじっと見つめてくる。

「貴方のお顔を間近で見させて貰っていいかしら?」

「私の顔は」 

 佐久夜がいい終える前に、彼女に両頬を柔らかな手で包みこまれてしまう。

 アンネリーゼの目の端には、涙のようなものが浮かんだ。

 悪役令嬢の彼女に憐れみを受けるほど、やはり佐久夜の顔は他人を不快にさせてしまうものなのかもしれない。

「あ、あの、アンネリーゼさま。私のせいで不愉快な思いをされたならすいません」

「不愉快? ごめんなさい、そんなことはないのよ。……お詫びにそうね。私のことはアンネと呼んで貰えたら嬉しいわ」 

 ほかの女生徒たちがどうして、一様に驚いた顔をするのか分からない。霧島がそんな佐久夜にそっと教えてくれる。

『上位貴族の方を親しく呼べる方は僅かです。会って間もない彼女が佐久夜さんを親しい人物として認識したので、周りが驚いているというわけです』 

 ここまで来てしまったのなら、後はなりゆきに任せるしかないと佐久夜は覚智する。

「アンネリーゼさま。この子とお知り合いだったんですか?」 

 おずおずとナタリーがアンネリーゼに問いかける。

「いいえ、ナタリーさま。サクヤさんとは初対面よ。ごめんなさい、サクヤさん。私、貴方と仲良くなりたくて」

「い、いえ」

「サクヤさんはの国からの留学生だったかしら」 

 他の生徒には系統の姿が見えていないようだ。『頷いてください』との霧島の指示に佐久夜は頷く。横目で系統に流れる文字を読めば、〈和〉という国は佐久夜の国と同じ文化を持つ国のようだ。 

 佐久夜の言動が怪しまれないように、配慮をしてくれたのだろう。

 ナタリーと呼ばれた女生徒にお茶を淹れられて、佐久夜はお礼を言う。

「これは、スコーン。クリームといちごのジャムをつけて食べると美味しいわよ。サクヤさんはお好きでないかもしれないけれど、きゅうりのサンドウィッチもおすすめね」 

 自ら、スコーンにクリームとジャムを塗ると、アンネは給仕をする。どれも、佐久夜の好きそうな食べ物ばかりを勧めてくれることを不思議に思った。 

 初めはもそもそとした食感に首を傾げていたが、クリームとジャムの甘さに佐久夜は自然とほころんでしまう。佐久夜に甘い物を勧めておきながらも、アンネリーゼは甘いものが苦手なようだ。

「どうして、私が好きそうなものが分かったんですか?」

「そうね。あなたとそっくりな人を知っているから、かもしれないわ」 

 アンネは謎かけのように佐久夜に告げる。 

 初めは佐久夜にあからさまな敵意を向けていた少女たちも『仕方がないわね』と悪態をつきながらも、佐久夜の前に様々なお菓子を出してくれた。 

 初音から任務を命じられたとき、霧島と一緒なことになんて自分は運が悪いのだろうと思っていたし、制服も恥ずかしかったが、この任務は悪いものではないかもしれないと、自分の気持ちを切り替えた。

『佐久夜さん。せっかくですので、アンネリーゼさんにリリアナさんのことを聞いてください』 

 霧島の声に任務を思い出した佐久夜は、アンネに尋ねてみる。

「あの、私、アンネさまのご招待を受けたのはナタリーさまが仰っていたように、殿下たちの優しさを勘違いしないようにというお叱りだと思っていたのですが」

「私たちもそうだと思っていましたわ、アンネリーゼさま。どうして、あんな庶民の娘の行動を放っておくんですの?」 

 ナタリーはテーブルを叩くと、リリアナたちのテーブルを睨みつける。せっかく綺麗な人なのに悪鬼のように変わった形相に、佐久夜は小さく悲鳴を出したが、聞こえなかったようだ。

