第6章 乙女ゲームに似た世界
第13話
「あんた! さっきから、人の話、聞いてるの⁇」
「き、聞いてます」
少女の自分を脅す、普段とは違うドスの聞いた低い声に佐久夜は何度も頷く。
周さまに一推しだと教えられた少女、〈リリアナたん〉異世界転送系統を起動し、霧島に言われたとおりの行動をとってきただけなのに、可愛らしい彼女に人気のない廊下の壁で、なぜか佐久夜は追いつめられていた。
周から乙女ゲームのことを色々と聞いたなか、乙女が萌える行為だとされる〈壁ドン〉を何故か、攻略対象者ではなく、ヒロインからされている。こんな展開はゲームではなかった、と考えてしまったことで佐久夜は首を振った。
一応、この世界は彼女たちにとっては現実の世界だ。
周が力をこめて作ったこともあってか、自分が乙女ゲームの世界に入ってしまった、佐久夜をそんな感覚に陥った。
この世界に降りたばかりの佐久夜はまず、系統の姿になっている霧島と話しあい、アンネリーゼ・ド・グランジュの婚約破棄が起こる年に無事に転移をしたことで、東洋からの留学生として学園に通うことになった。
自分の隣に座っている霧島がキーボードを打つ音に耳をすますうちに眠ってしまったのだろう。
気づけば、ゲームと変わらない世界に目を瞬いた。
前世では女学校に通うことが出来る生徒は、選ばれた人間だけだった。佐久夜は異世界とはいえ、自分が密かに憧れてきた学生生活を送れることに感動した。
ただひとつの問題は、現在、自分が身に纏っている『セーラー服』だ。
この世界に降りた佐久夜は、自分の足が寒いことに気づいた。改めて、自分の姿を確認すると、顔貌は変わっていないものの、短い衣を羽織っていることに思わず、足を抑える。
足が肌寒いと思ったのは、このスカートのせいだった。
いつの間にか着ている服を見て、佐久夜の全身が真っ赤に染まっていく。
佐久夜の職場の服装は、上下ともに支給された黒いスーツだ。休みの日の服装も『はいからさん』と呼ばれる袴や着物。手と足が布で覆われているものしか着たことがないのに、今自分が着ている服は下の衣が太ももまでの丈しかない。
『セーラー服という制服のようです』
「……あのぉ、霧島先輩。これ。いつもの服じゃ駄目なんですか」
この世界の自分は架空の存在だとは分かってはいるが、佐久夜はこの姿で過ごすのは恥ずかしさを覚える。
『我慢してください。それにとっても可愛らしいですよ』
彼のお世辞の言葉に思わず嫌そうな顔をしてしまったが『学園の制服なので』と苦笑した霧島の声に、諦めるしかなかった。その後は系統の中の先輩、霧島の言う通りの行動を取ってきた結果、なぜか、ヒロインの少女に壁ドンをされている。
神が推している少女ということもあってか、現実のリリアナはローズクォーツの髪色にネモフィラを思わせる瞳を持っている美少女だ。
こんな美少女がゲームでは『普通の少女』と紹介されていることが恐ろしい。
『ここの場面でリリアナたんが壁に押し迫られて、『俺にしとけよ』とか言われるのが、ときめいちゃうよね』
『は、はぁ』
佐久夜はそんな会話を周に聞かされていたことを思い出した。
問答無用で廊下に連れ出された結果、乙女がドキドキするという行動、『壁ドン』をされたが、ときめきを覚えるよりも恐ろしさで冷たい汗が佐久夜の背中に伝っていく。
「確か、サクヤさんだったわよね? あなた、転生者⁇」
「は、はい? て、転生者?」
『転生者』がいるという情報を聞いたのは、この世界に来てから初めてだ。
前世の記憶を持ったまま、異世界に生まれ変わってしまうという天界の系統のエラーのひとつだが、どうして、自分がリリアナに転生者だと思われたのかが分からない。
「とぼけないで‼︎ 転生者じゃなければ、どうしていつも攻略対象者たちのいる場所が分かるのよ‼︎」
自分の周りを回っている系統の中の霧島に佐久夜は声を掛ける。
「せ、先輩。なんで私、こんなにリリアナさんから責められているんですか」
霧島にだけ聞こえるように、佐久夜は声を潜める。
『もう少し、情報が欲しいですね。佐久夜さん、申し訳ありませんが、彼女から情報を引き出してください』
霧島は申し訳ないと口にはしているものの、佐久夜に悪いと思ってはいないことがその声音から伝わってくる。
目の前の少女の顔は気がつけば、美少女から鬼女へと変化していた。
「き、き……」
『落ちついてください、佐久夜さん。この子は鬼女じゃありません』
「き?」
「な、なんでも、ありません。それよりも転生者ってなんのことですか? 私は留学生ではありますが、転生者じゃないです」
「転生者でもなければ、どうしてモブのあんたが、わたしのイベントを上書きしていくのよ‼︎ あんたのせいで、お姉さまに褒められないじゃない‼︎」
「お、お姉さま……?」
