第7章 ドーナツの穴をのぞけば<1>(サイモン視点)

第16話

 生徒会室の扉が軽く叩かれたことに、宰相の息子であるサイモンは顔をあげる。

 サイモンがひそかに筋肉ばかだと思っている男、カインはドーナツを食べながら、軽く、手を挙げた。

「クリスはどうした?」

「隣室で休憩をとって貰っています。最近は働きづめでしたから」

「お前も休めば?」 

 ほれ、ほれっとドーナツを目の前で振ってくる男を、サイモンは嫌な顔は隠さないまま、手で防ぐ。

 カインはドーナツを受け取らなかった自分に不機嫌な顔を浮かべたが、卒業パーティーを控えている今、サイモンはカインのからかいに付き合う余裕はなかった。

 サイモンは眼鏡を一度、取ると、眉間に手を当てた。

 カインとの会話で自覚していなかった疲れを思い出してしまった気がする。

 軽く、眉間をマッサージすると、眼鏡をかけ直す。

「クリスが休んでいる分も仕事は待ってはくれませんので」

「あっ、そう」 

 彼がなにをしたいのか分からない。 

 サイモンの側に腰掛けると、何個、購入してきたのか。袋の中から取り出したドーナツを次々に食べていく。

「カイン。手伝ってくれないのなら、他に行ってくれませんか?」

『仕事の邪魔です』と遠回しに言うサイモンに対し、彼はドーナツの穴を覗きこんだ。

「知ってるか? サイモン? ドーナツの穴って不思議なんだ。この穴を覗けば、相手の心が読めるという。サイモン、お前はクリスのことが憎いのか?」

「はい?」 

 サイモンは手を止めると、まだ穴から自分を覗いているカインを見た。

「俺が貴方に素直に答えることはないって知っているでしょう?」

「今ならお前を止められるかもしれないから、聞いているんだ」

「お人好しですね。あなたも」 

 サイモンが卒業パーティーでなにをするのか、分かっているようにカインは話す。 

 周囲からは宰相の息子だと思われているサイモンの出自は複雑だ。 

 この国の王子はクリストファーだけだと思われているが、ごく一部の貴族たちにしか知られていない真相がある。 

 サイモンはクリストファーの腹違いの兄だ。 

 国の醜聞だと当時の学園の生徒たちには、厳しい箝口令を敷かれたが、父王と男爵令嬢だった母は恋仲の関係であった。恋仲というよりも、母が恋に盲目だっただけだとサイモンは思っている。 

 隣国から王族が輿入れに来ることは決まっていたので、父にとっては、母のことは学園だけの遊びのつもりだったのだろう。 

 母に子供が出来たと知るやいなや、自分の子供ではないと父は言い張って、彼女に冷たく当たったらしい。母が伯爵家以上の高位令嬢なら、父に抗議することが出来ただろうが、彼女は男爵令嬢だった。 

 家の恥さらしだと実の両親にも縁を切られてしまった母は、学園を強制的に退学させられた。  

 サイモンを産んだあとは、父の手の者によって命を落としたと聞いている。 

 サイモンが権力者によって生かされたのは、いずれ生まれる王子のためのスペアだったからだろう。 

 教会が運営する孤児院で自分の出自を知らずに過ごしていた日々が、一番幸せな時間だったんじゃないかとサイモンは今になって思う。幼かったリリアナやきょうだい達に慕われて、サイモンは孤児院のきょうだい達が自分の家族だと思っていた。 

 自分を引き取りたいと思っている貴族がいると、シスターから告げられたとき、彼女に二つの選択肢を投げられた。

 貴族に会うか、孤児院から逃げ出すかだ。 

 シスターも元々は貴族だったため、サイモンに逃げるという選択肢を作ってくれたのだろう。

『シスターユリア。俺が逃げれば、孤児院が困るのではないでしょうか?』 

 サイモンの言葉にシスターは首を振る。

『院長先生にも許可は得ています。あなたに仲介に来たグランジュ家は王家と同じくらいの権力があるお家です。サイモン、あなたが利用されたくないというのでしたら、あなたひとりくらいは逃すことが出来ます』 

 シスターの顔は、サイモンを逃すことで孤児院になにかしらの不利益があっても構わない、と覚悟をしている顔つきだ。

 幼いきょうだい達のことを考えて、サイモンはグランジュ家、アンネリーゼの家の者と会うことを決めた。

『こんにちは。サイモンです』 

 アンネリーゼの父だと思われる男は、一見すると人あたりのよい紳士だった。

『きみがサイモンくんか。娘のアンネと同じくらいの年頃かな? 今日、きみにはいい話を持ってきたんだ』 

 紳士は隣にいる小太りの男性を顎で示す。

『彼はこの国の宰相でね。私が動けない分も、彼にはよく働いて貰っているんだ。もしも、きみが私たちの取り引きにいい返事をしてくれたら、これからは彼がきみの義父となる』

『グランジュさまは、俺になにをさせたいのですか?』

『きみは、お母さまの復讐をしたくないのかい?』 

目を細められながらも尋ねられるが、サイモンは復讐には興味がなかった。

『……もしも、俺がこの話を断ればどうなるのですか?』

『きみは賢い子だから、愚かな選択はしないだろうが。この孤児院は闇ギルドと癒着があったことにされ、燃やされてしまうだろうね』

『俺が引き受けたら、今後この孤児院に毎月、一定額以上の寄付をしてくれますか?』

『勿論さ。他の孤児院よりも優遇をしよう。持てる者が与えるのも貴族の義務だからね』 

 反王家の宰相家に引き取られれば、一生、飼い殺しになるだろう。分かっていながらも、サイモンは契約書にサインをした。 

 宰相家に引き取られ、与えられた始めの指示が腹違いの弟の従者となることだった。 

 弟の茶会で人形のようなグランジュ家の令嬢、アンネリーゼにも出会う。彼女も家から何かしらの指示は受けているだろうが、初めて会ったときよりも、学園で会ったときの方がより人間らしくなっていたことに、自分らしくもなくほっとしたことを覚えている。 

 リリアナとこの学園で再会したことは驚いたものの、サイモンが蒔いた種は誰にも気づかれることはないだろう。

「カイン。ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」

「なんだよ。今さら、俺のドーナツは渡さねぇぞ」

「いりませんよ。もしも、俺になにかがあった場合。貴方だけは、仕方がなかったって諦めてくれませんか?」

「なんだよ、それ」

「俺の知り合いの中で貴方が一番、諦めが悪そうですので」

「……クリスもお前も大丈夫なんだな」

「はい、多分。クリスが俺を信じてくれたら、ですけど」

「分かったよ。諦めてやるよ」

「ありがとうございます」 

 カインの言質をとったことで、ようやくサイモンは自分の肩の荷が降りた気がする。隣室の扉が開くと寝ぼけ眼のクリスが顔を出した。

「おはよう。サイモン、長い時間、すまなかったね」

「いえ、もう休憩はいいんですか?」

「これ以上、休むと、そのまま寝てしまいそうだから。おやっ、カイン。美味しそうなものを食べているね」

「クリスもどうだ?」

「せっかくだし、ひとつ頂こうかな」

「知っていますか? クリス。カインいわく、ドーナツの穴を覗けば、相手の心が読めるらしいですよ」

「へぇ。じゃあ、今度、アンネの前で覗いてみようかな?」

「私たちのことを覗かなくてもいいんですか?」

「君たちのことは信じているからね」 

 クリスの言葉に頷いているカインに、サイモンは苦笑を浮かべた。

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