「アンネリーゼさまがお優しいことは分かっています。だからこそ、あの勘違いをした娘に言うべきですわ‼︎ クリストファー殿下は、あなたの婚約者ですのに‼︎」 

 乙女ゲームとの違和感はリリアナだけではなく、アンネにしてもそうだ。ゲームの彼女はナタリーたちを友達としてではなく、取り巻きとして扱っていた。

 リリアナがあんなに王子にくっついているのを見れば、真っ先にふたりの仲を裂く行動を取り巻きに指示を出して行っているだろう。 

 しかし、彼女は婚約者が自分以外の女性と親しくしていることに対してもお茶を飲みつつ、ただ見守っているだけだ。

「この国では、婚約者以外の女性に親しくしてもいいんですか?」

「そんなわけないでしょう!……っ、失礼しましたわ」 

 ナタリーは気まずそうに、アンネへと顔を向ける。

「私は気にしていませんわ」

「で、でも、アンネリーゼさま‼︎」

「確かに他の国の方からみても、おかしな光景ですものね。この学園の建前は、貴族平民関係なく平等にすることですもの。仮に殿下がリリアナさんと恋仲であっても、手順さえ踏んでくれたら私は気にしませんわ」

「……アンネリーゼさま」

「彼女は平民の出ですので、お優しいクリスさまたちはあのように構ってあげているのです」 

 せっかくですので、ご挨拶をしましょうかと、アンネが立ち上がると、このテーブル以外にも取り巻きがいたのか、他の女生徒たちも一斉に立ちあがる。  

 一緒に行こうとする女生徒たちをアンネはやんわりと断った。

「サクヤさん。一緒に来ていただいてよろしくて?」

「えっと、私で良ければ」 

 ナタリーにいざとなったら貴方がアンネさまの盾になるのよ、と言われた佐久夜はアンネの背中にしぶしぶ続く。

「ごきげんよう。クリスさま」

「アンネ‼︎」 

 クリストファーはアンネの姿をみると、リリアナを自分の背に隠す。

「どうして、此処に」 

 アンネはにっこりと微笑むと、どこにしまってあったのか口元を隠すように扇を広げた。

「あら、私はあなたの婚約者ですのよ? なにか問題でも」

「い、いや」 

 彼女の周りの令息たちはアンネの家よりも爵位が低いのか、それとも彼女に言い負かされるのが怖いのか、誰も口を開こうとしない。 

 彼らの気持ちを考えずに、ひょこっとクリストファーの背中からリリアナが顔を出す。

「こんにちは、アンネリーゼさま」

「ごきげんよう。リリアナさん」

「なにかご用ですか? それとも、アンネリーゼさまもクリスと一緒にお茶をしたいんですか?」 

 リリアナはピンク色の唇に人差し指を当てながら、首を傾げてくる。佐久夜は声には出さないリリアナの唇の動きを不思議に思った。唇のみで『音符』と呟いた彼女の言葉は攻撃的な言葉で誤魔化されてしまう。 

 ようやく佐久夜の姿も目に入ったのか、彼女は怪訝な目をする。

「いいえ。クリスさまに会いに来たのではなく、リリアナさんに会いに来ましたの」

「わたしに?」

「いつも、クリスさまのお相手をしてくださってありがとうございます」 

 アンネは綺麗なお辞儀を、リリアナ達の前で行う。

「一度、リリアナさんには、お礼を言おうと思っていましたの」

「な、な」 

 自分が馬鹿にされたことに気がついたのだろう。

 リリアナは王子に『アンネリーゼさまがひどい‼︎』と文句を言っているが、一瞬、彼女は塗られた自分の爪先の色をアンネに見せたような気がした。

「行きましょうか。サクヤさん」 

 昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴ったことで、アンネは踵を返す。リリアナと彼女は攻略対象者であるクリストファーを巡る恋敵だ。   

 しかし、ふたりの不自然なやりとりをみると、それとは違った関係のような気がする。

『佐久夜さん』

「分かってます」 

 リリアナとアンネのどちらが『憑依者』かを見極める為にも、彼女たちの暗号を解く必要がありそうだ。

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