「……っ、別に分からないのならいいわ‼︎ もう一度、言うわよ? わたしの邪魔をしないで‼︎ 邪魔をしたらどうなるかは分かっているわね?」
リリアナは中指を突き立てると興味をなくしたのか佐久夜に背を向ける。背中からも彼女が佐久夜に怒っていることは伝わってきたが、彼女が『憑依者』なのだろうか。
「あの、霧島先輩。私、なにかやらかしてましたか?」
この世界に入ったとき、霧島から乙女ゲームのリリアナの行動をなぞるようにという謎の指示を佐久夜は命じられていた。
まず、佐久夜は金髪王子が彼の友達と歩いている前で勢いよく転んだ。王子と接点を作ってくださいと霧島に言われた佐久夜だったが、王族にリリアナみたいに声をかける行為は学園内とはいえ失礼だろうとまず考えた。
ゲームヒロインの生き写しということもあり、リリアナは無邪気で可愛いらしい。
金髪王子も婚約者がいるとはいえ、可愛らしい少女に声を掛けられたら嬉しいだろうが、いきなり前髪で顔が見えない女に声を掛けられたら、不審に思うだろう。
佐久夜は彼らの様子を日々、伺っていた。そんななか、周囲の様子を確認していないことが悪かったのか、自分たちのお喋りに夢中だった男子生徒にぶつかられた結果、王子たちの前で勢いに任せて転倒してしまう。
身分差は関係なく、学園では皆が平等に。
そんな言葉が学園では掲げられているが、王族の前で滑り、その道を妨げてしまったのは、この学園では佐久夜くらいだろう。
霧島も呆れたのか、系統からは無言が続いている。
金髪王子はゲーム通りの優しい性格なのか。周囲の騒めきに気がつくと、佐久夜にも『大丈夫かい?』と手を差し伸べてくれる。王子は貴族階級の生徒が多い中、平民であるリリアナを気遣う穏やかな人だと描写されていた。
そんな彼がどうして、幼い頃からの婚約者を大勢の生徒たちの前で振ったのかが分からない。
「イワナガさん?」
「あっ、すいません。ありがとうご……」
佐久夜がその手を取ろうとしたところ。振り払ったのが、リリアナだった。彼女は甘えたような舌ったらずの声で王子の腕を掴む。
「ねぇ、クリス。早く、行きましょう?」
「あ、ああ、そうだね。誰か、彼女を保健室に連れて行って」
「ひとりで大丈夫です。殿下、お気遣い、ありがとうございます」
淑女の礼は出来ないが、頭を下げたことで、せめてもの敬意を佐久夜はみせる。
「きみは確か、東洋からの留学生だったね。今度、私にも東洋の話も聞かせて」
リリアナが急かしたせいか、王子たち一向が立ち去ったことで疲れたように佐久夜は息をつく。
『さすが、佐久夜さんですね。こんな形で接点を作れるとは思っていませんでした』
「私も、です」
「おいっ。お前、大丈夫か?」
佐久夜がゲーム中、『熱血』と勝手なあだ名をつけていた騎士団長の息子が何故か、リリアナたちとは一緒には去らず、自分を気にしてくる。
「あっ。はい。大丈夫です」
「留学生が転んだのを見てたんだけどさ。お前にぶつかったのって、俺と同じ騎士科の仲間なんだ。あとであいつには、イワナガさんに謝るように伝えておく。いい奴なんだけど、クリスもいたから、自分のせいだって言い出せなかったと思うんだ」
「いいえ。本当にお気遣いなく」
彼は王子を呼び捨てに出来るくらいに、仲が良いようだ。父が騎士団長ということもあり、幼いときから王子の友達として過ごしてきたからだろうか。
「ありがとう。お前っていいやつだな。俺の名前はカインだ。よろしくな!」
カインは佐久夜の両手を勝手に取ると、上下に振って満足そうに去っていった。ゲーム同様、攻略が易しそうだ。
自分の周りを回っている系統から謎の〈ピコーン〉という音がする。佐久夜は霧島にその音について尋ねた。
「なんですか。今の音」
『周さまから佐久夜さんは鈍いから、相手の好感度があがり次第、この音を鳴らせって強要されたんですが』
「……気が抜けそうなのでやめてください」
リリアナに脅迫されたときから、彼女だけではなく佐久夜も目をつけられていたのだろうか。
「イワナガさん。手紙が届いてたわよ」
「ありがとうございます」
寮母からの手紙の裏を見ると、赤い蝋で家紋が封蝋してある。どこかでみた記憶がある家紋に、佐久夜の顔は青く染まった。これはゲームでリリアナが悪役令嬢の機嫌を損ねたときに起こった呼び出しのイベントではなかっただろうか。
『佐久夜さん。手紙を開いてみてください』
震える手でどうにか封を切ると、佐久夜と会って話をしたいという気持ちが綺麗な字で綴られている。
「先輩。これって、忠告なんでしょうか?」
『せっかくのお誘いです。断る理由はないでしょう』
悪役令嬢、アンネリーゼ・ド・グランジュ。佐久夜は彼女のお茶会に誘われてしまった。
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